活動データ
タイム
02:55
距離
13.2km
のぼり
336m
くだり
337m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る横辺田88箇所とは 日本全国に点在するお遍路さんの霊場巡りの一つで、弘法大師の地の四国88箇所と同じ御利益が有ると云う事で肥前の地に設けられました巡礼の道のりです。同じ地域には小城多久88箇所(大正時代の)巡りも有るようです。 米の不作での飢饉に苦しむ庶民の心だけでも救うために、現在の小城市の牛津町谷の常福地住職と横辺田代官(大町町)が話し合いました。江戸時代末期の文化の頃(1800年代です。 二人で四国88箇所を実際に巡り、集落の一角に一つ一つの霊場から持ち帰った土を順番に置き佐賀肥前地域特有の石工さんによる柔和な表情の石仏を置きました。伝承では飢饉が不思議とその後収まったと言われています。集落の方々でご本尊様にどの仏様をお呼びしょうかと寄り合いで話し合った事でしょう。 場所は長崎街道沿いの旧牛津町砥石、江北町、大町町、多久市の一部です。 毎年年2回、春と秋のお彼岸に集まりささやかな祈りを捧げ、34回となりました。 当日は台風明けで、天気はお隣の福岡より回復が早く暖かな日和でした。毎回参加された方など地域の方々と肥前山口駅に近い江北町役場に朝集まり74番から詣らせていただきました。 74番、75番は里山の麓の急な坂を登った所で、車で向かい、その後も車と徒歩とで10箇所の「お遍路さん巡り」をしました。 初めての地域で、場所等の記憶が間違っている場合は皆様お許し下さい。研鑽してレポートを書いていきます。 江戸時代は水害や稲子の大発生が多発した様で飢饉が全国的に。君臨した武士に強制的に年貢を供出した残りで農民は暮らさねばならず主に麦で暮らした様です。100両の金子を首に巻いて町人が亡くなる風刺画も有ります。 武士は勘定奉行が、月給制の各武士の米を現金化するといういわば、米本位制度でした。 最後に。19世紀の江戸時代(文化、文政)の石仏が消失したり盗難に合ったりして霊場も当時のでは無いものが有ります。14世紀の肥前狛犬に至ってはニューヨークで18万円売られていて、窃盗犯逮捕、佐賀県に戻った事件も有りました。なんと罰当たりな❗事でしょう。
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