⛩️高祖神社(たかすじんじゃ)

2019.05.23(木) 日帰り

活動詳細

すべて見る

高祖神社から高祖山頂まで 歩いてきた人と山頂で話したことはあるが 僕は叶岳側からと鐘撞山側からしか 歩いたことがない 怡土県主(いとのあがたぬし)の 五十迹手(いとて)を奉斎する場所らしい この五十迹手(いとて)を仲哀天皇が 誉めて「いそし」と言った そこから伊蘇の国というようになった 「伊覩(いと)の国」は訛ったものらしい 五十迹手(いとて)は新羅との戦いでも 神功皇后を大いに助けた その労をねぎらって高祖神社を建てた 【統計的年代論】 安本美典氏の「統計的年代論」によると 神功皇后は390年から410年頃に 活躍した人物とされる 朝鮮半島において 高句麗、百済、新羅が激しい攻防戦を つづけていた時代である 朝鮮の「広開土王碑」には 西暦391年に倭がはじめて海を渡り 朝鮮半島へ攻め寄せてきたことが 刻まれている https://youtu.be/c2glfh8a4Zo

動画

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。