初冬の山道を歩く!第3弾‼︎ 天吉寺山!源頼朝所縁‼︎ 北近江山中の歴史ある大吉寺本堂跡と静寂な山を行く

2019.12.14(土) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 48
休憩時間
0
距離
9.2 km
のぼり / くだり
791 / 791 m
12
1 15
56
14

活動詳細

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平治の乱の折、源頼朝がこの寺に難を逃れたため、平氏に焼き払われました… 源頼朝はこの時13歳… その後、頼朝は捕えられ京の六波羅へ送られ、死刑を当然視されるが、清盛の継母の池禅尼の嘆願などにより死一等を減ぜられ、伊豆国へと流されます 源頼朝の庇護の下、再建され鎌倉時代に隆盛を極めるも、再び織田信長に焼き払われる受難に遭いました… 木立の中に点在する遺跡の規模の大きさに驚かされます。 寺跡は他の北近江(湖北)の山岳寺院を一望できる位置にあったようです ここにも、諸行無常が… 本日、午前9時まで用事があり、かつ午後からも所用があり、3時間限定の活動! 楽しい山訪問でした!本日も感謝‼︎ ◎上之森神社◎下之森神社 ◉上草野小学校◉現在は廃校になっていて、スポーツ・文化の交流施設。「泊まれる学校」になっています◉大吉寺石碑◉大吉寺◉石碑や灯籠が続く旧参道◉安然堂◉橋を渡って山門◉大吉寺境内には枯山水様式庭園◉仁王門跡◉大吉寺本堂跡◉石塔や石垣など土に埋もれた伽藍跡◉源頼朝供養塔◉平治の乱◉七堂伽藍跡◉覚道上人入定窟◉「大吉寺縁起」によりますと本尊観音像は、粟津の天吉寺(桓武天皇創建)を本尊だとし、大同2年天吉寺は流失し、本尊は琵琶湖を漂流、安然上人によって天吉寺山 (寂寥山)に祀られました◉「大吉寺勧進状」では似た話が創建譚として語られ、寺名の由来は「延暦元年の洪水により、天吉寺の天の字の一が洗い落とされ、大吉寺」となったとしています ◉帰り道に長浜市鍛冶屋町に寄り道しました◉鍛冶屋町は、鍛冶で栄えたまち◉その始まりは、平安時代にまでさかのぼると伝わります◉豊臣秀吉の長浜城主時代には武具や槍を生産◉ここで生産された槍は「草野槍」と呼ばれ、実戦武器用として使用されました◉明治時代には農具を作る野鍛冶へと形態を変え技術を継承し、当時100件近くの鍛冶が軒を連ねていました◉昭和中期には、鍛冶は一斉に廃業し、現存して実際に使える鍛冶小屋は市有形民俗文化財に指定されている「萬右鍛冶小屋」のみです 私の中の滋賀県の山訪問はまだまだ未完成です。山を歩き始めて11ヶ月が経ち徐々に輪郭線、稜線が見えてきたような気もしています。山や麓で出逢う新発見に刺激を受けたり、季節を感じたりしながら、これからも山歩きを楽しみます ♪ しばしも休まず つち打つひびき 飛び散る火花よ はしる湯玉 ふいごの風さえ 息をもつがず 仕事に精出す 村の鍛冶屋 ♪あるじは名高い はたらきものよ 早起き早寝の やまい知らず 永年きたえた 自慢の腕で 打ち出すすきくわ 心こもる

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