箕輪城跡 気になる城跡へ行ってみた③

2019.09.15(日) 日帰り

活動データ

タイム

00:19

距離

951m

のぼり

20m

くだり

21m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
19
休憩時間
0
距離
951 m
のぼり / くだり
20 / 21 m
20

活動詳細

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高崎市の箕輪城は榛名山の東南麓に位置する平山城で戦国時代上野国最大の城郭でした。関東管領上杉氏に仕える長野氏の本拠で特に業正が上杉憲政を助け、武田信玄の猛攻をこの城で撃退し続けた。長野業正が病死すると信玄が2万の大軍で激戦の末落城に追い込み以降、内藤昌秀、北条氏邦、滝川一益、井伊直政という各家のトップの重臣が城主となった。 箕輪城散策路後、車で30分移動倉渕町権田へ向かいました。ここは幕末の偉人小栗上野介忠順(ただまさ)の領地で最期の地でもあります。忠順は赤城山の徳川埋蔵金説で知られる人です。安政7年に渡米後、幕府の財政再建、洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設を進めたが、戊辰戦争では徹底抗戦を主張し政敵勝海舟に敗れ奉行罷免、権田村の東善寺で静かに暮らしていた。しかし間もなく新政府軍に捕らえられろくな取り調べもなく斬首。「近代化の父」は悲惨な最期を遂げたのです。最近また歴史番組でよく話題になるので行ってみました。

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