活動データ
タイム
03:21
距離
4.8km
のぼり
326m
くだり
326m
活動詳細
すべて見る浅田彰「逃走論ースキゾ・キッズの冒険」 (1984年発刊の書物) 「男たちが逃げ出した。家庭から、あるいは女から。どっちにしたってステキじゃないか。女たちや子どもたちも、ヘタなひきとめ工作なんかしてる暇があったら、とり残されるより先に逃げたほうがいい。行先なんて知ったことか。とにかく、逃げろや逃げろ、どこまでも、だ。」 90年代の中頃、京都で大学時代を過ごした(京大じゃないです。念のため)。文化系の学生の間では、京大の研究者だった浅田彰が現代思想最高の知性として、もてはやされていた。 二十歳の俺は、この人の言うことが気にくわなかった。その思想が、中年の無理な若作りに聞こえて、恥ずかしいおっさんだと思っていた。 おっさんになった私は、山を歩くようになった。 憧れのくじゅうの、ほんの入り口を歩くことにした。本当は男池から平治岳に行きたかったが、家からバイクで片道2時間、夕方5時には出社して大切なミーティングをしないといけない。 諦めて、黒岩山から大崩の辻を目指すことにした。 大崩の辻、webで調べたら、訪れる人も少ない、良さそうな場所だった。ヤマップの道も破線のマイナー感が漂っている。 なにより、名前がいい。 大きく崩れた辻。 そりゃあ、生きてたら崩れることもあろうよ、と思いながら歩いた。 歩きながら考えた。 山歩きって、浅田の言ってた逃走みたいだ。 昔、浅田信者みたいな京大生と話してたら「逃走論における逃走とは、単純に逃げることじゃない。特定の価値観に捉われることを、積極果敢に拒否することだ」と言ってたが、「そりゃ知ってるけど、疲れたおっさんの弱音だろ」と笑って否定したことを思い出す。 でも、山歩きは逃走に似ている。色んな意味で、娑場にいたくないから山を歩く。山から帰ると、街の渋滞とかセセコマシイ景色が、気味悪く思ったりする。 街なんて、嫌だ。こんなキモい場所に絡め捕られるなんて、ツマラン人生だ、とも思う。 あれ、これやっぱり逃走じゃねえの? 「私も疲れたおっさんになった疑惑」が拭えない。けれど疲れながらに、粘る私の心は「いや、違うね。譲らないために、山で息継ぎしてんだろ」と反論する。 私は、白髪が生え始めた頭を捻って、破れかぶれな気持ちになって、大きく崩れた辻を目指す。 黒岩山はいいところだった。 くじゅうの中では初心者向けで、初心者はそもそも、くじゅうに来ないのだろうから、人が少ない。集団というのが大嫌いな私には合っている。しかも、山が深く連なっていく雰囲気は味わえて、とてもよい。 暑いのを我慢して、私は進む。 やがて、ヤマップで大崩の辻への分岐点に差し掛かったことを知る。 寂しく破れかぶれな場所を想像して、ワクワクしながら歩を進める。 GPSで確かめる。道が逸れている。 戻る。 確かめて、進む。 また、逸れる。 暑さに苛立ちながら、負けじと進む。木々の下を潜る。低い藪を踏み分ける。 やがて、踏み跡が完全に判らなくなった。 汗が滴って気持ち悪い。タオルで拭うことにする。タオルが無くなっていることに気づく。webで取り寄せた2000円くらいするガーゼ生地のタオルなんですけど、と文句を言おうと思ったが、まわりには誰もいない。しょんぼりする。 時計を確かめて、これからの道筋を考えると、もう戻らないと夕方のミーティングに間に合わない。私が仕切る話し合いなのに、遅れるわけにはいかんでしょう。 私は撤退することにした。撤退とは、逃げることだと思った。浅田の逃走を思い浮かべた。 いい年こいたおっさんが、スキゾ・キッズ気取るんですか。 そう思うとばつが悪い気がしたが、逃げる目的を考えた。 無理して道迷いしないため、大事なミーティングに遅れないため、と思いついて、浅田さん、それ、やっぱりおっさんの理屈ですよ、と、おっさんの私がツッコミを入れていた。 後日談 帰って、久し振りにwebで浅田彰をググった。27才の気鋭の思想家だったこの人も、還暦を過ぎて、どっかの大学院長に収まっていた。 逃走論を振り返って 「冷戦終結以降、急速にグローバル化した資本主義の力は恐るべきもので、逃走の試みの多くは資本主義にのみ込まれた」なんてことを言っていた。 続きがあるようだったが、疲れていたので読むのを止めた。 それからなぜか、浅田さん、どうか頑張ってください、と邪気なく願った。
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