八十里越経由で番屋山登山のつもりが…

2019.11.03(日) 日帰り

登山口の吉ヶ平へ着くと、バスが停まっており団体客が登山するところでした。 狭い道をバスで吉ヶ平へ来たとは驚きです。 20人位はいるかも…。 番屋山へは雨生ヶ池経由で過去に三回登山し、そのうち2回は八十里越経由で下山しましたので、今回は八十里越経由で登山することにしました。 といっても現在工事中の新八十里越ではなく昔ながらの旧八十里越です。 馬場跡の分岐点を右へ向かうと、案の定、いろんな道だらけとなります。 以前にあった、「天保古道」「明治新道」の看板はなくなっていました。 馬車用の明治新道と人が歩くための天保古道が複雑に交差しているようです。 下山の時の記憶と方向感覚をたよりに登ります。 しばらく登ると、「椿尾根(標高735m)」の石碑がありました。 わりと開けた道をそのまま進み、狭くて険しい道や沢を何度か渡り、なんとなく怪しいとは思いつつも前進を続けました。 紅葉が大変きれいでした。 普段見える守門岳の裏側が見えました。 少々危険な個所やわかりにくいところもありましたが、道はわりと整備されていたのでたぶん正しいのでは…と感じていました。 他の登山者とは椿尾根の手前でトレイルランニング中の一人に会っただけで誰とも会いません。 しばらく行くと「番屋乗越(標高895m)」の石碑がありました。 ここまで来てさすがに道を間違えたかも…と思い、現在地と番屋山の方向を確認。 すると番屋山の方向の崖の上に木にリボンが結んである事を発見。 番屋山はこっちだと判断し、不安そうな仲間を連れて崖を登って進むことにしました。 そこは明らかに登山道とは言える状況ではなく、複雑に生えている木をかき分けながら、道なき道を勘を頼りに番屋山方向へ進みます。 それでもリボンが結んである木をいくつか過ぎ、スマホの地図で番屋山へ近づきつつある事を確認しましたが、まだまだ先だし、木が密集していて直進するのが困難になってきました。 これ以上進むと本当に迷ってしまうかも…、と感じました。 僕も含めてメンバーの登山経験と、帰りの所要時間と体力を考えて引き返すことにしました。 帰りの林の中で昼食にしました。 途中の休憩で電波状況が少し良くなったので、スマホで過去の登山記録を参照してルートを再確認しました。 どうやら椿尾根のあたりでルートを間違えていたようです。 僕たちは分岐点を過ぎて八十里越を福島方面へ向かっていたのです。 帰りもいくつか道を間違えては戻って再確認を繰り返しながら下山しました。 椿尾根の石碑へ戻ったところで、付近をよく調べてみました。 ここが重要でした。 この石碑の裏手の左側に番屋山へ向かう登り道があったのを見落としていました。 看板などはありません。急坂にロープが垂れ下がっているだけです。 過去にこのコースで下山した僕は、おそらくここから下山してきたのだと思いますが、すっかり忘れてしまっていました。 ここから再チャレンジも考えましたが、体力と日暮れまでに帰れるか不安なので登頂はあきらめました。 椿尾根から先は無事下山。 ここまで他の登山者には一人会っただけで、他に誰とも会わない僕たちだけの静かな登山でした。 馬場跡の少し手前で、朝に見かけた団体客を見かけました。 追いついて聞いてみたら雨生ヶ池経由で登山し、八十里越経由で下山したとの事。 吉ヶ平、雨生ヶ池、八十里越とそれぞれに歴史ロマンのあるところです。 八十里越は河合継之助や、最後の瞽女と呼ばれる小林ハルさんも通ったとの事。 それぞれをモデルにして、2020年に二つの映画が公開らしいです。 どちらもこの八十里越を舞台としている様です。 きっと来年は八十里越ブームが訪れると思われます。 そうなったら秘境吉ヶ平は大変なことになるでしょう。 ある人のブログでは、13時間かけて八十里越を踏破して福島県只見町へ抜けたとの事。 河合継之助は途中の山中で一泊したらしいです。 2019年11月16日から18日まで、三条ものづくり学校にて吉ヶ平の写真展があるそうです。 今回は僕の登山に対する甘さを感じました。 2回下山したコースでもあり、油断していました。 今後はルートを記した紙の地図も持っていくべきと感じました。 紅葉の八十里越をさまよった一日でした。 番屋山も八十里越も新潟百名山だそうです。 来年またチャレンジします。

遠くに吉ヶ平山荘が見えます

遠くに吉ヶ平山荘が見えます

遠くに吉ヶ平山荘が見えます

椿尾根

椿尾根

椿尾根

馬場跡

馬場跡

馬場跡

遠くに吉ヶ平山荘が見えます

椿尾根

馬場跡