●最初に この活動日記で薩摩硫黄島の硫黄岳に行ってますが硫黄岳は基本立入禁止らしいです 噴火警戒レベルは1でしたが、登山道の損傷が激しく安全が確保出来ない事が理由のようです この時は途中の橋の所で測量業者が軽自動車で入っていましたが、そのさい道をふさぐロープを戻してなかったので自分を含めて5名が入山しました。島の案内所や登山口周辺には、入山に関する注意書の類が一切無いのもあるでしょう 島の職員の方によると、調査のために硫黄岳の上部へ行く際は防護服とガスマスク姿で行くそうです さて硫黄島です 10連休という事で普段なら絶対に行けない場所へ行こうと考え、今回はずっと気になっていたこの島を選びました 連休中に船の便が二日続けてあるのは連休初日と5月1日~2日だけですが、初日は九州へ向かっている最中なので無理。おのずと5月1日に行く事になり、この二日(実質的には10時間ほど)で島を楽しまなければならず、かなりタイトスケジュールでした それでもこの島旅は忘れられない良い旅となり、本当に行って良かったと思います ちなみにこの島にはホテルや旅館、食堂は無く、基本は民泊となりますが、民泊にすれば島内を軽自動車で回る事も可能で行動範囲も一気に広がります 他には観光案内所にレンタサイクルがありますが、船の入港・出航時間を考えるとあまり使い勝手はよくないのが悩ましい所であります 連休中は硫黄島のみの地図は無く「黒島」地図でしたが、連休が明け日記編集中にめでたく硫黄島地図が出来て良かったです♪
雨の鹿児島港 この日は昼ごろから晴れの予報なので島行きを決めました(雨ならやめてた)
約3時間半の船旅 二等でじゅうぶんさ(この乗船券は復路で回収されるので記念撮影)
離岸
遠ざかる鹿児島港
船は硫黄島へ向け南下。開聞岳を右手に進んでいきます
開聞岳
硫黄島の前に竹島に入港。でも雨風強し!昼には晴れるって言ったじゃないですかぁ~っ!!
悶々と雨の竹島を出航
程なく小雨降る硫黄島へ入港。海面の色が茶色いのは泥水ではなく海から湧出する温泉のためで、海面下は青い海になっています
まずは観光案内種へ行って・・
キャンプ場の利用手続き(利用料は無料☆)
同時に観光マップを入手!その後はテントの設営に向かいます
この日は雨でキャンプ場は水溜まりだらけ
なので観光案内の方の言う通り、体育館のヒサシの下へテント設営しました
トイレと水場は近くのプールの所にあります(トイレの電気はつきません)
さて、雨の止んだ島内の散策を開始!最初に行ったのは薩摩硫黄島を象徴する人物・俊寛
要は平家への反乱が露見し、仲間3人でここへ島流し。のちに俊寛以外の二人は恩赦があり本土へ帰れますが、俊寛だけ恩赦が適応されず島へおいてけぼり
俺も本土へ連れてってくれい!となった訳です
硫黄島へ勧請された熊野神社
その説明
古代のお地蔵様
その説明
暗くなる前に島の端まで行きたいので先を急ぎます
途中にあった稲村岳登山口は通過。翌日に回します
更に歩いていきます
若竹が幾つも出ていました
岳の神(昔の稲村岳登山口)
その説明
その後硫黄岳へ。展望台は壊れて放棄されたものだと思い、展望台を探すため更に進んで行きます(ここより先は本当に危険ですが立入禁止の注意書や道を塞ぐロープ等はありません)
知らずに放棄され崩れかかった鉱山道を上っていきます
振り返ってみる景色。手前の海岸も温泉で色が変わってます
温泉で色が変わった海面
岬が見えますが、あそこがカルデラの外輪で今はカルデラの中に居ます
岬
明日行く予定の岬の端
この辺りになると火山性亜硫酸ガスで目や喉に刺すような刺激を感じるようになります。さすがに鈍感な自分も危険に気が付き引き返す事にしました
放棄された鉱山道を戻ります。よく見ると何やら数字が・・
1989、9、24でしょうか?
展望台近くの太陽光パネル
太陽光パネル付近から下を見ると建物の跡が見えました
展望台まで戻ってきました。強烈な海風が吹いていましたが、そのお陰で火山性ガスが吹き飛ばされ生きて帰って来られたと思います。幸運でした
展望所から見た噴気孔
展望所付近から見る稲村岳
右の欠けた所が山頂なのだろう。まぁ明日行って確かめてみるか
下山したら途中に居た業者の車は無く、登山道にはロープが掛けられていました。最初からこうして欲しかったと思う一方、こうしてなかったから硫黄岳へと行けた訳だ
次は俊寛堂へ行ってみました
俊寛堂までは苔が緑の絨毯たなっており不思議な光景です
俊寛堂
堂内
俊寛堂の説明
俊寛堂を後にし、硫黄岳を右手に見ながらさらに歩いていきます
次にやっていきたのは坂本温泉
干潮の時だけ入浴出来る温泉です。この時は海水が流入して全然暖かくありません。むしろ冷たい・・
でも入れたにしても周辺はゴミだらけだし
小さなフナムシがウジャウジャ
坂本温泉の次は穴之浜温泉へ向かいます。硫黄岳のこっち側も噴気がすごいな
穴之浜温泉へ行ったあと、最後の目的地・平家城へ。中村勘三郎の像「よっ!お疲れ」
硫黄岳
左の海岸が穴之浜温泉。坂本温泉同様に干潮の時しか楽しめない温泉です。坂本温泉同様に海水で冷たかった
看板
硫黄岳と自撮り
あの噴気孔、ちょっと赤いぞ
海の向こうには1934年の噴火で出来た昭和硫黄島と・・
硫黄島の前に寄った竹島が見えます。更に左の方には開聞岳が見えるはずですが、この日は全く見えませんでした
手からファイア!
19時を過ぎ、テントまで戻ります。中村勘三郎像「じゃあなっ!また来いよっ!」
テントまで4キロ越、もちろん硫黄島港へ着く頃には真っ暗に
翌朝は4時起床、朝飯はカップ麺
硫黄岳は火山性ガスの影響で山頂は雲に覆われる事が多いそうです(火山ガスと水分が反応して雲になる)
星を追いかける俊寛像
暗いうちから向かうのは東温泉です
朝風呂を独り占めしようと思ったら・・
とっくに先客が居ました
湯舟は三つあり、写真右から熱め・適温・ぬるめとなります。 緑色のお湯に見えますが、お湯自体は透明です(群馬の香草温泉みたい)
源泉湧出口
水着着用OKなので皆気軽に写真撮ってました。
東温泉遠望 落ち着けないので温泉は諦めて、島内の散策を優先します
民泊の人は軽自動車を借りられるので、楽々ここまで来れる訳ですね(こちとらここまで1時間の歩きじゃい)
確かに那智大社に似てますね
さて、前日スルーした稲村岳へと上ります
ブイの文字「頂上まで420m、ロープを頼りながらボチボチいこか」
眺望のない小竹の道はとても整備されています
稲村岳山頂に到着。頂上からは西側と東側が見えるようになっています
三角点
この展望台は卒業記念なのね☆
西側の眺望
右の大きな建物はテントのある体育館、左上に水場とトイレのあるプール、左下の竹の葉付近に俊寛像が見えます
東側は硫黄岳展望台
稲村岳を下山して、次に向かったのは安徳天皇墓所です
壇ノ浦の戦いで平家が滅亡した際に6歳で入水したとされる安徳天皇、実は生きのびて硫黄島に来たという伝説です
説明看板。安徳帝の伝説については硫黄島だけでなく各地に生存説があったりします。源義経が生き延びてジンギスカンになったという伝説みたいなもんでしょう
次は恋人岬へ。船の時間から見て、これが最後の目的地となるでしょう
いま鬼界カルデラの境界にいる事がわかります
公衆トイレを左へ。右へ行くと硫黄島空港です。
周辺は牧場となっており、黒牛が何頭か笹を食んでました
恋人岬へ到着!オッサン一人、高らかに幸せの鐘を鳴らします☆
海面がきれい
硫黄島港
港から海へと流れ出る温泉成分
こうして目的地を全て回る事ができたので、あとは荷物をまとめて船へ乗るだけ。写真は戻る途中の橋から見る硫黄島港。後方の山は矢筈山(349m)登山道は無いようです
硫黄島港
2時間後にはあそこから鹿児島へ向けて出港するのだ
テントのある体育館、左下にプール、プールの上がキャンプ場
鬼界カルデラの看板の所から再び撮影。岬の先端まで結構遠くまで行ったように見えます
安徳天皇墓所近くの墓地には野生化した孔雀が沢山居ました。むかしヤマハが硫黄島へリゾート施設を作った際に連れてきたものが野生化したものです
荷物をまとめたら港へ
最後にもう一度俊寛像を撮影
俊寛の無念たるや相当なものであったろう
硫黄島港
港へやってきましたが、船の入港までちょっと時間があるので周辺をぶらぶら
温泉が湧くという港近くの海岸
ここを掘れば温泉が湧出するそうですが、結構ぬるめなのだそうです
コントラストが美しい
浜風の影響か?はたまた火山性ガスの影響か?メッキの部分が剥がれた車。ライトが黄ばんだ車はわりと見るけど、こんなにメッキが剥がれた車は見ません
お迎えがやってきました
乗客が降りたあと、船に乗り込木ます
島の方々が西アフリカの民族楽器・ジャンベの演奏で見送ってくれます。
離岸してもジャンベの演奏は終わりません。島の人々は皆大きく手を振って見送って下さり、ちょっとウルッときちゃいました
遠ざかる硫黄島港
早朝に行った東温泉だ
あんなとこ行ったなんて夢でも見てたみたいだ
さよなら硫黄岳 さよなら硫黄島
来るとき同様、竹島へ寄港したのち・・
鹿児島港へ。二等客室での雑魚寝は船旅情緒があって好きです
桜島が大きく見えてきたら、もう鹿児島港です
噴煙はもう食傷気味だよ
船旅の終わりが近づきちょっとセンチな気持ち
ありがとうフェリーみしま、ありがとう薩摩硫黄島