活動データ
タイム
08:18
距離
11.0km
のぼり
988m
くだり
865m
活動詳細
すべて見るおそらく年内最後の奥武蔵行。今日もKZ氏と芦ヶ久保駅にやってきた。先週下山した地点から、今日は尾根ではなく沢沿いを辿って岩菅山の尾根を横断。そして処花沢に下り、またまた甲仁田山を目指すという行程。 芦ヶ久保駅から程近い大畑から処花沢、そして現在の焼山林道に至る、昭和初期の地形図に記されているという破線経路は、江戸時代から使われてきた古道だとのこと。その痕跡を前回の山行で発見したので辿りたい、というKZ氏の意向で、私はそのお供である。十二月の冬晴れの日である。寒い沢沿いを歩くよりは、明るい尾根を歩きたいというのが正直なところだが、毒を喰らわば皿迄(ちょっと違うかも)の心境で随行することになった。 国道299号線を正丸方面に歩き、花ノ木橋のたもとから入山する。前回降りてきた崩ノ沢(くえのさわ)左岸尾根の分岐を横目に、山腹に刻まれた道筋を歩いていく。程無く西武秩父線芦ヶ久保第一トンネルの、正丸側入口の上に出た。線路の向こうに正丸トンネルの入口が見える。 線路を越えると、道は自然に沢に下るようになる。細根ホリ(ホリは沢の意味で、この周辺では多く沢名に付帯されている)の右岸を歩く。快晴の朝だが沢沿いの空気は冷たい。小島沢の時に痛感したので、この間にバラクラバを新調した。これがありがたいほどに効果的だった。 古道跡は沢沿いに散見されるもののやや心細くなっていく。崩ノ沢を分けると左岸の山腹にトラバース道が現われた。私はその踏み跡を辿り、KZ氏は右岸に沿って歩いていたが、その後渡渉して合流した。 地形図に記された、細根ホリの水色の線も途切れる頃、三俣状に分かれる地点に到達。眼前には吃驚するほどの巨大な岩が出現した。左側は大勢が雨宿りできそうなくらい庇状になっている。昔はここで夜明かしした旅人もいただろうね、とKZ氏が言う。 「名前を付けたいくらい巨大な岩ですね」私が言う。 「こういう旅人が一夜を明かせるような岩を、乞食岩と呼ぶけどなあ」とKZ氏。 「では、大乞食岩にしましょうか」 「なんか、立派なのかみすぼらしいのかわからない名前だなあ」 地味な沢遡行の果てに見まごうばかりのランドマークが現われて、しばしの小休止。大乞食岩(仮称)の上にも登ってみたが、特筆することはなく、客観的に眺める方がよい大岩であった。 三俣から進路は左俣であったが、ものすごい倒木で登れない。左岸の尾根に登ろうとするが途上で崖となり、撤退して大岩に戻ることになってしまった。今度は右岸尾根に取りつくと、なんとか高捲きできた。沢は急勾配になり、見上げると二子林道のガードレールが横断している。沢は林道のコンクリートで遮断され、土管が貫通して流れていた。 左岸の尾根に転進する。登りやすい傾斜を選んで、我々はそれぞれの経路で攀じ登り、林道を目指した。そしてようやく、二子林道の上に乗りあがった。ひと息ついていると、ライフジャケットを着た猟師のおじいさんが林道を登って来るのが見えた。挨拶を交わして立ち話になる。 「向こうから(獲物を)追ってくるから」 猟師氏の言う「向こう」とは、我々が登ってきた左俣の涸れ沢と、その右岸尾根の方角であった。これから目指す踏路である、困ったなと思う。続いて、林道の終点方向に行くように促される。 「そこから二子山に行けるから」 適切なアドバイスである。林道終点はつい先週下降した、崩ノ沢左岸尾根の途上である。仕方が無いので承服したような素振りで猟師氏を見送った。猟師氏は慣れた足取りで、細根ホリ左俣の、左岸尾根の杣道を登っていった。 しばしの休憩ののち、我々は予定通りに涸れ沢の登りを開始した。流れ弾の恐怖が内心で湧きあがるが、止むを得ない。勾配の増した涸れ沢に古道の痕跡は窺えず、右岸尾根に石積みが現われたので、その方向に杣道らしき踏み跡があったので辿ってみることにした。登り続けると右岸の尾根上に出てしまった。明るい尾根は心地好く、対岸に丸山の展望台が見える。 「丸山はかつて大丸山と呼ばれていて、正丸峠の正丸は小丸だったんだよね」とKZ氏。 「対比としての呼称なんですね」 「そうそう」 「それが何で正丸に?」 「小丸峠よりも正丸峠の方が立派そうに見えるからじゃないかなあ」 「小丸峠だったら、明治天皇も来てくれなかったかもしれませんね」 KZ氏は古道探索のために北面の山腹を行くと言うので、私は尾根経由で歩き、標高676m点で落ち合うことにした。標高690mで岩菅山からの尾根に合流する。真っ直ぐに少し歩くと、標高712mの荻ノ沢ノ頭に登頂できそうだが、自重して南西に続く尾根に向かう。 好天の尾根のひとり歩きを楽しむ。冬枯れの木々の向こうに、二子山の頭が少しだけ顔を出しているのが見える。標高680m圏峰でひと休みし、前回、水タリア右岸尾根から登った676m点を越えるところで、トラバース中のKZ氏を確認しつつ歩く。 KZ氏を目視したので、そのまま鞍部に下り合流した。鞍部にはくだんの猟師氏が猟銃を手に座り込んでいて、我々を見ている。これはまずいことになった。と思いつつ声を掛けると、鹿が来るから早く上に登ってくれ、と言われたので、慌てて対面の斜面を登る。 猟犬の吼える声で振り向くと、先程歩いてきた676m点から、尾根上をカモシカが駆け抜けてきた。猟銃を避けて北面に逃げていくその背後に向かって発砲音が炸裂した。こんなに間近で発砲シーンを見るのは初めてであり、ただただ茫然となる。 獲物はどうやら的を外したらしく、猟師氏はインカムで仲間と交信している。獲物が接近しつつあるというのに、尾根と山腹から突然ハイカー(つまり我々のこと)が出現して、猟師氏もやや動揺してしまったのかもしれない。この鞍部で、KZ氏は古道探索の続きを行ないたい筈であったが、この状況では断念せざるを得ない。その儘岩菅山方面に登り、710m圏峰から南下する尾根で処花沢に向かうことにした。 植林の緩やかな尾根をストレスなく下降を続けたが、末端で行き詰まった。眼下にはNTT管理道路が見えるが、擁壁で覆われているので降りられない。慌てて左手にトラバースし、涸れ沢に辿り着いて、ようやく道路に達し、胸を撫で下ろした。 管理道路から名の無い沢を下り、処花沢に合流したところで渡渉し、先週KZ氏が古道発見で喜んでいた箇所に入った。いよいよ甲仁田山の懐に来たわけで、道のりの長さが実感されてくる。 沢沿いの明瞭な道は続くが、夥しい倒木に疲労困憊しつつ歩く。やがて二俣になり、右に行くと二子山の鞍部に向かうことになるので、左手の沢に進路を変更する。石積みの遺構があり、踏み跡が続いていたが、それもやがて不明瞭となり、涸れ沢はやがて砂防ダムに突き当たる。それを迂回して、ふたたびNTT管理道路に出た。管理道路が蛇行し、堰堤で沢が制御される甲仁田山北西の斜面。もはや古道の痕跡を発見できそうな雰囲気は窺えない。 沢筋は諦めて、二子山と甲仁田山の最低鞍部に至る尾根を粛々と登る。途中で等高線が著しく広がる地点があり、まるでキャンプ場みたいな雰囲気だった。ひと登りでまた管理道路にぶつかり、そこが二子山と甲仁田山の最低鞍部だった。小屋の残骸を確認していたKZ氏は、これが和尚小屋の跡だろうと言った。 三週連続。そして今秋四度目の甲仁田山に登頂した。先々週と同じ角度で眺める芒越しの二子山の風景は、すっかり冬の様相に変わっていた。時刻は午後一時に近い。芦ヶ久保駅を出発して、実に五時間以上が経過していた計算である。富士山だったら、五合目から頂上に着いてる所要時間ですねと、KZ氏に冗談を言う。 今日も誰も居ない山頂で大休憩。あとは下るだけである。先ほどの和尚小屋跡から、KZ氏は古道の軌跡を探るが、徐々に不明瞭となり、ガッケノ沢と和尚小屋沢を挟む中間尾根を下ることを決断する。尾根は緩やかな傾斜で快適だった。 緊張感無く歩いていると、先ほどの大休憩でカップ麺と自作おにぎりで満腹になった所為か、急激に眠くなってきた。眠気と戦いつつの下降は辛かった。無事焼山林道に下り立ち、沢水で顔を洗うとようやく覚醒できた。 採石場を過ぎ、廃屋が点在する不気味な焼山林道を歩き、県道53号に到着した。前々回も利用した長渕始発のバスで帰るが、発車時刻まではまだ一時間弱の時間がある。KZ氏に誘われ、旧名栗街道に至る古道探索をしつつ長渕バス停に向かうことにした。 横瀬川を強引に渡渉し、対岸に寂れた別荘群を見ながら歩く。道らしきものは見つからない。川沿いを歩き続けて、バスに間に合うのかと、徐々に不安になる。緩やかになった山腹に上がり、東に歩き続けていくと、ようやく旧名栗街道の山道に合流し、安堵した。いにしえの峠道は趣深く、ゆっくり歩きたい風情だったが、稀少なバスに乗り遅れる訳にはいかないので足早になる。追分の手前の鞍部から、黄昏迫る甲仁田山が見えて感慨深い気持ちになった。 やや焦って追分に到着。時刻を確認し安堵する。車道に復帰すると、すぐそこに長渕バス停が見える。十数分で折り返しのバスがやってきた。乗客は言わずもがなで我々だけ。先々週と同じく、芦ヶ久保駅からは快速急行の池袋行き。 飯能でいつもの乾杯。ハードな山行ゆえにビールが旨くて今日はおかわり。餃子とチャーハンと鳥からあげがおつまみ。来週はKZ氏との山行はお休みで、年末最後の計画が再来週に迫ってきた。真冬のテン泊談義で盛り上がる。毎週山に登って楽しいので、世間的な師走の慌しさがなかなか実感できない。それもまた心地好いのが不思議である。
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