活動データ
タイム
08:35
距離
14.4km
のぼり
2291m
くだり
662m
活動詳細
すべて見る<初日> 三峯神社表参道入口の大輪から雲取山へ。暑さと上りに苦しんだ。以前、三峯神社の駐車場から雲取山へはピストンした経験はあったが、麓の大輪から登頂は初めて。 https://yamap.com/activities/1388657 大輪から神社へは、4キロほどだが、ここの登りが後々響いた。前日に埼玉の実家に帰り、大輪のバス停まで始発に乗っても到着が9時過ぎなので、この時期日没を考慮するとなかなか苦しい行程。今回はおいぬさまがお目当てとあって、神社を参拝、付近をゆっくり散策。また第一の鳥居付近で綺麗な和名倉山を一望できたので茶屋で休息した。その後、予定通り奥ノ宮がある妙法ヶ岳まで行き、雲取山へのルートに取りつく。神社行きのバスで大輪で降車したのは私を含め3人だったので、奥ノ宮に行く途中で終点の神社まで行った登山者数人から声をかけられた。 結局、雲取山荘までは暑さで汗が引かず水をかなり消費。17時頃、小屋に到着し主にご挨拶。水を汲ませて頂く件に加え、途中で追い越した宿泊予定の6人のグループの無事を伝える。翌朝、山頂で再会。日没後も無事に到着した由。水場でガブ飲みしたかったが我慢。出しっぱなしの蛇口から出る水に勢いはない。水を補給し、田部重治の碑を見ていたら所で天気が急変、冷たい雨に見舞われ一気に冷え込んだ。小屋から山頂までの最後がなかなかの急登。普段トレラン用の小さなザックで行動する者にとって、10キロのザックは相当堪える。 山頂に着くと雨は上がり、都心は陽の沈んだ後の漁火を見る様。漆黒の闇が訪れる前の富士も良い。少ししてから山梨百名山の標識がある避難小屋方面に場所を移す。荷物を避難小屋に置いて、再度岩に腰を下ろしエマージェンシーシートに包まり富士の形が認識できなくなるまで眺めた。 避難小屋は暗闇で宿泊はわたしのみ。戸を開け放ち空気を入れ替えている間、いつ疲れで倒れこんでもよいようにシュラフを広げる。戸を閉め、湯を沸かしている間にお風呂代わりのボディーシートで体を拭き着替えを済ませる。小屋の温度は12℃と寒く、ビールか暖かいスープが迷ったが乾いた喉が最初に欲するものは気温に関わりがないようだ。スパム(←ウィルス?)、スープパスタ、豆腐、クラッカーにイベリコ豚のパテなどなど・・食べまくった。 食後、外に出てみたが星は思ったほど綺麗に見えない。なんと東京都心の明るさが雲取山まで届く。やれやれ。山梨、埼玉の県境まで来ているのに雲取山の山頂でも漆黒の闇とは無縁だ。外は8度まで下がり、今朝大輪の気温から20度以上も差がある。 夜中、就寝前小屋の気温は10度まで下がった。今回初めて使用した保温シートが大活躍。百円ショップで購入し、肩幅ぐらいにカットし丸めて持参。長さは2mあるが大変軽量、その上シュラフの下に敷けば大変暖かかった。小屋にあった毛布の上に敷いた。避難小屋はどこも埃っぽいのでマスクを持参。顔も暖かくなる。 おやすみなさい。 つづく・・ 携帯を修理に出して以来、ヤマップの調子が良くない。軌道が直線になったり、距離も少しおかしい気がするので参考にならない点が多少ある。 【おいぬさま】 三峯神社 表参道 三対 境内 四対 奥ノ宮 七対 計十四対 (73) 御仮屋の二対の他にもう一対見忘れた!! <田部重治の碑> 奥秩父はるか眺めて雲取に立ちたるわれは若人なりし 田部さんは87歳の時にこの碑の横に立って一緒に記念撮影をされている。その時に詠んだ歌?当日、三峯神社から和名倉山の雄姿が見られた。和奈倉山を詠んだ句も以下二首見つけた。益荒男(ますらお)と例えたことに共感。 いく度か和那倉山を眺めつつますらおに似し姿たたえぬ 栃本はまだかまだかと和那倉を目当にいそぐ旅もありけり 「田部重治詩歌集わが詩わが歌」 (昭和49年6月30日初版発行)
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