活動データ
タイム
00:00
距離
0m
のぼり
0m
くだり
0m
活動詳細
すべて見る高取山の下山途中、太陽の時刻は入日の頃だったが、折角だから少し山を登り戻して、五百羅漢石にも寄る事にした。 すると、思った通りにこの辺りからの夕景は美しく、一期一会の今日の落日を写真撮影できた。 刻一刻と変わる夕日は慌ただしく過ぎたが、手を止めるしかない。蚊に少しは刺されながらも写真の手ぶれをとめるのに苦労する。 羅漢さんや落日のシヨ―には上ってきた甲斐があった。 このあと、お里・沢一の浪曲で知られる、壺阪寺を右に見て、通る。残念ながらもう閉門を過ぎた時間であり、お参りも御朱印ともにダメだった。 おもえば昔、未だ若さ溢れる二十歳代の、ここが奈良らしい古寺の趣深くあった頃に、すこし寺に通った事があった。壺心会に入り般若心経の意味や仏教教義を、確か当時の常磐照厳管主?から一週間ほど講演を受けた事がある。お陰で般若心経で謂う、「無や色」について自分なりに分った気がしたものだった。 水も買えて、歩き続けるとようやく起点の壺阪山駅に帰り着いた。 もうどっぷりと日の落ちた頃だった。 少し遅れて着いた電車に乗り、 あとは帰路の途中で、夕食とビールを堪能して家に戻った。 帰宅後日記を書く。 こうしていると、十代の昔にラジオでよく聴いた、お里沢市の浪曲、「壺阪霊験記」を聞きたくなった。これは作者不詳で明治時代作の浄瑠璃らしい。 何十年ぶりかの浪花節をきいてみた。脳内になんとも言えない懐かしさが溢れた。舞台の山地を歩いて景色を知ればまた、いい気分で聴けるのである。歩いた情景を思い、昔を偲んで浪花節を楽しめた。話の筋もいい内容である。 沢市を55石で植村家が召抱えたそうだから、勧善懲悪のハッピーエンドストーリーだ。 高取藩いい領主だったんだね。 今回この様に昔を呼び起こす山行きとなった。
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