長沙馬王堆/高橋茶城、上海へ

2019.08.25(日) 日帰り

活動データ

タイム

14:57

距離

655.5km

のぼり

9415m

くだり

8729m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
14 時間 57
休憩時間
10 時間 22
距離
655.5 km
のぼり / くだり
9415 / 8729 m
18 21

活動詳細

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旅行6日目は部屋から朝日がみえました。今日は、岳陽から長沙、長沙から上海へ国内の移動距離は1200㎞を超えます。 岳陽格蘭雲天大酒店は新しいホテルで良かったです。7時半に出発、車は南湖大道を南へ、岳陽大道を東へ進みます。臨長高速G4に入り南へ、長沙県で三一大道に入り西へ、東風路を南へ湖南省博物館を目指します。1時間程待って博物館3階の馬王堆漢墓陳列に辿り着きます。長沙在住時2011年に来ましたが、博物館は改修のため2012-17年対外開放を中止、今回の見学を楽しみにしていました。 展示は投影機やホログラムを随所に採り入れ、以前より解り易く陳列しています。2100年も前の人間が、 彩り豊かな絹の衣服を着て、美食美酒を楽しみ、身嗜みを整え音楽や香道を嗜み、哲学・政治・歴史・天文・医学等の書を学び高い教養を持っていたことに驚かされます。人類の2100年間の進歩はそれらを享受できる人達を王侯貴族から一般人にまで広げたことだけかな、と思えてきました。 博物館を後にして昼食、利源隆高橋茶葉城店に立寄ります。火宮殿で夕食、太平老街を散策、長沙から上海に着いたのは夜中になりました。

上海市 岳陽楼区の朝、外を見ると朝日が靄っています。洞庭湖が真西に迫り、朝靄がかかる日が多いとのことです。
岳陽楼区の朝、外を見ると朝日が靄っています。洞庭湖が真西に迫り、朝靄がかかる日が多いとのことです。
上海市 長沙市東風路、7時半に岳陽を出発、10時に湖南省博物館前に到着。入場を待つ列は博物館を出て東風路へ続く。
長沙市東風路、7時半に岳陽を出発、10時に湖南省博物館前に到着。入場を待つ列は博物館を出て東風路へ続く。
上海市 発掘、1972年長沙市馬王堆で前漢墓1号を発掘、良好な保存状態の女性遺体(湿屍)と副葬品が多数発見された。
発掘、1972年長沙市馬王堆で前漢墓1号を発掘、良好な保存状態の女性遺体(湿屍)と副葬品が多数発見された。
上海市 発掘再開、華国鋒(毛の後に主席)が周恩来総理に指示を仰ぎ、総理が再開を指示、1973-74年に2号3号墓を発掘。
発掘再開、華国鋒(毛の後に主席)が周恩来総理に指示を仰ぎ、総理が再開を指示、1973-74年に2号3号墓を発掘。
上海市 被葬者、2号墓は前漢初期の長沙国丞相、初代軑侯の利蒼、1号墓は妻の辛追、3号墓は息子の利豨と判明した。
被葬者、2号墓は前漢初期の長沙国丞相、初代軑侯の利蒼、1号墓は妻の辛追、3号墓は息子の利豨と判明した。
上海市 漆六博具(しつりくはくぐ)、利豨の墓から出土。六博は漢代に流行したゲーム。18面サイコロを振り駒を進める。
漆六博具(しつりくはくぐ)、利豨の墓から出土。六博は漢代に流行したゲーム。18面サイコロを振り駒を進める。
上海市 竽(う)、辛追の墓から出土。笙に似るが、笙より大きく音が低い。当時、竽は人気があったことを示している。
竽(う)、辛追の墓から出土。笙に似るが、笙より大きく音が低い。当時、竽は人気があったことを示している。
上海市 「君幸酒」雲紋漆耳杯、辛追の墓から出土。酒器です。杯中央に書かれた「君幸酒」は酒を進める言葉。
「君幸酒」雲紋漆耳杯、辛追の墓から出土。酒器です。杯中央に書かれた「君幸酒」は酒を進める言葉。
上海市 (奥)漆案と杯盤、案とは短い足がある食盤。辛追の墓から出土、投影は出土状況。(手前)「君幸酒」漆耳杯。
(奥)漆案と杯盤、案とは短い足がある食盤。辛追の墓から出土、投影は出土状況。(手前)「君幸酒」漆耳杯。
上海市 六子漆奩(れん)、辛追の墓から出土。奩とは化粧箱。6個の小箱に投影で示す化粧用具と日用品が入れてある。
六子漆奩(れん)、辛追の墓から出土。奩とは化粧箱。6個の小箱に投影で示す化粧用具と日用品が入れてある。
上海市 綺地「乗雲綉」、辛追の墓から出土。綺(き)とは綾文様のある薄い絹織物。ロック刺繍で雲間の鳳を描く。
綺地「乗雲綉」、辛追の墓から出土。綺(き)とは綾文様のある薄い絹織物。ロック刺繍で雲間の鳳を描く。
上海市 朱紅菱紋羅糸綿衣、辛追の墓から出土。朱菱紋羅を生地、素絹を裏と縁に内は真綿。朱は辰砂を使い鮮やか。
朱紅菱紋羅糸綿衣、辛追の墓から出土。朱菱紋羅を生地、素絹を裏と縁に内は真綿。朱は辰砂を使い鮮やか。
上海市 T形帛画(はくが)、辛追の墓から出土。帛画とは平織の絹布に描いた絵、形はT字形で内棺の蓋上に置いていた。
T形帛画(はくが)、辛追の墓から出土。帛画とは平織の絹布に描いた絵、形はT字形で内棺の蓋上に置いていた。
上海市 帛画の意味、天上、人間、地下の3世界を神話の世界と融合させ、辛追が龍に乗って昇天する主題を描いている。
帛画の意味、天上、人間、地下の3世界を神話の世界と融合させ、辛追が龍に乗って昇天する主題を描いている。
上海市 天上の右上、太陽の中に金烏(長沙のホテルでも見ましたね)、下に扶桑の木と八個の小さな太陽が描かれている。
天上の右上、太陽の中に金烏(長沙のホテルでも見ましたね)、下に扶桑の木と八個の小さな太陽が描かれている。
上海市 辛追第3棺、四重棺、外棺は黒漆、第2棺は黒漆に雲気紋と彩色画、第3棺は朱漆に瑞祥図、内棺は黒漆に錦装飾。
辛追第3棺、四重棺、外棺は黒漆、第2棺は黒漆に雲気紋と彩色画、第3棺は朱漆に瑞祥図、内棺は黒漆に錦装飾。
上海市 内棺、帛画と蓋を取ると袍が2枚、遺体は帯で縛られ18枚の経帷子を着、顔を錦で覆い四肢は縛られている。
内棺、帛画と蓋を取ると袍が2枚、遺体は帯で縛られ18枚の経帷子を着、顔を錦で覆い四肢は縛られている。
上海市 遺体保存、良好に保存できた理由、①地中深く埋葬、②木炭と白膏泥、四重棺が密封、③棺液が辰砂を含み防腐。
遺体保存、良好に保存できた理由、①地中深く埋葬、②木炭と白膏泥、四重棺が密封、③棺液が辰砂を含み防腐。
上海市 利源隆高橋茶葉城店、博物館を出て東風路で昼食を取り、新しく出来た高橋茶葉城店で呉昱瑾と待合せます。
利源隆高橋茶葉城店、博物館を出て東風路で昼食を取り、新しく出来た高橋茶葉城店で呉昱瑾と待合せます。
上海市 店内、すっきりしています。外観も内部もモノトーンに纏め、ライトで照らすことで暖かさを出しています。
店内、すっきりしています。外観も内部もモノトーンに纏め、ライトで照らすことで暖かさを出しています。
上海市 1階茶席、こじんまりと居心地の良い茶席です。呉昱瑾は洞市旅行の疲れも見せず、スマホを片手に商談中です。
1階茶席、こじんまりと居心地の良い茶席です。呉昱瑾は洞市旅行の疲れも見せず、スマホを片手に商談中です。
上海市 火宮殿坡子街本店、元は火神廟、清代に火宮殿が建ち、その後火事で一帯が屋台街に、1956年国営飲食店化。
火宮殿坡子街本店、元は火神廟、清代に火宮殿が建ち、その後火事で一帯が屋台街に、1956年国営飲食店化。
上海市 毛沢東来店、1958年毛主席が来店、臭豆腐を食べ「火宮殿の臭豆腐は匂うと臭いが食べると美味い」と褒めた。
毛沢東来店、1958年毛主席が来店、臭豆腐を食べ「火宮殿の臭豆腐は匂うと臭いが食べると美味い」と褒めた。
上海市 臭豆腐、発酵させた真っ黒な漬け汁に豆腐を一晩漬け、黒く変色した豆腐を揚げて激辛タレをかけて食べます。
臭豆腐、発酵させた真っ黒な漬け汁に豆腐を一晩漬け、黒く変色した豆腐を揚げて激辛タレをかけて食べます。
上海市 坡子街、火宮殿から坡子街を西へ歩くとの坡子街と記された牌坊が立ちます。奥のビルの間に岳麓山が見える。
坡子街、火宮殿から坡子街を西へ歩くとの坡子街と記された牌坊が立ちます。奥のビルの間に岳麓山が見える。
上海市 太平老街、坡子街牌坊から北へ歩き、南は解放路から北は五一路までが老街です。古い街並みに店が並びます。
太平老街、坡子街牌坊から北へ歩き、南は解放路から北は五一路までが老街です。古い街並みに店が並びます。
上海市 牌坊、五一路に面して太平老街と記された牌坊が立ちます。ここで車と待合せて長沙空港へ向かいます。
牌坊、五一路に面して太平老街と記された牌坊が立ちます。ここで車と待合せて長沙空港へ向かいます。
上海市 長沙黄花空港T2、38番搭乗口から上海航空FM9396に搭乗、座席は後尾右窓側57K、ほぼ定時に出発します。
長沙黄花空港T2、38番搭乗口から上海航空FM9396に搭乗、座席は後尾右窓側57K、ほぼ定時に出発します。
上海市 虹橋空港、機体はT1近くに沖止めとなり、タラップを下ります。バスで空港内をほぼ半周してT2に到着します。
虹橋空港、機体はT1近くに沖止めとなり、タラップを下ります。バスで空港内をほぼ半周してT2に到着します。
上海市 虹橋空港、荷物を取って車が待っている駐車場へ着いたら零時半、これから虹橋美爵酒店に向かいます。
虹橋空港、荷物を取って車が待っている駐車場へ着いたら零時半、これから虹橋美爵酒店に向かいます。

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