四方津御前山・山上山 2019-12/19

2019.12.19(木) 日帰り

先週突発的に登った綱之上御前山から眺めた、コモアしおつニュータウンの背後にぽっかりと鎮座する四方津御前山が気になり、登ってみようと思った。しかし、せっかくの平日休みなのに、天気予報は終日の曇り。どうしようかと思ったが、アラーム無しで自然に目覚めたのがいつもの起床時刻だったので、途端に行く気になった。 四方津駅に下車するのは久しぶりで、古びた駅舎(ニュータウンの玄関駅なのに古色蒼然なのはどうしたことか)を出ると殺風景な広場があるだけで、所在無いのでコモアしおつのエレベーターに至る階段を登る。振り返ると、右手に先週登った綱之上御前山がぽっかりと佇んでいる。いつの間にか曇天はどこかに流れ去り、陽光眩しい晴天となったので、やはり来てよかったなと思う。 四方津から山上のニュータウンまで、長大エスカレーターで登って行ける。それに乗るのを楽しみにしていたが、建屋に入るとゲートが閉じていて稼動している雰囲気ではない。戸惑いつつ、ベンチに座っている女性に尋ねると、平日は朝夕のみしか動いていないんですと言われ驚く。ではどうすれば、と言う私に、エレベーターを使うのよ、と笑顔で言われて安堵する。(冷静に考えてみると、住民が朝夕以外に昇降する術が無い訳は無いなと思う) エスカレーターに併行して斜面を登るエレベーターは、まるでケーブルカーのようでもあり、そう思うと登山の流れとしては違和感が無い(ような気がする)。山上駅に到着し、文字通りの閑静な住宅街を歩く。コモアプラザのバス停から、正面にお目当ての四方津御前山が見える。間近で見ると、端整な岩山だということが判然とする。 右手に高柄山の連なりを眺めつつ、秋の余韻を残すニュータウンを歩く。校庭から子供たちの嬌声の聞こえる四方津小学校を過ぎ、舗道は下るようになり、やがて左手に登山道の案内が現われた。 登山道は鉄製階段から始まり、少しの蛇行をしつつ直截的に尾根上に乗った。落葉で埋もれた登山道は勾配を増して、徐々に左にトラバースしていくと、程無く西尾根と合流した。山頂へは、さらに北面を捲くようにして続き、唐突に直登していくようになった。 四方津御前山に呆気なく登頂した。青く塗装した木製ベンチと、三等三角点。駅からの所要時間は43分だったが、もちろんエレベーターの恩恵を忘れてはならない。麓からは、相変わらず小学生たちの元気な声が聞こえてくるが、始業チャイムの音が鳴るとやがて静かになった。カップ麺を作り、自作おにぎりの遅い朝食をのんびり摂る。懸念していた北風も無く、非常に心地好く過ごすことができた。(山頂からの眺望が無いのはやや残念だったが) やがて正午を知らせるチャイムが上野原駅方面から聞こえて、同時に大月方面からは、やはり正午の合図の「野ばら」のメロディが流れてくる。そのふたつの音色が山間でこだまして、徐々に音響が混濁していった。そろそろ下山に掛かろうかなという合図だった。 四方津御前山の広い標高450m圏の東端に向かって歩くと、電波塔が立ち塞がるようにして立っている。感覚的に、柵の右側を通過して山頂域の端に立つ。冬枯れの薮でその先の踏路が判らない。右手に進入すると、断崖状の岩場だった。視界は遮られたままで、おそるおそる下降を試みるが諦めて引き返す。逡巡の末、電波塔の反対側を窺うと、廃れた赤テープを発見し、ようやく尾根を目視できた。 事後になって書いていて、思い返してみると非常に危険な場面であった。初めて歩く尾根の下りは、冷静さを保てないと、いつ取り返しのつかない事態に陥ってもおかしくない。 電波塔から続く踏路はかなりの急崖で、設置ロープに助けられながら下降した。細尾根になって鞍部を安堵しつつ歩く。その途上で振り返ると、四方津御前山電波塔側の山容が明確に見ることができる。北北東に延びる尾根は、微かに秋の色を残していた。 登山詳細図に記された「岩峰」に差し掛かるところで、踏路は唐突にナイフリッジ的になる。突然開ける視界に思わず胸がすうっとなる。桂川の対岸に、鶴島御前山の端整な山容が正面に見える。鶴島御前山は中央本線の車窓から眺めても際立って綺麗な山であるが、苦心して崖状の踏路を下ってきたところで見えるこの景色は格別であった。 岩峰を二箇所パスして、冬枯れの尾根をだらだらと歩き続ける。踏路は笹薮で深くなり、やや不快な歩きが続く。途中で意図的に造成されたとおぼしき堀切が数ヶ所出現する。甲斐郡内の御前山と名のつく山は、戦国時代の烽火台だったという考察の文献もあるそうで、首肯できる尾根だった。 それにしても、冬だというのに笹薮は激化していく。途中に確認すべき牧野砦や、巌中学校に下る分岐点も分からなかった。無心で歩き続けて、送電駒橋線69号鉄塔を目視。四方津御前山の縦走ルートはほぼ歩き通したといっていい地点であった。 程無く堀切状の道が横断する五差路の峠に下り立つ。鞍部を挟んで、詳細図に記載の山上山があるので立ち寄ると、そこは山肌を半分削られた、小規模な武甲山みたいなピークだった。山名標の類は無く、柵の下を覗くと古びた貯水施設が見下ろせる。 地形図を見ると大規模な発電施設だということは窺えたが、詳しいことは知らないまま歩いてきてしまったことに気付く。巡視路看板に記された「八ツ沢水槽」で検索して調べると、ここは「八ツ沢発電所施設」という、明治時代に着工した日本で最初期の「本格的水力発電所施設」であり、重要文化財に指定されている現役の施設なのであった。 山上山というのがどういう根拠で名付けられているのかは判らない。端的に現状を見てみると、水力発電所の根幹を成している山ということになりそうだが、山名からはちょっと推察し難い。 八ツ沢発電所から尾根を下り続ける。笹薮はさらに激化し、ようやく下山すると、紅白塗装の送電道志川線17号鉄塔。集落の一本道の傍らに腰を下ろして、ストレッチスパッツを外し、足元に纏わりつくひっつき虫を除去する。東電のミニバンがゆっくりと通過して、作業員に怪訝そうな視線を浴びる。 上野原駅までの車道歩きは長いかなと思っていたが、感覚としてはそれ程でもなかった。甲州街道を渡り、正法寺からは狭い舗道が急下降していく。最後は鶴川が桂川に流れ込む箇所に達した。正法寺の裏手で尾根は削られ、擁壁で固められていた。河岸には小ぶりな建物があり、厳重な柵に囲われている。これが松留発電所で、八ツ沢発電所で使用した水が流れる地下放水路の終点に設置されていて、その水力でさらに発電しているということらしい。 上野原駅南口に到着すると、立派なタワーが出来ていた。エレベーターで跨線橋に登り、駅舎のエスカレーターで下ると改札口に移動できる。かつては長い山歩きの果てに登る駅の階段が辛かったものだが、しみじみとありがたい。 高尾方面の電車は出発したばかりで、三十分も時間があるので、タワー内のベンチでのんびりと過ごした。コモアしおつのエレベーターから始まり、上野原駅の現代的タワーで終わるというのも、なんだか符号の合致した整合性のある山行だったような気がするなあと、ぼんやり思った。

四方津駅に久しぶりに下車。右手に先週登った綱之上御前山。こうして見ると際立つ倉岳山の貫禄。

四方津駅に久しぶりに下車。右手に先週登った綱之上御前山。こうして見ると際立つ倉岳山の貫禄。

四方津駅に久しぶりに下車。右手に先週登った綱之上御前山。こうして見ると際立つ倉岳山の貫禄。

初めてのコモアしおつの長大エスカレーター。と、楽しみにしてたが平日は朝夕のみの稼動と知り軽いショック。併行するエレベーターはまるでケーブルカーのようで、これはこれで新鮮。

初めてのコモアしおつの長大エスカレーター。と、楽しみにしてたが平日は朝夕のみの稼動と知り軽いショック。併行するエレベーターはまるでケーブルカーのようで、これはこれで新鮮。

初めてのコモアしおつの長大エスカレーター。と、楽しみにしてたが平日は朝夕のみの稼動と知り軽いショック。併行するエレベーターはまるでケーブルカーのようで、これはこれで新鮮。

エスカレーター上駅(?)構内に設置されていたジオラマ模型。せっかくよい題材なのに杜撰な作りが勿体無いなあと思う。

エスカレーター上駅(?)構内に設置されていたジオラマ模型。せっかくよい題材なのに杜撰な作りが勿体無いなあと思う。

エスカレーター上駅(?)構内に設置されていたジオラマ模型。せっかくよい題材なのに杜撰な作りが勿体無いなあと思う。

コモアプラザから歩き出す。四方津御前山は端整な岩山だということが判然とする。

コモアプラザから歩き出す。四方津御前山は端整な岩山だということが判然とする。

コモアプラザから歩き出す。四方津御前山は端整な岩山だということが判然とする。

右手に高柄山の連なりを眺めつつ、秋の余韻を残すニュータウンを歩く。四方津小学校を過ぎると舗道は下りになって、左手に登山道の案内が現われる。

右手に高柄山の連なりを眺めつつ、秋の余韻を残すニュータウンを歩く。四方津小学校を過ぎると舗道は下りになって、左手に登山道の案内が現われる。

右手に高柄山の連なりを眺めつつ、秋の余韻を残すニュータウンを歩く。四方津小学校を過ぎると舗道は下りになって、左手に登山道の案内が現われる。

鉄製階段を登り、直截的に尾根上に乗る。落葉で埋もれた登山道は勾配を増して、徐々に左にトラバースしていく。

鉄製階段を登り、直截的に尾根上に乗る。落葉で埋もれた登山道は勾配を増して、徐々に左にトラバースしていく。

鉄製階段を登り、直截的に尾根上に乗る。落葉で埋もれた登山道は勾配を増して、徐々に左にトラバースしていく。

西尾根と合流。方向を示すだけのシンプルな石道標が珍しい。山頂へは、さらに北面を捲くようにして続き、唐突に右旋回して直登していく。

西尾根と合流。方向を示すだけのシンプルな石道標が珍しい。山頂へは、さらに北面を捲くようにして続き、唐突に右旋回して直登していく。

西尾根と合流。方向を示すだけのシンプルな石道標が珍しい。山頂へは、さらに北面を捲くようにして続き、唐突に右旋回して直登していく。

標高461.0mの四方津御前山に登頂。エレベーターで楽をして、なんともあっさり到着。遅い朝食をのんびり摂る。

標高461.0mの四方津御前山に登頂。エレベーターで楽をして、なんともあっさり到着。遅い朝食をのんびり摂る。

標高461.0mの四方津御前山に登頂。エレベーターで楽をして、なんともあっさり到着。遅い朝食をのんびり摂る。

正午の合図で再出発。広い標高450m圏の東端に電波塔。冬枯れの薮で踏路を見つけられず、右手の断崖で逡巡する。冷静を保てないと下り基調は非常に危険な尾根。

正午の合図で再出発。広い標高450m圏の東端に電波塔。冬枯れの薮で踏路を見つけられず、右手の断崖で逡巡する。冷静を保てないと下り基調は非常に危険な尾根。

正午の合図で再出発。広い標高450m圏の東端に電波塔。冬枯れの薮で踏路を見つけられず、右手の断崖で逡巡する。冷静を保てないと下り基調は非常に危険な尾根。

電波塔から急崖をロープに助けられながら下降。細尾根の廊下の途上で振り返る。四方津御前山から北北東に延びる尾根。ひと息入れて先に進むと…。

電波塔から急崖をロープに助けられながら下降。細尾根の廊下の途上で振り返る。四方津御前山から北北東に延びる尾根。ひと息入れて先に進むと…。

電波塔から急崖をロープに助けられながら下降。細尾根の廊下の途上で振り返る。四方津御前山から北北東に延びる尾根。ひと息入れて先に進むと…。

蟻の門渡り、それはちょっと大袈裟か。突然のソフト・ナイフリッジが出現。「登山詳細図」には馬の背と記載している地点。突然開ける視界に思わず胸がすうっとなる。

蟻の門渡り、それはちょっと大袈裟か。突然のソフト・ナイフリッジが出現。「登山詳細図」には馬の背と記載している地点。突然開ける視界に思わず胸がすうっとなる。

蟻の門渡り、それはちょっと大袈裟か。突然のソフト・ナイフリッジが出現。「登山詳細図」には馬の背と記載している地点。突然開ける視界に思わず胸がすうっとなる。

馬の背の突端から桂川の対岸に、鶴島御前山。甲斐郡内の御前山巡りが続きそうな予感。

馬の背の突端から桂川の対岸に、鶴島御前山。甲斐郡内の御前山巡りが続きそうな予感。

馬の背の突端から桂川の対岸に、鶴島御前山。甲斐郡内の御前山巡りが続きそうな予感。

岩峰は捲かずに登ることができた。こんなに険しい山だとは。そんな感懐で、下ってきた四方津御前山の電波塔を見上げる。

岩峰は捲かずに登ることができた。こんなに険しい山だとは。そんな感懐で、下ってきた四方津御前山の電波塔を見上げる。

岩峰は捲かずに登ることができた。こんなに険しい山だとは。そんな感懐で、下ってきた四方津御前山の電波塔を見上げる。

数珠繋ぎのように上野原方面に続く尾根。岩場が終わると、笹薮の道を延々と歩く。途中で意図的に造成されたとおぼしき堀切が数ヶ所。甲斐郡内の御前山と名のつく山は、戦国時代の烽火台だったという考察の文献もあるそうで、首肯できる。

数珠繋ぎのように上野原方面に続く尾根。岩場が終わると、笹薮の道を延々と歩く。途中で意図的に造成されたとおぼしき堀切が数ヶ所。甲斐郡内の御前山と名のつく山は、戦国時代の烽火台だったという考察の文献もあるそうで、首肯できる。

数珠繋ぎのように上野原方面に続く尾根。岩場が終わると、笹薮の道を延々と歩く。途中で意図的に造成されたとおぼしき堀切が数ヶ所。甲斐郡内の御前山と名のつく山は、戦国時代の烽火台だったという考察の文献もあるそうで、首肯できる。

冬なのに笹薮が激化。途中に確認すべき牧野砦や、巌中学校に下る分岐点も分からなかった。送電駒橋線69号鉄塔に到着。

冬なのに笹薮が激化。途中に確認すべき牧野砦や、巌中学校に下る分岐点も分からなかった。送電駒橋線69号鉄塔に到着。

冬なのに笹薮が激化。途中に確認すべき牧野砦や、巌中学校に下る分岐点も分からなかった。送電駒橋線69号鉄塔に到着。

鉄塔を過ぎて程無く堀切状の道が横断する五差路の峠に下り立つ。鞍部を挟んで、詳細図に記載の山上山があるので立ち寄ると…。

鉄塔を過ぎて程無く堀切状の道が横断する五差路の峠に下り立つ。鞍部を挟んで、詳細図に記載の山上山があるので立ち寄ると…。

鉄塔を過ぎて程無く堀切状の道が横断する五差路の峠に下り立つ。鞍部を挟んで、詳細図に記載の山上山があるので立ち寄ると…。

そこは山肌を半分削られた、小規模な武甲山みたいなピークだった。山名標の類は無かった。そして柵の下を覗くと貯水施設が。ちょうどよいタイミングでトンネルから出てきた特急あずさ号。

そこは山肌を半分削られた、小規模な武甲山みたいなピークだった。山名標の類は無かった。そして柵の下を覗くと貯水施設が。ちょうどよいタイミングでトンネルから出てきた特急あずさ号。

そこは山肌を半分削られた、小規模な武甲山みたいなピークだった。山名標の類は無かった。そして柵の下を覗くと貯水施設が。ちょうどよいタイミングでトンネルから出てきた特急あずさ号。

巡視路看板の「八ツ沢水槽」で検索して調べる。ここは八ツ沢発電所施設という、明治時代に着工したという日本で最初期の「本格的水力発電所施設」だとのこと。なんと重要文化財。

巡視路看板の「八ツ沢水槽」で検索して調べる。ここは八ツ沢発電所施設という、明治時代に着工したという日本で最初期の「本格的水力発電所施設」だとのこと。なんと重要文化財。

巡視路看板の「八ツ沢水槽」で検索して調べる。ここは八ツ沢発電所施設という、明治時代に着工したという日本で最初期の「本格的水力発電所施設」だとのこと。なんと重要文化財。

八ツ沢発電所からさらに尾根を下り続ける。笹薮はさらに激化し、ようやく下山。送電道志川線17号鉄塔。他にもアンテナ・タワーが林立していた。

八ツ沢発電所からさらに尾根を下り続ける。笹薮はさらに激化し、ようやく下山。送電道志川線17号鉄塔。他にもアンテナ・タワーが林立していた。

八ツ沢発電所からさらに尾根を下り続ける。笹薮はさらに激化し、ようやく下山。送電道志川線17号鉄塔。他にもアンテナ・タワーが林立していた。

上野原駅までの車道歩きが長いかなと思っていたが、感覚としてはそれ程でもなかった。最後は鶴川が桂川に流れ込む箇所まで下っていった。正法寺の裏手で尾根は削られ擁壁で固められていた。河岸には小さな松留発電所。八ツ沢発電所で使用された水が流れる地下放水路の終点で、さらに発電しているとのこと。

上野原駅南口に到着。立派なタワーが出来ていて、エレベーターで登り、エスカレーターで下ると改札口。かつては長い山歩きの果てに登る階段が辛かったもので、しみじみとありがたい。

上野原駅までの車道歩きが長いかなと思っていたが、感覚としてはそれ程でもなかった。最後は鶴川が桂川に流れ込む箇所まで下っていった。正法寺の裏手で尾根は削られ擁壁で固められていた。河岸には小さな松留発電所。八ツ沢発電所で使用された水が流れる地下放水路の終点で、さらに発電しているとのこと。 上野原駅南口に到着。立派なタワーが出来ていて、エレベーターで登り、エスカレーターで下ると改札口。かつては長い山歩きの果てに登る階段が辛かったもので、しみじみとありがたい。

上野原駅までの車道歩きが長いかなと思っていたが、感覚としてはそれ程でもなかった。最後は鶴川が桂川に流れ込む箇所まで下っていった。正法寺の裏手で尾根は削られ擁壁で固められていた。河岸には小さな松留発電所。八ツ沢発電所で使用された水が流れる地下放水路の終点で、さらに発電しているとのこと。 上野原駅南口に到着。立派なタワーが出来ていて、エレベーターで登り、エスカレーターで下ると改札口。かつては長い山歩きの果てに登る階段が辛かったもので、しみじみとありがたい。

四方津駅に久しぶりに下車。右手に先週登った綱之上御前山。こうして見ると際立つ倉岳山の貫禄。

初めてのコモアしおつの長大エスカレーター。と、楽しみにしてたが平日は朝夕のみの稼動と知り軽いショック。併行するエレベーターはまるでケーブルカーのようで、これはこれで新鮮。

エスカレーター上駅(?)構内に設置されていたジオラマ模型。せっかくよい題材なのに杜撰な作りが勿体無いなあと思う。

コモアプラザから歩き出す。四方津御前山は端整な岩山だということが判然とする。

右手に高柄山の連なりを眺めつつ、秋の余韻を残すニュータウンを歩く。四方津小学校を過ぎると舗道は下りになって、左手に登山道の案内が現われる。

鉄製階段を登り、直截的に尾根上に乗る。落葉で埋もれた登山道は勾配を増して、徐々に左にトラバースしていく。

西尾根と合流。方向を示すだけのシンプルな石道標が珍しい。山頂へは、さらに北面を捲くようにして続き、唐突に右旋回して直登していく。

標高461.0mの四方津御前山に登頂。エレベーターで楽をして、なんともあっさり到着。遅い朝食をのんびり摂る。

正午の合図で再出発。広い標高450m圏の東端に電波塔。冬枯れの薮で踏路を見つけられず、右手の断崖で逡巡する。冷静を保てないと下り基調は非常に危険な尾根。

電波塔から急崖をロープに助けられながら下降。細尾根の廊下の途上で振り返る。四方津御前山から北北東に延びる尾根。ひと息入れて先に進むと…。

蟻の門渡り、それはちょっと大袈裟か。突然のソフト・ナイフリッジが出現。「登山詳細図」には馬の背と記載している地点。突然開ける視界に思わず胸がすうっとなる。

馬の背の突端から桂川の対岸に、鶴島御前山。甲斐郡内の御前山巡りが続きそうな予感。

岩峰は捲かずに登ることができた。こんなに険しい山だとは。そんな感懐で、下ってきた四方津御前山の電波塔を見上げる。

数珠繋ぎのように上野原方面に続く尾根。岩場が終わると、笹薮の道を延々と歩く。途中で意図的に造成されたとおぼしき堀切が数ヶ所。甲斐郡内の御前山と名のつく山は、戦国時代の烽火台だったという考察の文献もあるそうで、首肯できる。

冬なのに笹薮が激化。途中に確認すべき牧野砦や、巌中学校に下る分岐点も分からなかった。送電駒橋線69号鉄塔に到着。

鉄塔を過ぎて程無く堀切状の道が横断する五差路の峠に下り立つ。鞍部を挟んで、詳細図に記載の山上山があるので立ち寄ると…。

そこは山肌を半分削られた、小規模な武甲山みたいなピークだった。山名標の類は無かった。そして柵の下を覗くと貯水施設が。ちょうどよいタイミングでトンネルから出てきた特急あずさ号。

巡視路看板の「八ツ沢水槽」で検索して調べる。ここは八ツ沢発電所施設という、明治時代に着工したという日本で最初期の「本格的水力発電所施設」だとのこと。なんと重要文化財。

八ツ沢発電所からさらに尾根を下り続ける。笹薮はさらに激化し、ようやく下山。送電道志川線17号鉄塔。他にもアンテナ・タワーが林立していた。

上野原駅までの車道歩きが長いかなと思っていたが、感覚としてはそれ程でもなかった。最後は鶴川が桂川に流れ込む箇所まで下っていった。正法寺の裏手で尾根は削られ擁壁で固められていた。河岸には小さな松留発電所。八ツ沢発電所で使用された水が流れる地下放水路の終点で、さらに発電しているとのこと。 上野原駅南口に到着。立派なタワーが出来ていて、エレベーターで登り、エスカレーターで下ると改札口。かつては長い山歩きの果てに登る階段が辛かったもので、しみじみとありがたい。