活動データ
タイム
05:21
距離
22.1km
のぼり
524m
くだり
249m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る不覚にも風邪を召してしまい山に登る気力がありませんので、おつぼ山神籠石の見学会があったのでそちらに参加しました。 おつぼ山神籠石は、7世紀頃に造られた古代山城で、山を囲むように切り石が並ぶ「列石」が特徴の神籠石は日本全国で16ヶ所しか確認されていない希少な遺跡だとか。このおつぼ山神籠石は日本の中では最大規模を誇るのではないだろうかと…。因みにおつぼとは、矢を入れる空穂(うつぼ)が訛ったものだとか。見学は第二水門跡から第一水門、列石群、東門跡、第一土塁で流れ解散となりましたが、我々は西端に祀られてる籾山神社に手を合わせてから下山しました。 午後からはおつぼ山神籠石の東側にあたる、白石町の須古城跡を巡った。 須古城とは、1574年に龍造寺隆信が須古城を攻略し居城とし、以後龍造寺隆信はこの城を本拠とし九州北部、現在の佐賀、長崎、福岡の大半、熊本の北半と大分県の一部を網羅する大領国を築きました。須古城はその「首都」となったのです。しかし、1584年3月、島原の沖田畷の戦いで島津軍に敗れ戦死、以後は須古鍋島の居所として存続するものの、城域の大部分は事実上廃絶となりました。現在の須古城跡は強者どもが夢の跡と化し、城の面影は殆ど残っていませんでしたが、須古城本城も、支城の小島城も杵島城も自然の要害と言われた急勾配の崖などは今も変わっていませんでした。 今日は古代山城のおつぼ山神籠石と、戦国時代を駆け抜けた風雲児の龍造寺隆信の遺した遺構など、たっぷりとロマンに浸った一日でした。古代山城跡のおつぼ山神籠石は、武雄市による具体的な整備案も出来ていて、地元の協力を得ながら整備にかかるそうです。須古城も、立派なパンフレット等も出来あがり、竹やぶで被われた須古城跡も、鋭意伐採中と記されてた通り、この日も竹やぶを切る作業が進められていましたし、近いうちに両史跡共、多くの見学者で賑わう事になるでしようね。
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