源為朝公の元へ 雁回山

2019.12.31(火) 日帰り

活動データ

タイム

03:19

距離

5.7km

のぼり

418m

くだり

415m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
3 時間 19
休憩時間
29
距離
5.7 km
のぼり / くだり
418 / 415 m
1 15
1 23

活動詳細

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 平成三十一年の早いころ、山歩きをはじめた。  そのころ、熊本市近郊の雁回山という低山を歩いた。その山は、鎌倉幕府を開いた頼朝公の叔父さんにあたる為朝公にちなんだ場所だった。  古今無双と言える武勇を誇った為朝公は、その山からいつも弓で雁を狙って、百発百中で仕留めていたらしい。  そのせいで、雁たちはその山を避けて飛ぶようになり、いつの頃からか、その山は雁回山という名で呼ばれるようになったという。  初夏のころ、和歌に傾倒して西行法師に触れ、崇徳院を知った。  平安時代末期の僧侶である西行は和歌を通じて崇徳院に尽くした。院は、歴史の流れにあって保元の乱に敗れ、上皇という位にありながら讃岐に流されたが、西行は院に深く心を寄せ続けたと言う。  時の上皇と天皇が合い争った保元の乱は、日本史における時代の分かれ目となったが、崇徳院側について死力を尽くし、そして敗れた武将たちの内に、源為朝公の名があった。  瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思う  崇徳院のこの歌に、日本文藝の結晶を感じていた私は、あの雁回山に在った為朝公が、院に尽くした人であることを知って激しく心を打たれた。  私の住む熊本の街から程近い場所に、その人がかつて生きていた。  八百年の隔たりは遠く感じるが、悠久の歴史に照らせば、近くもある。  かつて、為朝公は崇徳院の元へと馳せ参じた。  今、私は為朝公の元へと馳せ参じたいと思った。  令和元年も年末を迎えて、やがて閉じる日を迎えた。  ヤマップから通知が来て、年末年始の登山にバッヂが貰えることを知った。令和元年に山登りしたことを刻みたくて、大晦日に山歩きすることにした。  どこへ向かおうか。  雁回山へ、為朝公の元へと向かうことにした。  お山へは、同じくヤマップを始めた友だちと向かった。歩く前に為朝公にちなんだお社へと参拝し、山に入り、そして下山した後に改めてお社に参った。  山を下りると、本殿に灯りが点っていた。  たしかめると、明日からの初詣の準備が整っていた。過ぎる年と訪れる年を想って、社殿の前に直立し、参拝した。  階段を下りる前に、本殿の奥を見つめた。  暗がりが見えた。  その影が、為朝公のお姿のように思えて仕方なかった。 参考:六殿社 http://www.rokuden-jinja.com 参考:源為朝 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%82%BA%E6%9C%9D?wprov=sfla1  

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