活動データ
タイム
03:47
距離
42.4km
のぼり
571m
くだり
577m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る長文になります。今月、令和の即位の礼が行われるのはご存知のことと思います。最近、実家近くにある道標を観察してみると、『御大典記念』『北武芸村椿 武藤宮松』とあった。即位の礼と大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大典(ごたいてん)と称するらしい。また、北武芸村は昭和30年に合併により美山村(のちに美山町)、現在の山県市の一部で椿集落は昭和46年に集団移転により廃集落となっている。 気になって美山町史を調べてみると『武藤宮松』の記事があった。宮松は昭和2年5月に日本勧業債権拾円券の最高割増金3000円に当選したことにより、周りの人から祝福された。個人情報なんて無い、おおらかな時代です。 拾円の価値は今の2万円、3千円は6百万円にもなる。昭和3年に御大典が行われることもあり、この喜びを多くの人と分かち、人のために使用しようと道標の建設を思い立った。当時の武儀郡西部地区、山県郡全域で主要道は勿論、山道に至るまで130本余りを建てた。自ら工事もして、総工費は3500円程にものぼり、現在で7百万円程となる。この奇特な行為は当時の全国誌『キング』で紹介されたという。 そこでチャリで道標探索をしたところ、12本確認出来た。当時は一般に車も普及しておらず、ナビも無い時代。道標に人々は感謝し、その行為は賞賛されたようである。時代とともに道路の整備が進み、道標は役目を終え、打ち捨てられたものも多いかと考えられる。実際、割れたまま放置されたもの、修復されたもの、再建されたものがあった。現地の年配の方に尋ねた事もあったが、道標の経緯を知る方は居なかった。 前日、下見を兼ねて椿集落跡を訪ねると人家分布図があった。武藤宮松家の場所に向かうと山仕事の方と出会い案内して貰った。宮松は北武芸村長にもなった人物であるが、そこには草むらの中に灯籠が残るのみであった。椿集落は太閤の時代からあり、山中深い場所から忍者の里であったということだそうだ。 当日は変速機の壊れたチャリでウロウロしてバテました。(-。-;また、宮松の道標は山中にもあるらしく、見かけた際は情報提供いただきたい。
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