#160 比叡山めぐり 【瓜生山~比叡山~坂本コース】 

2019.05.22(水) 日帰り

活動データ

タイム

05:55

距離

10.7km

のぼり

1037m

くだり

277m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 55
休憩時間
37
距離
10.7 km
のぼり / くだり
1037 / 277 m
30
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18
7
39
2 15
2
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活動詳細

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#160 比叡山めぐり 【瓜生山~比叡山~坂本コース】  ウォーク距離 10.8 km 京のウォーキング仲間との月一例会です。 計画のゴールは坂本駅でしたが、仲間の足トラブルのため、「美術館ガーデンミュージアム比叡」止まりに変更してバスにて帰宅しました。 後半の大比叡・延暦寺・坂本下山コースは次回に回すことにしました。   京都トレイル52-1から日本バプテスト病院の横から入山です。 大山祇神社で無事を祈って、清延山茶山~白幽子厳居之跡~清沢口石切場~狸谷山三十六童子を通って、瓜生山へ到着。ここで昼食は止めて次のスポットまで行くことに。 途中、北城出丸址(白鳥山)で休憩中の7名のお姉さんたちに出会う。その後、石鳥居で遅めの昼食。   昼食後は、水飲対陣跡碑までの三つの沢渡り・・・・下り登りが激しい。 水飲対陣跡碑  ここで修学院からの比叡登山者と合流するのだが誰も来ない。 ここから、ケーブル比叡駅まで長い登坂が続きます。ロープウェイ比叡山頂駅直行の道へ行き途中で引っ返しケーブル比叡駅つきました。 友人の足の具合を勘案しここで、ロープウェイに乗車。   今回は、時間がないので「ガーデンミュージアム比叡」を諦めて、最終(16:00発)バスまで、山田商店でソフトクリームを食しました。 京阪出町柳駅から帰宅。 本日は、登りのみのコースになりました。     出町柳駅~おにぎり屋さん~百万遍~子安観世音~京都トレイル52-1~日本バプテスト病院~大山祇神社~清延山茶山~白幽子厳居之跡~清沢口石切場~狸谷山三十六童子めぐり~瓜生山301m~元将軍地蔵石室~北城出丸址(白鳥山)~石鳥居~三つの沢渡り~水飲対陣跡碑~京都トレイル73-1分岐点~電波塔~やどり地蔵~ケーブル比叡駅~ロープウェイ~比叡山頂駅~「ガーデンミュージアム比叡」~京都行京阪バス=京阪出町柳駅     本日の出発から帰宅までの歩数: 23,684歩 (実効距離 16.6km ) 歩行中の補給水分: 1.5リットル       【大山祇神社】 https://kaiyu.omiki.com/kitasirakawaA/kitasirakawaA.html 昭和4年、地龍大明神の祠を創祀。その後大山祇神社の分社となる。北白川大山祇神社は東山第八峰瓜生山を仰ぐ位置にあり、地龍大明神はその瓜生山の主神と考えられている。瓜生山の名前は、牛頭天王が播磨から祇園へ移る際に瓜生山にも鎮座し、牛頭天王が木瓜を好まれたからと由来される。 山城盆地最初の移住者は、北白川扇状地に住み着き、この瓜生山を神奈備山として敬った。瓜生山山頂直下には、古代より白川石の採掘を行った石切場が残されている。瓜生山は、延元元年に新田義貞が瓜生山城を築き、天文永禄の乱には足利義晴・義輝が北白川山城を築くなど、京都の攻守の要であり、今でも瓜生山の山頂付近には石垣が残っている。 江戸時代には、白幽子という仙人が瓜生山岩窟に住み、240年も生きたという。詩仙堂を開いた石川丈山は白幽子の弟子であり、禅病に苦しむ白隠禅師には内観の法を伝えたとされる。また、北白川宮家は山の池の蓴菜を好んだが、宮家が東京へ移り、池も埋められた。     【白幽子厳居之跡】 https://kyotofukoh.jp/report920.html 江戸時代の伝説的な人物、白幽子(はくゆうし、1646-1709)が使っていたという井戸跡(白幽泉、長命水)と、さらに登ると白幽子が晩年に過したとされる「白幽子寓居跡(はくゆうし ぐういあと)」に着く。 この地は、白幽子と臨済中興の祖・白隠(はくいん)が対面したという旧跡地になる。白隠の著書、『夜船閑話』発祥の地であり、京都の白隠ゆかりの唯一の史跡になる。     【狸谷山三十六童子】 http://kyoto-tabiya.com/blog_rakuhoku/狸谷山不動院%E3%80%80奥の院への三十六童子めぐり/ 険しい坂道と階段で知られる狸谷山不動院。その250段の階段を登りつめたその場所は、さらに先の奥の院へと続く三十六童子めぐりの入り口でもあります。別名は「元勝軍地蔵尊道」です。 三十六童子は、不動明王の眷族で、全員が○○童子と呼ばれています。有名なのは三尊形式で表されることの多い、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制吒(多)迦童子(せいたかどうじ)でしょう。この二童子を含め八大童子が比較的知られています。三十六童子の中には役割が明確でない者もいて、中世以降に創作されたと考えられているそうです。また、三十六童子の名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を背後から守護して、長寿をもたらすと言われています。これらの童子は一人一人が一千万人の従者を率いているとされ、大眷属の頂点たる不動明王の力の偉大さを感じさせてくれます。     【瓜生山頂】 http://www.toshiomi.net/h36/08uryuu.htm 「瓜生山頂」の案内板が立てられている開けた台地が山頂。 開けているのは、かつてこの山頂に「山城」があったからである。 京都市遺跡地図台帳には「北白川城:瓜生山城・勝軍地蔵山城ともよぶ。大永7年(1527)細川高国が築城。曲輪や平地など城跡を示す遺構等が残存し、トリデ山・デマル・ヤカタ山など城にちなむ地名が残る」と記載されている。 築城時期は永正17年(1520)という説もある。 山頂に標高点(301m)がある。数値地図には300mとある。 山頂の社殿(狸谷不動尊奥の院)の裏に祠(石室)があり(ここに昔『勝軍地蔵』が置かれていた)、若干盛り上がっている。人工物ではあるがこの地点は高くなっている。     【水飲対陣跡碑】 https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/sa027.html 千種忠顕(?~1336)は,後醍醐天皇(1288~1339)の信任厚く,建武政権では従三位参議,三カ国の国司に補任された。足利尊氏(1305~58)の攻略により政権が瓦解すると,忠顕は足利直義(1306~52)軍と比叡山麓西坂本水飲で戦った。この石標は延元元(1336)年6月7日,千種忠顕が戦死した地を示すものである。     【ガーデンミュージアム比叡】 http://www.garden-museum-hiei.co.jp/about/ 心を癒やしてくれる空に近い庭園美術館 眼下にびわ湖・京都を望む「ガーデンミュージアム比叡」。標高840mの山上に位置するこの庭園には、モネをはじめ、ルノワールやセザンヌ、ゴッホが夢見た自然の風景が再現されています。咲き誇る花々に囲まれた、印象派画家たちの美しい作品。自然を歌いあげるように描かれたその色彩は、私たちの心を不思議と癒してくれます。 市街の気温と比べ、4~5℃低い比叡山頂では、一般的に春~夏に花を咲かせる草花たちは約1か月程遅れて花を咲かせます。また例年6月中旬頃、初夏に花を咲かせるバラは比叡山の冷涼な気候から、10月下旬頃の秋まで途切れることなく花を咲かせてくれるのが特徴です。    

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