2日続けて上ノ沢を行くが、この道は1521年伊達稙宗が開いたという越後米沢街道の大里峠より、それ以前に使用されていた田代峠への道の一部である。 八ツ口から小国町越戸(昭和43年廃村)を経て田代峠(沖庭峠)を越え、沖庭神社から小渡へ抜ける道であった。 小国町越戸集落は昭和42年の羽越大水害により土砂崩れで田んぼが埋まり、昭和43年に集団移転し当時は5戸ほどあったそうだ。 越戸集落から田代峠(沖庭峠)までの道は街道としてはかなりの高低差であったため、荒川の反対側に大里峠が開かれたが、この道の歴史はかなり古い。 越戸集落は地形図を見るとわかるが、山の中腹に神社がありその周辺の開けた場所にあった。 国道113号線から林道に入りしばらくすると開けた場所に砂防ダムがある。当時はそのすぐ上流から丸太橋で上ノ沢を越えたとのことであるが今は橋は無い。 砂防ダムを越えていくと杉林がありその脇に1台車が止まっていた。同じく車を止めて上ノ沢に降りる道があるので沢に出る。 上ノ沢に合流する支流があるのでその沢伝いに道をたどる。 杉林の道は明瞭で途中から一部沢のヘツリになった。そこから再び明瞭な道が続き再び杉林を抜けると越戸集落跡地に出る。 下草で覆われていたが生活の跡が見て取れる。 途中、50代くらいの夫婦が上から降りてきた、先ほどの車の所有者で田代峠の向こうまで行ってきたとのことで地元の人であった。 その人の話では田代峠から沖庭神社まで往来できるが、越戸から田代峠までは土砂崩れで崖があり歩きにくいところがあるとのこと。 今回は越戸集落跡地までの道を確認して戻った。 ここまでの道は一部明瞭であるがこの時期は藪でわかりにくいところがある。 特に越戸集落跡の杉林は道を失いやすく帰りは道を間違えた。 ここから田代峠までは行けるとのことであるがガイド無しの単独行ではかなり危険のようだ。また、田代峠も792mピークかは未確認であり、沖庭神社へのルートも不明である。 沖庭神社から田代峠までのルート確認した後、次に反対側の越戸集落跡地から田代峠までつないだ方が確実だろう。小国町の文献によると沖庭神社の先に杉林があり、その管理道路は古道を利用しているとのことである。確かに衛星写真では杉林があるが、2箇所に分かれているためどちらかは不明である。 しかしながら、今回この歴史ある古道が現在も残って、多少なりとも人が歩いていることを確認できたことは大変良かった。
せきかわ歴史と道の館の展示資料より 昔の道の概要がわかる
越戸集落跡地上部。まだ道は続いているようだ。
所々赤テープがあるが、更に回収用赤テープを付ける
越戸集落跡地、平たんで迷いやすい。
越戸集落跡地
越戸集落跡地
越戸集落跡地
越戸集落跡地
越戸集落跡地
越戸集落跡地
越戸集落跡地
段々畑の跡か
杉林は迷いやすい。道は草の生え方によって登りで見るとわかるが、下りで見るとわかりずらい時がある。
一部明瞭な道があるが、1本ではない。
杉林は迷いやすい
明瞭な道
藪
明瞭な道
明瞭な道
明瞭な道
ここから沢を離れて集落跡に向かう。テープがあった。
支流に出る。古道かどうかは不明
支流に出る。古道かどうかは不明
最初の杉林の道はわかりやすい
途中ワイヤーがあった
途中ワイヤーがあった
支流、この上流が越戸集落跡地
上ノ沢との接続付近
上ノ沢との接続付近
上ノ沢
上ノ沢