木葉山(西南戦争の宇蘇浦官軍墓地)-2019-10-12

2019.10.12(土) 日帰り

活動データ

タイム

01:46

距離

4.2km

のぼり

308m

くだり

311m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 46
休憩時間
16
距離
4.2 km
のぼり / くだり
308 / 311 m
23
1

活動詳細

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熊本地震後、しばらくして山腹崩壊し、通れなかった木葉山の西側の路。地元の方からもう通れるよと聞き、登ってみた。道をループさせ、西南戦争の官軍墓地によってみた。

木葉山 山腹崩壊地点の展望(なかなかステキ)手前の土部分が崩壊のあと。
山腹崩壊地点の展望(なかなかステキ)手前の土部分が崩壊のあと。
木葉山 頂上からの眺望(稲穂が実る景色)
頂上からの眺望(稲穂が実る景色)
木葉山 頂上ご飯はうまい
頂上ご飯はうまい
木葉山 木葉山は霊雨山とも言うようだ
木葉山は霊雨山とも言うようだ
木葉山 倒木にきのこ
倒木にきのこ
木葉山 木漏れ日が爽やか
木漏れ日が爽やか
木葉山 下山後、宇蘇浦官軍墓地に立ち寄る。西南戦争の官軍、薩軍の398名が葬られている。(警視庁出身の抜刀隊64名含む。抜刀隊は身近にいたんだなぁ。)静かな空間。
下山後、宇蘇浦官軍墓地に立ち寄る。西南戦争の官軍、薩軍の398名が葬られている。(警視庁出身の抜刀隊64名含む。抜刀隊は身近にいたんだなぁ。)静かな空間。
木葉山 谷村計介は、宮崎県出身。西南戦争時、薩摩軍に包囲された熊本鎮台(熊本城)司令長官の谷干城の命で、熊本城を脱出。途中で百姓姿に変装して、本妙寺で薩軍に捕まるが脱走。さらに、吉次峠で佐々友房の隊に捕まるも、ここも脱出。ようやく、玉名の第一旅団本部(官軍)に到着するが、薩軍の密偵と間違われて捕縛される。誤解を説いて、まだ熊本城は落ちていないことを報告した。その後、熊本城に戻る途中で、銃弾に倒れた。(彼の功績は忠君愛国として第一期国定教科書に載り、小学校の唱歌もつくられている。)
 武勲で有名な谷村計介伍長の墓は、血気盛んな若者が少しでもその強運にあやかろうと墓石を刻み取っていたため、周囲を鉄枠で囲んであるという。
谷村計介は、宮崎県出身。西南戦争時、薩摩軍に包囲された熊本鎮台(熊本城)司令長官の谷干城の命で、熊本城を脱出。途中で百姓姿に変装して、本妙寺で薩軍に捕まるが脱走。さらに、吉次峠で佐々友房の隊に捕まるも、ここも脱出。ようやく、玉名の第一旅団本部(官軍)に到着するが、薩軍の密偵と間違われて捕縛される。誤解を説いて、まだ熊本城は落ちていないことを報告した。その後、熊本城に戻る途中で、銃弾に倒れた。(彼の功績は忠君愛国として第一期国定教科書に載り、小学校の唱歌もつくられている。)  武勲で有名な谷村計介伍長の墓は、血気盛んな若者が少しでもその強運にあやかろうと墓石を刻み取っていたため、周囲を鉄枠で囲んであるという。
木葉山 木葉山全体を移すと山腹崩壊したあとがはっきり分かる。(木が無いところ)1枚目の写真はあそこから撮ったんだなぁ。
木葉山全体を移すと山腹崩壊したあとがはっきり分かる。(木が無いところ)1枚目の写真はあそこから撮ったんだなぁ。

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