活動データ
タイム
07:07
距離
12.7km
のぼり
765m
くだり
763m
活動詳細
すべて見るいよいよ古代胸形氏の舞台である福津・宗像を歩きます まず今日は福津の津屋崎古墳群から・・ 宮地嶽古墳;築造は6世紀後半、この古墳は20mを超える横穴式石室に国宝にもなっている超豪華なな副葬品を収めていた。 被葬者は※胸形君徳善ではとの説もあるが、時代の誤差や最近の科学調査による石室石の出土地から当時の代表的海人族である安曇族の一派、或いは磐井氏の関係者とも言われ定まっていない・・ 古代胸形氏が今の宗像大社付近から、勢力を伸ばして行くのは磐井の乱後の事で、この乱前後から安曇族は朝鮮半島南部の伽耶地区や筑前志賀島・相島の拠点を次々に失い、磐井氏も滅亡はしなかったけど大きく勢力後退、逆にヤマト王権を後ろ盾にその権力空白地帯を埋める様に古代胸形氏が勢力を伸ばしている。 ※宗像君徳善;日本書紀天武2年条に“(654年)胸形君徳善が女尼子姫を納して高市皇子命を生ませり”とある・・ この高市皇子、天武天皇の第一皇子で皇位に就く事はなかったが天武・持統の両王権に貢献し、日本書記編纂開始の時期に行政のトップである太政大臣を務める等して当時の王権の中で大きな影響力を持っていた。 古事記も日本書紀も政治色の強い書物で高市皇子の実家である胸形氏に配慮してもおかしくない。 玄界灘に面する古代海人族胸形氏の氏神様がヤマト王権のアマテラスに係わりを持つ三女神として国家神となり、それを司る神官が宗像郡大領従五位宗像朝臣(「続日本紀」文武2年)としての地位が以後、千数百年続く事になる・・ 歩き終えて・・ 古代史は解っていない事が多く調べれば調べる程、辻褄合わず深まりにハマってキリが有りません・・ でも、それも歩き繋ぐこの玄界灘シリーズが終われば打ち止めとしよう!
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。