活動データ
タイム
05:14
距離
23.9km
のぼり
801m
くだり
791m
活動詳細
すべて見る夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ〜清少納言 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関〜蟬丸 名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな〜三条右大臣 山の中で、光の射す方へ! そこは私にとってのタイムマシン、どこでもドア‼︎ 非日常の世界、いにしえの世界、懐かしい世界、明るい未来の世界へ行ける気がします 静かな山で、野球場からの女子高生のアナウンスが心地よいです 逢坂山、別名「関山」 山から湖西側、大津市街を眺められるのは逢坂山だけだそうです 無事下山後は、膳所へ。 膳所藩出身の杉浦重剛氏は、貢進生に選ばれ東京に下り後の東大である大学南高で「日英同盟」の小村寿太郎氏と出会い友情を深めたとのことです。杉浦先生は、膳所高校の校祖。東大予備門の校長時代の在校生に正岡子規や夏目漱石がいました。膳所高校は、藩校・遵義堂があった場所です その後、立木観音〜立木山に訪問致しました。 活動日記は後ほど。 宜しくお願い致します 相坂を うち出てみれば 淡海の海 白木綿花(しらゆうはな)に 波立ちわたる (万葉集) 本日も感謝‼︎ ◎長等神社◎三尾神社◎藤尾神社◎大津大神宮◎蟬丸神社◎膳所神社◎粟津神社 ◉JR大津京駅◉三井寺◉三井寺(園城寺)の創設は天智天皇の計画と言われていますが、その後の壬申の乱で中断◉天武朝になり「長等山園城寺」の勅願を賜ったのが始まりといわれています、686年◉寺内には名泉があり、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられたので、御井(みい)の寺と呼ばれ、それが三井寺になったとの謂れがあります◉三井寺の梵鐘は音色の美しいことで知られています。打ってみると、やや高く柔らかい音が心を暖かく包み込んでくれているようです ◉皇子山球場◉高校野球滋賀大会◉皇子山総合運動公園陸上競技場◉京阪電車◉弘文天皇御陵参拝道◉山ノ上迎賓館◉琵琶湖疎水◉長等公園◉ 平忠度歌碑 ◉東海自然歩道分岐点◉小関越え◉琵琶湖疎水 第一堅坑◉普門寺◉長等山に向かうもスマホ落とし来た道戻る◉小関峠 峠の地蔵◉石造小関越道標◉逢坂の関◉鈴鹿関(三重県)、不破関(岐阜県)と共に三関の一つ ◉「膳所」天智天皇が都を大津へ遷したとき、当地を御厨所(厨=料理をする所)と定めました◉それ以前は、琵琶湖岸の田園で「浜田」と呼ばれていました◉以後「陪膳(おもの)の浜田」となりました◉おもの=天皇のめしあがりもの◉膳所となったのは「陪膳の所」と言う意味からだそうです◉全国で所を、「せ(ぜ)」と読む地名は、奈良の御所市をごせし、当地のぜぜの2件だけだそうです◉膳所城趾◉日本三大湖城の一つ◉大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つ◉水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水に浮かぶは膳所の城」と謡われています◉近江大橋◉蘆花浅水荘◉膳所焼美術館◉落ち着いた雰囲気で、お茶と日本庭園を楽しんだ後に膳所焼を眺める◉併設している陶房では窯も見ることができ、歴史と文化を感じられます◉隠れ家のような素敵な美術館 ◉杉浦重剛先生誕生地◉膳所烈士墳墓所◉安昌寺◉膳所神社表門◉膳所高校◉遵義力行◉「遵義」誠実な心で、真理と正義を追求し、人類の未来に貢献しようとすること◉「力行」自主・自律を尊び、心身を鍛え、高い理想に向かおうとすること◉正しい道に寄り添い遵(したが)うことを意味する「遵義」の精神と、自らの志の実現に向かって逞しく努力を重ねる「力行」の姿勢◉膳所高校は膳所藩遵義堂跡◉JR膳所駅
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