691ピーク方面に行ってみることにします 戻る 次へ

弥十郎山の写真

2019.12.21(土) 14:19

691ピーク方面に行ってみることにします

この写真を含む活動日記

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5.7 km

445 m

弥十郎山

安蔵寺山・燕岳 (島根, 広島)

2019.12.21(土) 日帰り

相方のリクエストで、先日山友さんが登られていた弥十郎山(島根県鹿足郡吉賀町柿木村)へ。 コースの2/3は林道歩きです😅 山道に入ってから少し不明瞭な箇所やプチ笹こぎもありますがアップダウン少なく歩きやすい道でした。 山頂からの展望は得られませんが林道からは伐採地を眺めながら快適に?歩くことができます。 この近辺は盛太ヶ岳、大岡山、三子山といった島根県西部の未踏の山が集中しており気になる所です。陽が長くなってから一日に2座ペースで決着をつけたいものです。 【某HPより】 弥十郎山の地名について「柿木村誌」「六日市町史」「吉賀記」等で調べてみたが、その中に記述は見つけることが出来なかった。 おそらく高尻地区を開発した河野弥十郎通弘に由来するのでしょう。  河野弥十郎の先祖である河野水軍は源平合戦において源氏に従い、屋島・壇ノ浦の戦いで軍功をたて四国で一時期繁栄しました。その後衰退したが、伊予高縄城主河野氏の子孫、河野弥十郎入道越智通弘は約700年前、吉見家(津和野城主)を頼り高尻に居住すると吉賀記は伝えています。  当初、現在の田丸に落ちて来ると川の流れをたどり高尻にたどり着き、現在の「樋の谷口」から、谷を数百メートル入った所を伐り開き、屋敷を建て、田畑を開き、自ら長となりこの高尻地域を繁栄させました。 吉賀記ではこの屋敷跡を「伐入屋敷(きりいりやしき)」としています。  この屋敷跡「伐入屋敷」のある樋(ひ)の谷(たに)を遡ると弥十郎山になります。  弥十郎には三人の子供があり長男は高尻に、次男弥七郎は斎藤と改め見迎村(柿木)に住み、三男助七郎は大野原に住みそれらの地を治めました。  河野氏の家紋は町内の家でも使われているようです。またこの紋のある庄屋の墓と言われる古い墓もあるようです。  私的には弥十郎山の地名は古くから言われているのではなく、国土地理院が三角点を設置した時、三角点の名前として、この地の歴史を踏まえて付けたのではないかと考えています。