活動データ
タイム
04:20
距離
5.4km
のぼり
331m
くだり
330m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る築城年代は定かでないが、鎌倉時代に藤原兼範(後の三吉氏)によって築かれたと云われる。 藤原兼範の子兼定のとき三吉氏を名乗り三代兼家、四代信兼の頃には三次地方に勢力を伸ばした。三吉氏は出雲国尼子氏、 周防国大内受氏の間に挟まれていた。 天文9年(1540年)、翌10年(1541年)と出雲の尼子晴久が 吉田郡山城の毛利元就を攻めたとき、尼子方として加わったが敗れた。 天文11年(1542年)周防の大内義隆が出雲の尼子晴久を攻めた時には大内氏に従って尼子氏を攻めたが、大内方が劣勢となると尼子方から大内方に靡いていた国人衆が離反して総崩れとなって敗れた。 天文13年(1544年)尼子氏は三吉氏を攻めたが毛利氏の援軍により撃退し以後毛利に属するようになった。 その後、比熊山城(三次町)を築城し居城を移したため廃城となった。
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