「歴史の里」清川を歩いて楽しむ。

2019.07.04(木) 日帰り

何故ここが歴史の里なのか? 今までここを歩いた事が無くその認識もなかった。 そこで立川地域振興係発行のリーフレットを片手に歴史探訪をしてきた。 まずは、予備知識から。 源義経と武蔵坊弁慶一行が平泉に逃れる際に一夜の宿にした神社がある。 出羽三山詣での登拝口だった。 荘内藩の関所(五ヶ所あるうちのひとつ)があった。 松尾芭蕉が奥の細道で最上川からここに上陸した。 明治維新回天の魁といわれる清河八郎生誕の地であり墓がある。 戊辰の役古戦場(清川口合戦) 西郷隆盛もここへ上陸した。 戊辰戦争の官軍墳墓、庄内軍墓がある。 北楯大堰などなど。 なるほどね〜ナットク! ☆リーフレットからズルして抜粋引用。m(_ _)m *ここから芭蕉が歩いた道は、羽黒山参詣古道(蜂子ルート)に繋がり、清河八郎が18歳で単身江戸へと旅立った山道は回天の道(肝煎~添川)として地元の清河八郎顕彰会がウォーキングを企画したりしています。 *荘内藩清川関所、川口番所・船見番所の観光拠点施設が新しくなりまた。

JR東日本 陸羽西線 清川駅(無人駅)からスタート

JR東日本 陸羽西線 清川駅(無人駅)からスタート

JR東日本 陸羽西線 清川駅(無人駅)からスタート

歩いて楽しんでこよっと

歩いて楽しんでこよっと

歩いて楽しんでこよっと

ここから御諸皇子神社へ

ここから御諸皇子神社へ

ここから御諸皇子神社へ

鳥居の、前に線路がある

鳥居の、前に線路がある

鳥居の、前に線路がある

東隣にある歓喜寺

東隣にある歓喜寺

東隣にある歓喜寺

まずは歓喜寺から、
手前の精進橋を渡る

まずは歓喜寺から、 手前の精進橋を渡る

まずは歓喜寺から、 手前の精進橋を渡る

北楯大堰

北楯大堰

北楯大堰

何故ここに聖徳太子なのか

何故ここに聖徳太子なのか

何故ここに聖徳太子なのか

金華山歓喜寺

金華山歓喜寺

金華山歓喜寺

列車の音が聞こえたので振り返ってみると、お寺と神社のすぐ前を通るディーゼル気動車、
駅みたくなってる画

列車の音が聞こえたので振り返ってみると、お寺と神社のすぐ前を通るディーゼル気動車、 駅みたくなってる画

列車の音が聞こえたので振り返ってみると、お寺と神社のすぐ前を通るディーゼル気動車、 駅みたくなってる画

清河八郎の墓は歓喜寺にある

享年34歳(1830-1863)

清河八郎の墓は歓喜寺にある 享年34歳(1830-1863)

清河八郎の墓は歓喜寺にある 享年34歳(1830-1863)

斎藤治兵衛家墓所、
清河八郎は斎藤家の長男、
中に入ると

斎藤治兵衛家墓所、 清河八郎は斎藤家の長男、 中に入ると

斎藤治兵衛家墓所、 清河八郎は斎藤家の長男、 中に入ると

清河八郎の墓
墓表は山岡鉄舟の書
隣には妻お蓮や弟の墓もある

清河八郎の墓 墓表は山岡鉄舟の書 隣には妻お蓮や弟の墓もある

清河八郎の墓 墓表は山岡鉄舟の書 隣には妻お蓮や弟の墓もある

戊辰の役庄内軍墓

戊辰の役庄内軍墓

戊辰の役庄内軍墓

次は御宮橋を渡り御諸皇子神社へ

次は御宮橋を渡り御諸皇子神社へ

次は御宮橋を渡り御諸皇子神社へ

報恩坂の

報恩坂の

報恩坂の

石段を登ると

石段を登ると

石段を登ると

石の鳥居があり

石の鳥居があり

石の鳥居があり

隣にあるのが

隣にあるのが

隣にあるのが

御諸皇子神社。
源義経、武蔵坊弁慶ゆかりの場所、
ここからさらに奥州平泉へと旅立ったのですね

御諸皇子神社。 源義経、武蔵坊弁慶ゆかりの場所、 ここからさらに奥州平泉へと旅立ったのですね

御諸皇子神社。 源義経、武蔵坊弁慶ゆかりの場所、 ここからさらに奥州平泉へと旅立ったのですね

8月18日には例大祭があり獅子神楽が奉納されて山車が練り歩くそう

8月18日には例大祭があり獅子神楽が奉納されて山車が練り歩くそう

8月18日には例大祭があり獅子神楽が奉納されて山車が練り歩くそう

中には大絵馬がある

中には大絵馬がある

中には大絵馬がある

また石段を登りここにも社があり

また石段を登りここにも社があり

また石段を登りここにも社があり

更に登りここにも社、
まだありました

更に登りここにも社、 まだありました

更に登りここにも社、 まだありました

蘭山(あららぎやま)と最上川、手前は国道47号線

蘭山(あららぎやま)と最上川、手前は国道47号線

蘭山(あららぎやま)と最上川、手前は国道47号線

下って山門に

下って山門に

下って山門に

吽形那羅延金剛力士

吽形那羅延金剛力士

吽形那羅延金剛力士

阿形密迹金剛力士

阿形密迹金剛力士

阿形密迹金剛力士

北楯大堰に沿って歩く

北楯大堰に沿って歩く

北楯大堰に沿って歩く

東北自然歩道
向こうに見えるのが大越山の無線塔

東北自然歩道 向こうに見えるのが大越山の無線塔

東北自然歩道 向こうに見えるのが大越山の無線塔

水神大権現

水神大権現

水神大権現

大堰取水口の前にある

大堰取水口の前にある

大堰取水口の前にある

大堰取水口

大堰取水口

大堰取水口

腹巻山は戊辰戦争の官軍陣地

腹巻山は戊辰戦争の官軍陣地

腹巻山は戊辰戦争の官軍陣地

戊辰の役古戦場(清川口合戦)
鉄橋を渡るディーゼル気動車

戊辰の役古戦場(清川口合戦) 鉄橋を渡るディーゼル気動車

戊辰の役古戦場(清川口合戦) 鉄橋を渡るディーゼル気動車

国道47号線を歩く

国道47号線を歩く

国道47号線を歩く

最上川と左手の蘭山
この山も官軍の陣地だった
最上川と立谷沢川を挟んでの合戦

最上川と左手の蘭山 この山も官軍の陣地だった 最上川と立谷沢川を挟んでの合戦

最上川と左手の蘭山 この山も官軍の陣地だった 最上川と立谷沢川を挟んでの合戦

船着場跡、
この国道は盛土して出来ていて、当時はこの高さの道は無かった

船着場跡、 この国道は盛土して出来ていて、当時はこの高さの道は無かった

船着場跡、 この国道は盛土して出来ていて、当時はこの高さの道は無かった

国道から見える建物が船見番所、
車で新庄方面からお越しの際は、ここから左手へ

国道から見える建物が船見番所、 車で新庄方面からお越しの際は、ここから左手へ

国道から見える建物が船見番所、 車で新庄方面からお越しの際は、ここから左手へ

船見番所の土台も国道の高さにあわせてある、
当時の建物は平屋だったそう
苦肉の策?

船見番所の土台も国道の高さにあわせてある、 当時の建物は平屋だったそう 苦肉の策?

船見番所の土台も国道の高さにあわせてある、 当時の建物は平屋だったそう 苦肉の策?

芭蕉はここから羽黒山、月山へと向かいました

芭蕉はここから羽黒山、月山へと向かいました

芭蕉はここから羽黒山、月山へと向かいました

「五月雨を〜」はここに来る前に舟で詠んだ句

「五月雨を〜」はここに来る前に舟で詠んだ句

「五月雨を〜」はここに来る前に舟で詠んだ句

井戸は元々この場所にあった

井戸は元々この場所にあった

井戸は元々この場所にあった

関所があった当時は、ここにあった榎の大木が下ってきた舟から見えた
船着場の目印になっていた

関所があった当時は、ここにあった榎の大木が下ってきた舟から見えた 船着場の目印になっていた

関所があった当時は、ここにあった榎の大木が下ってきた舟から見えた 船着場の目印になっていた

川口番所、施設の中は撮影禁止、
戊辰戦争の資料も展示している

川口番所、施設の中は撮影禁止、 戊辰戦争の資料も展示している

川口番所、施設の中は撮影禁止、 戊辰戦争の資料も展示している

明治天皇行在所石碑がある

明治天皇行在所石碑がある

明治天皇行在所石碑がある

清川小学校、清川中学校跡地

奥の杉林が1717年(享保2)防風林として庄内藩主が植えた御殿林

右手に清河八郎記念館と清河神社がある

清川小学校、清川中学校跡地 奥の杉林が1717年(享保2)防風林として庄内藩主が植えた御殿林 右手に清河八郎記念館と清河神社がある

清川小学校、清川中学校跡地 奥の杉林が1717年(享保2)防風林として庄内藩主が植えた御殿林 右手に清河八郎記念館と清河神社がある

ここに生家があった、
西隣には清川保育園

ここに生家があった、 西隣には清川保育園

ここに生家があった、 西隣には清川保育園

駅へ向かう

駅へ向かう

駅へ向かう

駅に到着、
これ今日の足
これで🛵国道走るとスリル満点、
家路をまた、ビビりながら帰りますっ💦

駅に到着、 これ今日の足 これで🛵国道走るとスリル満点、 家路をまた、ビビりながら帰りますっ💦

駅に到着、 これ今日の足 これで🛵国道走るとスリル満点、 家路をまた、ビビりながら帰りますっ💦

新庄市から先は陸羽東線、
今日も楽しく歩いてきました。
けど、最近の活動が山レポじゃなくなっている…

新庄市から先は陸羽東線、 今日も楽しく歩いてきました。 けど、最近の活動が山レポじゃなくなっている…

新庄市から先は陸羽東線、 今日も楽しく歩いてきました。 けど、最近の活動が山レポじゃなくなっている…

JR東日本 陸羽西線 清川駅(無人駅)からスタート

歩いて楽しんでこよっと

ここから御諸皇子神社へ

鳥居の、前に線路がある

東隣にある歓喜寺

まずは歓喜寺から、 手前の精進橋を渡る

北楯大堰

何故ここに聖徳太子なのか

金華山歓喜寺

列車の音が聞こえたので振り返ってみると、お寺と神社のすぐ前を通るディーゼル気動車、 駅みたくなってる画

清河八郎の墓は歓喜寺にある 享年34歳(1830-1863)

斎藤治兵衛家墓所、 清河八郎は斎藤家の長男、 中に入ると

清河八郎の墓 墓表は山岡鉄舟の書 隣には妻お蓮や弟の墓もある

戊辰の役庄内軍墓

次は御宮橋を渡り御諸皇子神社へ

報恩坂の

石段を登ると

石の鳥居があり

隣にあるのが

御諸皇子神社。 源義経、武蔵坊弁慶ゆかりの場所、 ここからさらに奥州平泉へと旅立ったのですね

8月18日には例大祭があり獅子神楽が奉納されて山車が練り歩くそう

中には大絵馬がある

また石段を登りここにも社があり

更に登りここにも社、 まだありました

蘭山(あららぎやま)と最上川、手前は国道47号線

下って山門に

吽形那羅延金剛力士

阿形密迹金剛力士

北楯大堰に沿って歩く

東北自然歩道 向こうに見えるのが大越山の無線塔

水神大権現

大堰取水口の前にある

大堰取水口

腹巻山は戊辰戦争の官軍陣地

戊辰の役古戦場(清川口合戦) 鉄橋を渡るディーゼル気動車

国道47号線を歩く

最上川と左手の蘭山 この山も官軍の陣地だった 最上川と立谷沢川を挟んでの合戦

船着場跡、 この国道は盛土して出来ていて、当時はこの高さの道は無かった

国道から見える建物が船見番所、 車で新庄方面からお越しの際は、ここから左手へ

船見番所の土台も国道の高さにあわせてある、 当時の建物は平屋だったそう 苦肉の策?

芭蕉はここから羽黒山、月山へと向かいました

「五月雨を〜」はここに来る前に舟で詠んだ句

井戸は元々この場所にあった

関所があった当時は、ここにあった榎の大木が下ってきた舟から見えた 船着場の目印になっていた

川口番所、施設の中は撮影禁止、 戊辰戦争の資料も展示している

明治天皇行在所石碑がある

清川小学校、清川中学校跡地 奥の杉林が1717年(享保2)防風林として庄内藩主が植えた御殿林 右手に清河八郎記念館と清河神社がある

ここに生家があった、 西隣には清川保育園

駅へ向かう

駅に到着、 これ今日の足 これで🛵国道走るとスリル満点、 家路をまた、ビビりながら帰りますっ💦

新庄市から先は陸羽東線、 今日も楽しく歩いてきました。 けど、最近の活動が山レポじゃなくなっている…