国境の島・対馬を人力(トレッキング・シーカヤック・自転車)で縦走する個人プロジェクト「対馬アイランドトラバース」。 今回は、国防の最前線・対馬に昭和9年に建造された豊(とよ)砲台を起点に、対馬最北端・久ノ下﨑を目指しました。久ノ下崎には、陸路で行ける対馬最北端(つまり九州最北端)の三角点があります(実際は海上2キロ北の三ツ島(灯台)の三角点が最北ですが、そちらは船が必要)。 途中、日清戦争に備えて明治27年に設置された三島灯台関係の石標や謎の建造物があり、100年以上の時の流れを体感するトレッキングになりました。 トレッキング(最南端の神崎~城山)、シーカヤック(箕形~仁位)、今回の最北端がつながったので、残り区間は自転車(仁位~豊砲台)です。
昭和9年に完成した巨砲・豊砲台が起点になります。
豊砲台駐車場。一見、なんてことない洞窟のように見えるのですが・・・
豊砲台は、砲身長18.5m、砲身重量108トン、実用射程距離は30.3kmという、世界最大級の巨砲でした。 内部構造の保存状態のよさに、訪問者は度肝を抜かれます。
軍艦「赤城」の40.6cm加農(キャノン)砲一基2門が移設されたと言われています。(土佐あるいは長門説もあります)。
第2次世界大戦終結後の昭和20年10月、米軍の爆破班により武装解除されましたが、鉄筋コンクリートの厚みは2m(砲塔部は3m)にもおよんで完全には爆破・解体できず、当時の姿をいまに留めています。
さて本題。豊砲台から遊歩道を先に進むと・・・
砲塔部を上から観察できます。
「韓国展望所」「芝生広場」の誘導版があるので、芝生広場方向へ。
芝生広場から先に進みます。実は三角点はこのルートではなかったのですが、面白いものがいろいろ発見できたので紹介します。
対馬の砲台跡でよく見かける、旧陸軍の境界標石、通称「陸防」。 明治期の物は石材、昭和期の物はコンクリートなので、設置年代を推測できます。
「三嶋灯台〇〇地」(〇〇=付属?)の石標がありました。 対馬北端の三島灯台は、日清戦争に備えて、南端の神崎灯台と並行して明治27(1894)年に設置された由緒ある灯台です。
こちらは灯台を管轄していた「逓信省」の石標。
航空自衛隊の基地がある「海栗島」へ電気を送る送電線。どうやって電柱を立てたのやら(-_-;) これ以上進むと転落しそうだったので(殴)、ここからいったん引き返します。
コンクリート製の砲台跡?がありました。高射砲座か、観測所でしょうか?
風化して崩れやすい堆積岩の断崖絶壁です。
海辺の強風のためか、灌木が一方向に傾き、葉はなくなっています。
ついに! 陸路で行ける対馬最北端の久ノ下﨑・三角点(4等)へ到着! シカ・イノシシには遭遇したけど、人が来た気配がない(笑)
対馬の岩場で見かけるハイビャクシン。
明治27年初点の灯台(現在の灯台は戦後のものですが)と、対馬(九州)最北端の3等三角点がある三ツ島。いつか、船で行ってみたい・・・。
帰途、うっ!軍の施設っぽい!!と直感したので、崖を降りてみました(マネしないでくださいね)。
砂岩製なので、明治期の建造物でしょうか。
井戸を発見。
井戸の近くに、三島灯台付属(?)地の石標があったので、灯台関係の施設ようです。
豊砲台近くのカシワの木で、ツシマヒラタクワガタを発見。
対馬北端まで行ったら、ドコモから「海外利用時のご案内」が・・・。 「こちらの国・地域では海外パケ・ホーダイが適用されます~1日1980円~」 って、適用すんな(-_-;) (高いわっ!)
対馬の秋を代表する名花ダンギクが咲き始めていました。 さて、YAMAPの日記を編集していて、大変なことに気付きました。
三角点に心を奪われ、肝心の久ノ下崎の先端(右上部分)まで行ってなかった!!( ゚Д゚)