活動データ
タイム
06:48
距離
15.8km
のぼり
276m
くだり
327m
活動詳細
すべて見る#162 琵琶湖疎水めぐり 【大津~山科~三条コース】 ウォーク距離 15.9 km 京のウォーキング仲間との月一例会です。 江戸時代や明治時代にできた川といえば、鴨川の西を流れる「高瀬川」は、江戸時代に角倉了以(すみのくらりょうい)によって開削されたもので、木屋町通を歩いていると川のせせらぎが爽やかに感じます。(東西に流れる「東高瀬川」と「西高瀬川」もありますが・・・) 明治時代にできた川は、「琵琶湖疏水」で、その流れは鴨川にも負けないほどです。一度訪ねましたが、今回はもう少し生い立ちを勉強すべく、「琵琶湖疏水」調査ウォークです。 ウォークの前に、琵琶湖の勉強から・・・ 昔、琵琶湖から流出する天然河川は瀬田川だけで、このため湖の周辺では水害を繰り返してきたが、1896年の大水害を契機に、1904年に南郷洗堰(なんごうあらいぜき)が建設され琵琶湖の水位がようやく人工的に調節されることになった。 また利水の面では,1890年に琵琶湖疎水(第1疎水)、1912年に第2琵琶湖疎水が完成し、京都市に飲料水を供給するとともに、舟運/発電に利用されるようになった。大正期から昭和初期にかけて、大津/彦根/長浜などの湖岸に用水型の人絹・紡績などの繊維工場が立地した。 その「琵琶湖疏水」の種類は、 はじめに掘られた大津市三保ヶ崎から京都市東山区蹴上までの水路を「第一疏水」、 次いで掘られた先の水路にほぼ沿う全線暗渠のものを「第二疏水」、 南禅寺境内を横切り哲学の道に沿って流れ高野川・賀茂川を横切って堀川に至るものを「疏水分線」、蹴上から出たあと南禅寺船溜を経て平安神宮の前を流れるものを「鴨東運河」、 その水路が夷川ダムを過ぎて一部鴨川に流出しその後鴨川左岸沿いに一部は暗渠となって南下し伏見に至るものを「鴨川運河」と呼ぶ様です。 伏見までの「鴨川運河」ウォークは、次回に予定します。 第1疎水の取水口から第一トンネル(長等山のトンネル)東口まで、一気に歩きます。 残念ながら、第2疎水の取水口の写真は撮っていません。途中、三井寺駅があります。 第一トンネル東口から、海抜200mの小関まで。 途中、園城寺 観音堂、長等神社、別所山 等正寺、小関地蔵を通り過ぎて、「小関越の道分岐点」左の狭い道を行くと、急な下り坂が続きます。 道を進むと左手に疎水第一トンネル掘削用の第一竪坑跡が現れます。古いレンガが歴史をしのばせています。現在はレンガが崩れるなどのため金網で囲われ、立ち入りできない。。。 第一疏水の第一トンネルは、三井寺下と藤尾の両側から掘り進められ、藤尾から約740m(第一トンネルの全長の3分の1)の地点に第一立坑を掘り下げて、その底から三井寺下、藤尾の東西両側の出入り口に向けて掘り進めることで切羽の数を増やし、工期短縮と完成後の通風を図っているとのことでした。 さらに下ると普門寺前の車道にで、少し歩くと右手にコンビニがあり、ここで小休止。 そこを右に曲がると疏水の擁壁が見えて、再び琵琶湖疎水の第一トンネル西出口に出会えます。 始め南側の工事中の車道を歩くことになるが、少し行くと車道と別れ、遊歩道が疏水に沿って続いて行きます。 「藤尾緊急遮断ゲート」、JRに掛る跨線橋が。 跨線橋からは湖西線、東海道本線を行き交う列車を見ることができます。 流れはやがて池のような四ノ宮舟溜へ。ここで、舟運の荷揚げや人の乗り降り、船頭の休息場所などの目的で作られたのが「船溜り」。ここで昼食休憩です。 次は、諸羽トンネルです(長さ522m)。このトンネルは昭和45年(1970)に湖西線の工事に伴って作られたもので、埋め立てられた旧流路の遊歩道を歩きます。 この諸羽トンネルのところから第二トンネルの入口まで延長約4Kmは「東山自然緑地公園」としてベンチや東屋などが整備されております。 諸羽トンネルの先に掛かるのが安祥寺橋。その安祥寺橋の水路閣から立体交差する安祥寺川を望むことができます。橋の先には桜、紅葉の名所として名高い門跡寺院「毘沙門堂」があります。 安祥寺の船溜りを経て、南側の遊歩道を進むと鬱蒼とした森の「天智天皇陵」があります。そこを抜けると朱塗りの鮮やかな正嫡橋が。日蓮宗本山の本圀寺への参道です。 途中南側に、栗原邸 (旧鶴巻邸)があります。この建物は本野精吾が武田五一の招聘を受けて勤務していた京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の校長で、染織家でもあった鶴巻鶴一氏の自邸として昭和4年に建てられたものです。この建物は、現在も、購入者を探しており、建物の歴史的・文化的価値を継承し、長く居住もしくは活用してくださる方を希望しているとのことです。 水路は第二トンネル(124m)へ。 トンネル東口の扁額は井上馨の「仁似山悦智為水歓歡(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ)」(仁者は知識を尊び,知者は水の流れをみて心の糧とする)。 西口の扁額は西郷従道の「隨山到水源(やまにしたがいすいげんにいたる)」(山にそって行くと水源にたどりつく)。 第二トンネルを過ぎると山側に、疏水を新山科浄水場に送るための「新山科浄水場取水池」の大きな施設が現れ、これを過ぎると一人やっと通れるような古びたコンクリートの橋がかかっています。 これが明治36年に建造された、我が国最初の鉄筋コンクリート橋です。 「本邦最初鐵筋混凝土橋」という文字が刻まれている碑があります。 このコンクリート橋の先が第三トンネル(850m)の東口になり、扁額西は松方正義の「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」(時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる)。 ここからは、一旦三条通りに抜けて蹴上方面に向かいます。 昔の京津線の路面電車の跡((蹴上駅-九条山駅-日ノ岡駅)を尋ねます。 「粟田口名号碑」 九条山に向かう三条通り沿い。日ノ岡を過ぎたあたりに粟田口名号碑があります。こちらが日ノ岡刑場跡を示すものでしょう。 「九条山 車石広場」 逢坂ノ関で描かれていた牛車のレプリカが展示されています。車石の溝に車輪が入り、まるでレールのようになっています。 在りし日の京阪京津線、このあたりで併用軌道となっていました。 「旧舗石 車石の名磐」 かつて、東海道の難所だった日ノ岡から蹴上にかけての峠に車石を敷き、荷車が通りやすいようにしていた名残です。大きな役割を果たした車石が再現されています。 「粟田口刑場跡」 南側に崖が迫る。小さな石段がつけられており、切り開いた薄暗い薮に通じている山裾に墓碑が2基のみ、互いに少し離れて立っています。 夏草に覆われて見にくいですが、「萬霊供養塔」「南無阿弥陀仏」と刻まれ停るようです。 「京津線 九条山駅跡」 京津線の廃線区間の途中駅としては唯一、専用軌道上にホームがあった。そのため、京津線の現存駅と同様、高床ホームであり、ステップを用いずに乗降できた。 「全和鳳美術館」 九条山バス停あたりにそびえ立つ元美術館昔はが、当時京阪電車が路面電車だったころ確認できたそうです。今となってはいつ崩れ落ちるかわからないような状態。全和凰(ぜんわこう)というのは1909~1993を生きた画家。 ここから、琵琶湖疎水に戻ります。 第3トンネルの西口にある旧九条山浄水場原水ポンプ室/浄水場です。 第一疏水の第三トンネル出口と第二疏水合流出口があり、第三トンネル出口には三条実美の「美哉山河(うるわしきかなさんが)」(なんと美しい山河であろう)の扁額が、掲げられています。 流れ出た水は蹴上船溜りへ。船溜りの出口に架かる「大神宮橋」からは船溜り、蹴上浄水場の取水口の向こうにネオ・ルネッサンス風レンガ作りの「九条山ポンプ室」が見えます。 インクライン付近で、琵琶湖疏水は、2つに分かれます。 そのまま進むと三条通。 ひとつは、南禅寺の境内から哲学の道を北に進む疎水分線です。 哲学の道の北側まで流れてきた疎水は、西へと進路を変え、高野川と賀茂川を横切り、堀川まで続いています。疎水分線が南から北に向かって流れていることです。実は仕掛けなど何もないのです。水は高いところから低いところへ流れる。つまり疎水の水は、京都よりも高い位置にある琵琶湖から流れてきているのです。 「ナイアガラフォール」との呼ばれている流量を調節する疏水分線への越流堰があります。 インクライン跡にはいまも舟を運ぶ台車用のレールがそのまま残っており、蹴上の船溜りから南禅寺船溜りまでの途中に、台車と舟がレールの上に保存されています。 琵琶湖疏水記念館に行き、「琵琶湖疏水とは」というより、「どのようにして琵琶湖疏水が作られたのか」に重点が置かれた展示で勉強できます。 また南禅寺船溜りには立派な噴水があり、高く水を吹き上げています。 南禅寺船溜りから鴨川の東堤防までが「鴨東運河」。船溜りからまっすぐ西に向かい、京都会館の裏手で北に、二条通を越えて再び西に転じ、そのまま夷川ダムを経て鴨川に至ります。 鴨川流れでるところから分岐して、伏見に至る「鴨川運河」があります。 並行して走る、鴨川沿いの散策路も疎水を超えるので「田辺小橋」という橋があります。この「田辺小橋」の真上に「賀茂川四季の歌碑」があり、四季の鴨川が詠われています。 桜花ちりかひかすむ春の夜のおぼろ月夜のかもの川風 実朝 ちはやぶるかもの川べの藤波はかけてわするゝ時のなきかな 兵衛 心すむためしなりけりちはやぶるかものかはらの秋の夕ぐれ 後鳥羽院 霜うづむかものかはらになく千鳥氷にやどる月やさむけき 良経 記事の一部の文面に使わせて頂いています。 http://yumin2.jp/ 地下鉄三条京阪駅=びわ湖浜大津~大津港ターミナル~長等神社~小関越~琵琶湖疏水第1竪坑~普門寺~ローソン 藤尾小金塚店~琵琶湖疏水 四ノ宮舟溜~昼食休憩~安朱橋~展望広場~本圀寺~栗原邸 (旧鶴巻邸) ~封ジ山北児童公園~三条通り~粟田口名号碑~九条山 車石広場~旧舗石 車石の名磐~粟田口刑場跡~京津線 九条山駅跡~旧九条山浄水場原水ポンプ室/浄水場~蹴上のねじりまんぽ~蹴上インクライン~巨大な輝きの像~琵琶湖疏水記念館~仁王門通り~冷泉通り~京都市 上下水道局 疏水事務所~関西電力 夷川発電所~鴨川四季の歌碑/田辺小橋~鴨川運河~三条大橋~京阪祇園四条駅 本日の出発から帰宅までの歩数: 30,430歩 (実効距離 21.3km ) 歩行中の補給水分: 1.0リットル 【琵琶湖疏水とは】 https://biwakososui-museum.jp/about/ https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000243416.html 京都の偉大な産業遺産である「琵琶湖疏水」は、大津市観音寺から京都市伏見区堀詰町までの全長約20kmの「第1疏水」、全線トンネルで第1疏水の北側を並行する全長約7.4kmの「第2疏水」、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3kmの「疏水分線」などから構成され、今も現役で活躍している施設です。 第1疏水と第2疏水 京都市上下水道局では,琵琶湖疏水(第1疏水)の流下能力を回復するため,毎年冬期に停水し,疏水路内の土砂の浚渫(しゅんせつ)及び清掃作業を行っています。 また,今年度についても昨年度に引き続き, 第1疏水の機能維持のため,第1トンネルの補修工事を行うこととしています。第2疏水については、水道水源として1年中取水しており,停水は行いようです。 第1疏水の完成と合わせて、日本で最初の事業用水力発電所として「蹴上発電所」が建設され、疏水の水を使って発電し、電燈や工場動力に利用されました(電気事業)。また、運河を開さくし、大津や伏見、大阪との間で米・炭・木材・石材などが舟で運搬されるとともに、観光客を乗せた遊覧船も多く行き交いました(舟運事業)。そのほか、精米や紡績などにも利用される(水力事業)とともに、東本願寺や京都御所では防火用として、南禅寺界隈の別荘群では庭園用水として、疏水の水を引き込みました。 平成11(1999)年には、水道水源である第2疏水の取水対策として、第1疏水より約20メートル深い位置に新たに第2疏水連絡トンネル(バイパストンネル)を建設し、水道原水の安定供給の強化を図りました。そして現在も、日々適切な維持管理を行いながら、豊かで美しい水を保つための努力を続けています。
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