活動データ
タイム
03:59
距離
17.6km
のぼり
1284m
くだり
1271m
活動詳細
すべて見る本日の軌跡は、綿ぼうしをイメージしてみました… 竜王山〜綿向山縦走コース→水無山北尾根コース! 綿向山一筆書きコースです 鈴鹿山系に連なる標高1110メートルの綿向山。545年、巨大イノシシの足跡を追った地元豪族が山上で神に遭遇、ご託宣で祠を建てたのが馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の始まりといわれています。同神社は12年に1度、亥年の年明けに限り、古くから伝わる焼き印を使った絵馬を作ります バス停「西明寺」の近くでシカとすれ違い、竜王・綿向縦走コースでは、リスが木の上から素早く降りてきました。暫く様子を観察していましたが写真に収めることはできませんでした…次回チャレンジですね 表参道登山口まで戻ってきたら、晴れ間が出てきましたので、もう一度山頂まで登りうかと思いましたが、登山客多そうで断念… 帰り道青空があったのでに、婆裟羅大名・佐々木道誉所縁の正楽寺山〜本堂山を縦走してきました 活動日記は後ほどアップします ◎佐久奈度神社◎大嵩神社 ◉西明禅寺◉西明寺口◉御幸橋駐車場◉竜王山登山口◉竜王山コース◉千畳平◉竜王・綿向縦走コース◉鉄塔◉幸福ブナ◉青年の塔◉金明水◉水無分岐◉文三ハゲ◉水無山北尾根コース◉七合目行者堂◉五合目小屋◉三合目あざみ小屋◉表参道コース◉ヒミズ谷小屋◉天然記念物綿向山麓接触変質地帯◉水木砂防堰堤◉夫婦松 ◎馬見岡綿向神社◉神社は江戸時代に全国に名を馳せた「近江日野商人」が出世開運の神として崇敬したことでも知られています◉日野商人を育んだのは鎌倉時代から安土桃山時代にかけ、この地を治めた蒲生氏◉中でも武将として名高い蒲生氏郷は伊勢松坂や会津の大名に取り立てられますが、日野商人たちは氏郷を慕ってその跡を追い、新たな領地の商工業育成に貢献しました◉氏郷の資質を最初に見いだしたのは織田信長です◉12歳で織田家の人質となった氏郷と対面した信長は「あの者の眼光、只者にあらず」と聡明な立ち居振る舞いを気に入り、身近に侍らせました◉翌年には自ら烏帽子親となって元服させ、さらに自分の娘で美貌の評判が高かった冬姫を嫁がせました◉天下人となった羽柴秀吉も氏郷を重用◉本能寺の変から2年後、氏郷は28歳で伊勢松坂12万石の大名に◉それまで戦場での勇敢さが注目された氏郷は国主として民生の才能も発揮していきます◉四五百の森に新城を築き、楽市楽座にして故郷から来た日野商人を住まわせ商工業を奨励◉同時に伊勢街道のコースを変え、伊勢神宮の参拝客を呼び込みました。街は大変なにぎわいとなり、ここから後の三井(越後屋)、小津(伊勢屋)、長谷川(丹波屋)といった「伊勢商人」が輩出します◉豊臣政権の奥州平定に伴い、氏郷が会津に国替えとなるのは1590年◉この5年後に氏郷は夭逝しますが、その短い期間に漆塗り食器「日野椀」の技術移転を促進。氏郷は日野から漆塗りの職人を呼び寄せ、現在「会津漆器」として知られる工芸品の製造基盤を築きました◉氏郷の会津入府当時、国主の居城は黒川城と呼ばれていました◉氏郷はこれを7層の天守閣を備える壮大な城へ改築。地名も会津黒川から会津若松へ改称◉新たな名称は日野の馬見岡綿向神社参道を覆っていた「若松の森」に由来◉氏郷が生まれ育った中野城(日野城)から同神社までの距離はわずか1キロ◉「会津旧事雑考」は当時の氏郷の心境をこう記しています◉「江州蒲生郡に若松の森あり。氏郷恋ひて以て名となすなり」
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