🏯山城を訪ねて⑤五龍城趾

2019.12.24(火) 日帰り

活動データ

タイム

04:30

距離

7.3km

のぼり

258m

くだり

231m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 30
休憩時間
58
距離
7.3 km
のぼり / くだり
258 / 231 m
4 31

活動詳細

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1504(永正元)年、五龍城主であった父、宍戸元家が深瀬祝屋城に隠居した後、長男元源が五龍城主となった。 西隣の毛利氏と数度に渡って戦いを交えたが、最後の雌雄を決するに至らなかった。 1533(天文二)年、毛利氏は、宍戸氏と和睦し、翌1534(天文三)年、正月18日、毛利元就自ら五龍城を訪れ、元就の長女五龍姫と元源の孫の隆家との婚約を決めた。 こうして毛利氏は宍戸氏という強力な味方を得た。 宍戸氏は毛利一門としての待遇を受ける。

郡山 本村川に架かる五龍橋から尾崎丸を眺める。
本村川に架かる五龍橋から尾崎丸を眺める。
郡山 地酒 山陽五龍の像と石碑
地酒 山陽五龍の像と石碑
郡山 宍戸の里 石碑
宍戸の里 石碑
郡山 五龍城の説明
五龍城の説明
郡山 五龍城全体が高田流紋岩の山
五龍城全体が高田流紋岩の山
郡山 かなり険しい階段
かなり険しい階段
郡山 急坂が続く
急坂が続く
郡山 尾崎丸と司箭神社
尾崎丸と司箭神社
郡山 尾崎丸から旧拠点、柳ケ城跡を仰ぐ
尾崎丸から旧拠点、柳ケ城跡を仰ぐ
郡山 尾崎丸の足元に可愛川(江の川)が流れる
尾崎丸の足元に可愛川(江の川)が流れる
郡山 甲田町内に入る橋と可愛川(江の川)
甲田町内に入る橋と可愛川(江の川)
郡山 堀切の跡は足元に本村川が流れ国道54号線がトンネルとなる。
堀切の跡は足元に本村川が流れ国道54号線がトンネルとなる。
郡山 一位の段(見張段)
一位の段(見張段)
郡山 矢倉の段
矢倉の段
郡山 土塁と堀切 堀切の途中に釣井の段への道がある。
土塁と堀切 堀切の途中に釣井の段への道がある。
郡山 三の丸
三の丸
郡山 二ノ丸と石垣跡
二ノ丸と石垣跡
郡山 二ノ丸
二ノ丸
郡山 桜の段と土塁
桜の段と土塁
郡山 かなり広い姫の丸
かなり広い姫の丸
郡山 姫の丸
姫の丸
郡山 本丸と背後の土塁
本丸と背後の土塁
郡山 左手の石垣
左手の石垣
郡山 南側の石垣
南側の石垣
郡山 背後の土塁超えは厳しい。 堀切を登れば御笠丸等がまだまだ沢山あるが、本日はこれまで....
背後の土塁超えは厳しい。 堀切を登れば御笠丸等がまだまだ沢山あるが、本日はこれまで....
郡山 本丸南下の石垣
本丸南下の石垣
郡山 此の場所は?足軽の段
此の場所は?足軽の段
郡山 二ノ丸から三の丸を眺める
二ノ丸から三の丸を眺める
郡山 椎茸?
椎茸?
郡山 三の丸から堀切を眺める。
三の丸から堀切を眺める。
郡山 太陽の煌めきが.......釣井の段は、道が悪く断念
太陽の煌めきが.......釣井の段は、道が悪く断念
郡山 赤い実
赤い実
郡山 南からの五龍城跡全景
南からの五龍城跡全景
郡山 宍戸神社の説明
宍戸神社の説明
郡山 厳しい階段
厳しい階段
郡山 杉木立の中に社殿
杉木立の中に社殿
郡山 石段も時を感じます
石段も時を感じます
郡山 甲立古墳と理窓院への道
甲立古墳と理窓院への道
郡山 左手が甲立古墳、右手は理窓院
左手が甲立古墳、右手は理窓院
郡山 甲立古墳の説明 県下第二位 一位は東広島にある
甲立古墳の説明 県下第二位 一位は東広島にある
郡山 真ん中の高い丸が古墳
真ん中の高い丸が古墳
郡山 前方後円墳
前方後円墳
郡山 前方
前方
郡山 中間
中間
郡山 後円部
後円部
郡山 宍戸元源の墓の説明
宍戸元源の墓の説明
郡山 元源の妻の墓
元源の妻の墓
郡山 宍戸元源の墓
宍戸元源の墓
郡山 宍戸氏の旧拠点、柳ケ城跡の麓にある理窓院
宍戸氏の旧拠点、柳ケ城跡の麓にある理窓院
郡山 東(理窓院)からの五龍城跡全景
東(理窓院)からの五龍城跡全景

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