お城巡り Nо.09-1(10/31-11/3)

2019.10.31(木) 2 DAYS

活動データ

タイム

25:00

距離

0m

のぼり

0m

くだり

0m

活動詳細

すべて見る

 今年3回目(九州・山口・四国を除く)のお城巡りの遠征を実行いたしました。過去2回は登山を絡めましたが、これが今年の最後の遠征です。お城中心になりますが、山陰山陽を周る3泊4日の車の旅に出かけてまいりました。今回こそは、今年初めて、好天気に恵まれました。まさに3度目の正直というべきでしょうか?!  今回の旅で日本百名城の以下8城を巡り、計52城となりました。スタートして1年間で50を超えましたので、よく周ったと、満足しております。残りは、山形県から岡山県まで44城、それと沖縄の3城と地元の1城となります。70歳になるまでには、全てを仕上げたいと思っております。  日本百名山は、今年10峰以上の固め打ちをやりたかったのですが、天候等のせいで、思うように進みませんでした。まだ大ものがそこそこ残っていますので、体力的に全踏破はキビシイかもしれません。気力・体力にもゆとりのあった50才台にもう少し頑張るべきだったと、後悔の念がありますね。しかし、九州からの地の利、不便さからすれば、どうしようもありません。それに、小生、晴れ男ではないようですので、どうも百名山からは見放された感があるかもしれません??何はともあれ、また来夏、心を新たにしたいと思っております。 詳しくは、恥かしながら以下をご笑覧ください。 1)対象のお城 (🔴は当レポートの対象となるお城) 🔴・郡山城       🔴・松江城     🔴・月山富田城       ・鳥取城    ・津山城           ・備中松山城           ・鬼ノ城    ・福山城      2)行程  (🔴は当レポートの対象日) 🔴第1日目:  2019年10月31日(木)  晴れ   自宅(13:30)~R3~福岡市(16:50/17:20)~福岡IC(18:05)~中国道~422km本郷PA(22:25)仮眠 🔴第2日目:  2019年11月1日(金)  霧&晴れ 本郷PA(7:10)~437km郡山城(7:50/8:50)~439km安芸高田市歴史民俗博物館(9:25)~R54~565km松江城(12:10/13:10)~592km月山富田城(14:10/15:30)~入浴(富田山荘15:50/16:35)~698km道の駅「神話の里しろうさぎ」(18:35)車中泊 ・第3日目:  2019年11月2日(土)  晴れ 道の駅「神話の里しろうさぎ」(6:15) ~R9~710km鳥取城(6:40/9:20)~R53~785km津山城(11:20/12:30)~R429~857km備中松山城(14:10/16:00)~888km入浴(サンロード吉備路17:00/18:00)~岡山IC~911km吉備SA(19:15)仮眠 ・第4日目:  2019年11月3日(日)   曇り 吉備SA(7:10)~~928km鬼ノ城(7:35/9:15)~R2~990km福山城(12:00/13:00)~山陽道・九州道~1468km自宅(19:40)   (※)走行距離は累積値で表示しております。 3)感想等    当レポートの感想 :  あっと言う間、今年もあと一ヶ月あまりとなりました。早いですネー!今年3月末で完全リタイアとなり、半年ほど、遠征・旅行に出かけたりして過ごしておりました。ご存知のように、10月に入って海外へチョットぶらぶら、その旅行前、11月頃から何かしようかという気持ち起こっておりました。  9月中旬の2回目の東北北陸遠征の頃その話しが持ち上がって、10月の海外ぶらぶらから帰ってきて、その話しが急に本格化しました。その忙しくなる前にもう一度お城巡り遠征をやっておきたいという気持ちから、海外から帰って1週間も経たない内に、慌ただしく今回の遠征旅行に出かけることになりました。31日の昼すぎに自宅を出ましたが、福岡の娘の処に立寄る用事を済ませて、18時すぎ福岡インターからこの遠征旅行が始まりました。  まず、吉田郡山城、ここは毛利元就の居城ということですが、小生達の訪れた朝は真っ白の霧の中、まさに幻想的という言葉がピッタリでした。壮大な山城跡で豪壮な石垣や天守閣はありませんので、お城巡りの実感は薄く、どちらかと言えば山登りに近いという印象でした。しかし、毛利元就の墓所はすごく立派で荘厳で、何かキリリと引き締まるものがありました。また、「三矢の訓碑」など、毛利家一族累代の家訓といいますか、大名家の知恵というものを垣間見ることができました。  松江城は今に残る現存の城址であり、国宝にも指定されているお城で、何も言うことはありません。今回は、数年前に一度訪れておりますので、二度目ということにはなりますが、黒を基調にした重厚な天守閣の威容には再度圧倒されました。何といっても、現存という言葉に勝るものはありません。どこから見ても素晴しいの一語でした。また、それを支える石垣とお堀も見事というほかありません。  今日三つ目の月山富田城、ほとんどこの名前は知りませんでした。しかし、この広大な山城は、中国地方を席巻した戦国大名尼子氏代々のお城だったということで、再認識いたしました。また、最近NHK-BSの「英雄達の選択」で月山富田城の特集がオンエアされておりましたので、月山富田城の素晴らしさというものに期待をしておりました。感想としましては、予想以上に公園化された印象が強く、もう少し、その当時のままを見せて欲しいという気持ちをいだきました。しかし、散策コースとしては申し分なく山頂本丸部の眺めがよく、近在の人々の大きなラウンドマークになっていることは実感することができました。

郡山  11/1 毛利元就の居城、郡山城に参りました。広島県の安芸高田市にあります。中国道高田ICより約15分ほどです。
11/1 毛利元就の居城、郡山城に参りました。広島県の安芸高田市にあります。中国道高田ICより約15分ほどです。
郡山 真っ白の霧におおわれました。郡山城は、戦国期最大級の山城だそうです。周回の場合、ここの駐車場がイイようです、
真っ白の霧におおわれました。郡山城は、戦国期最大級の山城だそうです。周回の場合、ここの駐車場がイイようです、
郡山 毛利元就の墓所の入口前に駐車して、墓所の方から歩いてみることにしました。
毛利元就の墓所の入口前に駐車して、墓所の方から歩いてみることにしました。
郡山 何となく厳かな雰囲気です。
何となく厳かな雰囲気です。
郡山 霧に包まれた毛利一族の墓所、森閑としています。霊感が強い人は何かを感じるかもしれません。
霧に包まれた毛利一族の墓所、森閑としています。霊感が強い人は何かを感じるかもしれません。
郡山 よく整備された登山道?を郡山山頂(標高390m)をめざします。さすがに、小生達だけ、誰もいませんでした。
よく整備された登山道?を郡山山頂(標高390m)をめざします。さすがに、小生達だけ、誰もいませんでした。
郡山 まず「御蔵屋敷跡」に着きました。そこそこのスペースがあります。「勢溜の壇」と「釣井の壇」を繋ぐ郭だそうです。
まず「御蔵屋敷跡」に着きました。そこそこのスペースがあります。「勢溜の壇」と「釣井の壇」を繋ぐ郭だそうです。
郡山 ここを上がると「二の丸跡」へ。
ここを上がると「二の丸跡」へ。
郡山 「二之丸跡」です。ここもそこそこのスペースですが、元就さんが、ここら辺を闊歩していたのでしょうか。
「二之丸跡」です。ここもそこそこのスペースですが、元就さんが、ここら辺を闊歩していたのでしょうか。
郡山 ここが郡山山頂、「本丸跡」です。さらに、往時が偲ばれます。
ここが郡山山頂、「本丸跡」です。さらに、往時が偲ばれます。
郡山 郡山城の本丸の説明。
郡山城の本丸の説明。
郡山 三の丸石垣跡ということです。この上が三の丸跡ですが、省略しました。
三の丸石垣跡ということです。この上が三の丸跡ですが、省略しました。
郡山 本丸跡を極めて同じ道を下りました。できれば、周回コースがベターですネ。
本丸跡を極めて同じ道を下りました。できれば、周回コースがベターですネ。
郡山 帰り道、元就さまの墓所にお参りしました。
帰り道、元就さまの墓所にお参りしました。
郡山 百万一心とは、毛利元就が吉田郡山城の拡張工事の際に人柱の代わりに使用した石碑に書かれていた言葉、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味している、とのこと。
百万一心とは、毛利元就が吉田郡山城の拡張工事の際に人柱の代わりに使用した石碑に書かれていた言葉、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味している、とのこと。
郡山 元就さんの銅像がありました。
元就さんの銅像がありました。
郡山 有名な「三矢の訓跡碑」です。
有名な「三矢の訓跡碑」です。
郡山 ここでスタンプを押しました。「安芸高田市歴史民俗博物館」です。この後、松江市に向いました。
ここでスタンプを押しました。「安芸高田市歴史民俗博物館」です。この後、松江市に向いました。
郡山 松江城に着きました。2015年9月に天守閣まで上りました。前回と同様の道筋。千鳥橋・南口門、写真は「南櫓」でしょうか?
松江城に着きました。2015年9月に天守閣まで上りました。前回と同様の道筋。千鳥橋・南口門、写真は「南櫓」でしょうか?
郡山 まずは、天守閣へ急ぎます。
まずは、天守閣へ急ぎます。
郡山 国宝「松江城」、立派ですね!!やっぱり現存は、イイですネ。
国宝「松江城」、立派ですね!!やっぱり現存は、イイですネ。
郡山 前回は確しか国宝が決定した翌年に訪れたと思います。今回は残念ですが、お城の中は省略しました。
前回は確しか国宝が決定した翌年に訪れたと思います。今回は残念ですが、お城の中は省略しました。
郡山 角度を変えて、どっしりと優美な姿、山陰地方で天守を持つ唯一のお城だそうです。
角度を変えて、どっしりと優美な姿、山陰地方で天守を持つ唯一のお城だそうです。
郡山 別名「千鳥城」、石垣の陰から顔をのぞかせたショット、いかがでしょうか!
別名「千鳥城」、石垣の陰から顔をのぞかせたショット、いかがでしょうか!
郡山 素晴しい石垣は圧巻!
素晴しい石垣は圧巻!
郡山 城内の石垣の殆どは打込接ぎ(石切り場で切り出した石の平坦な面の角を叩き付けて合わせやすくした積み方)で、慶長年間の石垣技術を特徴とのこと。
城内の石垣の殆どは打込接ぎ(石切り場で切り出した石の平坦な面の角を叩き付けて合わせやすくした積み方)で、慶長年間の石垣技術を特徴とのこと。
郡山 松江城大手前広場に堀尾吉晴公の銅像です。今年完成したとのこと。堀尾 吉晴は安土桃山時代から江戸時代前期の武将・大名。
松江城大手前広場に堀尾吉晴公の銅像です。今年完成したとのこと。堀尾 吉晴は安土桃山時代から江戸時代前期の武将・大名。
郡山 お堀も静かで落ち着いて、イイですね。
お堀も静かで落ち着いて、イイですね。
郡山 銅像のある大手前広場。
銅像のある大手前広場。
郡山 お堀も静かで落ち着いて、イイですね。
お堀も静かで落ち着いて、イイですね。
郡山 松江城から小1時間ほど移動して、今日3つ目の安来市にある「月山富田城」にまいりました。
松江城から小1時間ほど移動して、今日3つ目の安来市にある「月山富田城」にまいりました。
郡山 月山富田城は標高190mの月山を中心とした広大な山城。戦国大名尼子氏歴代の居城で、毛利氏に滅ぼされた後、毛利氏の拠点となったとのことです。
月山富田城は標高190mの月山を中心とした広大な山城。戦国大名尼子氏歴代の居城で、毛利氏に滅ぼされた後、毛利氏の拠点となったとのことです。
郡山 歴史資料館からスタートすると、すぐ「馬乗馬場」です。ここは、お馬の練習場ですね。
歴史資料館からスタートすると、すぐ「馬乗馬場」です。ここは、お馬の練習場ですね。
郡山 「尼子神社」、小さな祠がありました。この祠は明治時代に、尼子氏を祀り広瀬地区の繁栄を祈願して、月山・太鼓壇公園の一角に建立されたとのことです。
「尼子神社」、小さな祠がありました。この祠は明治時代に、尼子氏を祀り広瀬地区の繁栄を祈願して、月山・太鼓壇公園の一角に建立されたとのことです。
郡山 当時、時を知らせる太鼓櫓が「太鼓壇」にありました。現在の太鼓壇には「山中鹿介幸盛」の銅像があります。
当時、時を知らせる太鼓櫓が「太鼓壇」にありました。現在の太鼓壇には「山中鹿介幸盛」の銅像があります。
郡山 山中鹿介幸盛の説明看板。
山中鹿介幸盛の説明看板。
郡山 やっと、月山富田城の山頂部(本丸等)が見えました。手前は「花ノ壇」です。
やっと、月山富田城の山頂部(本丸等)が見えました。手前は「花ノ壇」です。
郡山 あの山頂部まで登り、本丸跡を見てきます。少し、疲れそうですね。
あの山頂部まで登り、本丸跡を見てきます。少し、疲れそうですね。
郡山 「親子観音」、いろいろ由緒があるようです。
「親子観音」、いろいろ由緒があるようです。
郡山 山頂部へ上ります。よく整備が行き届いて、登山道ではありませんネ。
山頂部へ上ります。よく整備が行き届いて、登山道ではありませんネ。
郡山 ジグザグに上っていきます。だんだん眺めがよくなりました。
ジグザグに上っていきます。だんだん眺めがよくなりました。
郡山 三の丸跡につきました。石垣が味わい深いですね。
三の丸跡につきました。石垣が味わい深いですね。
郡山 三の丸説明看板。
三の丸説明看板。
郡山 二の丸跡から三の丸跡方面。
二の丸跡から三の丸跡方面。
郡山 二の丸跡から市街を臨む。
二の丸跡から市街を臨む。
郡山 広い山頂部分。二の丸跡から三の丸跡。広いですね!
広い山頂部分。二の丸跡から三の丸跡。広いですね!
郡山 二の丸と本丸は鞍部を挟みます。
二の丸と本丸は鞍部を挟みます。
郡山 二の丸と本丸は鞍部を挟みます。
二の丸と本丸は鞍部を挟みます。
郡山 本丸跡に上がりました。ここも広いです。公園のようで昔のお城の面影は薄い感じです。
本丸跡に上がりました。ここも広いです。公園のようで昔のお城の面影は薄い感じです。
郡山 本丸跡最奥部には「勝日高守神社」(かつひたかもり神社)があり、この祠は古事記にその記載があるそうです。
本丸跡最奥部には「勝日高守神社」(かつひたかもり神社)があり、この祠は古事記にその記載があるそうです。
郡山 下る時ふり返りました。石垣部分は「山中御殿」(城主の居館があった場所らしい)です。これで、月山富田城の訪問は終了です。
下る時ふり返りました。石垣部分は「山中御殿」(城主の居館があった場所らしい)です。これで、月山富田城の訪問は終了です。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。