活動データ
タイム
00:00
距離
0m
のぼり
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くだり
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活動詳細
すべて見るお茶は照葉樹林帯の下草的存在植物である。照葉樹林帯は西日本から中国四川雲南インドアッサムまで広がっている。 耕作との関係では焼畑と縁が深いが、日本に自生していたか否かの結論はでていない。 世界には、茶は広東語チャが陸路で、福建語テ一が海路で伝わっている。 日本のお茶の歴史は平安初期に、留学の僧栄西が中国(宋)から 禅宗の茶礼を伝え眠気覚ましの薬効を採用した禅の儀礼として先ず抹茶法で伝わったというのが一般的な教科書的説明だ。しかし実際はもっと以前の年代、西歴815年に遣唐の留学僧南都永忠が在唐生活30年の後帰朝して、滋賀唐崎崇福寺で嵯峨天皇に団茶を煎じて献じているのである。さらにまた天平6年(734年)写経生の食料として荼がある。睡魔防止としてお茶を飲んでいたのかも知れない。荼はにが菜との説もあり断定出来ないのだが。 日本の文化の支(視)点で考えると、茶は礼法、活け花、日本料理、陶芸、 漆芸、書、宗教、建築等々の各要素性と、これらを好い親和性でもってよく結びつけている。これら要素プラス、人と人の寄合性の両面をうまく持ち合せた仕組が茶道なのであろう。 バランスよく支えた、支点に茶という根っ子があつたと言える。 日本的なもの和の様式は、中国式の模倣でなく、日本によって大きく発展昇華され、今も続いているのである。 茶の加工は、蒸す→搗く→成型→炙る。 飲むのは、粉末にする→湯とともに飲む。が基本的な工程。紅茶は加工に発酵が入る。 元は同じなのに、茶は多様である。 私はものづくりがすきで、故に昔のエ場を見るのが好きでもある。今回もたまたま遭遇した。 木津川市には、宇治茶のお茶問屋街がある。山城町上狛東作り道と称する通りである。 いつも静かな佇まいの此処を通ると、時に馥郁たる香りする風の流れに出合うことになる。 今日も山行きの相方と、近くに来たついでに、ここへ車を乗り入れた。 お茶の良い香りが、期待通りスーツと流れている。 少し進と、時折ツバメの入る茶卸売りの人家がある。入口に小売りすると書いてある。入ってツバメを観察し、家人とツバメと蛇の格闘劇を伺って燕の写真撮影もした。 抹茶濃茶を、今臼の引き立てと言うので、良い香りだ。40g買って道をまえに進んだ。 右手道端に、以前も見たお茶の記念碑があった。割に大きな新しい石碑だ、同行者がしばらく読んでいたが、90°向こうに資料館があると言うので、気が付かなかった場所っだった。入る事にした。 拝観料500円。撮影もOK とのことである。約2年前に出来たそうだ。 なかは、他に人は居なくゆっくりの拝観が出来そうだ。気がつくと棚に御茶のお盆組が綺麗に並んでいる、これを持って座敷に座るのがここの流儀のようだ。もう既に同行者は座っている。玉露の入れ方を指南するようである。 用意された茶葉を教えの手順通り淹れて頂くと、玉露のあの旨味と磯のような香りがする。美味しい。3回淹れて呑んだ。これだけでも価値ありだ。 同じ、玉露天雲一袋45g2016円を買った。 あとは工場跡の資料館2つを見て回り、気が付けば既に昼の時間を過ぎていた。ご説明の方ありがとう・・感謝。別れて 道を直進して帰路とした。
動画
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