帆船まつり最中の軍艦島ツアー

2019.04.20(土) 日帰り

活動データ

タイム

02:24

距離

43.3km

のぼり

206m

くだり

201m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
2 時間 24
休憩時間
38
距離
43.3 km
のぼり / くだり
206 / 201 m
2 25

活動詳細

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私と妹のみそさんの実家(U家8+1)御一行様で長崎旅行へ。 長崎に着き,私と母と伯母の3人は軍艦島ツアー,他6人は帆船まつり見学へと二手に分かれて行動。 昼食は四海楼でチャンポンを食べる予定で待っていましたが,軍艦島ツアーの受付時間に間に合わないと思い,四海桜は諦めて常盤2号桟橋へ。 帆を張った帆船を横目(後ろ髪を引かれつつ)に「さるく号」に乗りこみ出発⛴!! ガイドさんのアナウンスで観光地を巡り(船内より観覧)ながら,結構な水しぶきを上げて船は軍艦島を目指しました。 波が高いと上陸出来ない軍艦島。ですが,この日は超快晴☀波も比較的穏やか。 無事に上陸出来ました。👌 上陸時間は45分と短かったのですが,繁栄していた頃の端島(軍艦島)を思い描きながら見学を終えました。 印象に残ったのは,ガイドさん(坂本さん)の言葉。 「観光ツアーとして来所しただけでなく,この軍艦島の姿は将来の日本あるいは地球の姿かもしれない。資源が尽きれば廃墟となる。そういうことを考えるきっかけとなって頂きたい。」 軍艦島(端島)が無人島となったのは1974年4月20日。この日はちょうど45年を迎えた日だった。 ガイドさんの思いもひとしおだったに違いない。 ツアーの船が到着した時は,帆船の帆は畳まれており…帆船見学はせずに宿にむかいましたとさ。 残念(´;ω;`) でも,夜20時からの花火は夜景と共に堪能させて頂きました。👍 宿の部屋からですけどね( ̄∇ ̄) 翌日は,チェックアウトぎりぎりまで宿で過ごし,グラバー園と出島を観光して帰宅。 両日共に天気☀️に恵まれて(恵まれ過ぎて暑かった💦),素晴らしい旅行になりました。 ----- NPO法人 軍艦島を世界遺産にする会 理事長 「軍艦島ツアー」専属ガイド 坂本 道徳 Dotoku Sakamoto 炭鉱マンの子として生まれ、小学6年から高校3年まで島に住んだ。 1974年の炭鉱閉山で無人島になった後、2001年が産廃処分場になるとのうわさを聞き、大切な古里を守りたいと強い決意で、世界遺産登録を目指すNPO法人を、2003年に発足。 2015年に端島が「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録されてからも、産業革命遺産の中での端島の位置づけや軍艦島の本質を伝えつづけるため、その活動を続けている。 今回私が利用したツアー会社は↓ http://www.gunkanjima-tour.jp/ -余談- 両親が高齢になってきたので数年前から年1回ペースで親族旅行(私の両親)に行っているが,昨年は私の入院により予定していた山陰の旅はキャンセルとなった。 その後,母の人工膝関節置換手術に伴う入院があったが,無事に手術・リハビリが終わり退院した。 私の病後の経過も良好。母も退院したので,気をよくした母が「旅行に行こうか」と鶴の一声! 私と妹のみそさんは慌てて旅行の手配をすることとなり,ようやく手配を済ませました。 ところが,身内が脳内出血で危篤状態に陥ったので,宿はキャンセルすることに… そこで母がぼやく。「お母さんが旅行に行こうとすると必ず何か起きるとやけん」と。 が!!奇跡的な回復により身内は翌日に蘇った(意識回復)。 その家族から「しばらくは大丈夫だから旅行に行ってきたら良いよ。」と言われてその気になった母は旅行に行こうと言い放った。そのため,また慌てて旅行の手配をすることになった。3日前のことである。(^_^;) 母は5人姉妹のうちの四女であるが,既に3人が亡くなっており,二女の伯母と2人だけの姉妹となっているので,親族旅行には伯母も誘っている。 こうしてU家長崎旅行が無事?に実現した。 旅行にはみそさんの子2人と孫2人も同行。色んな出来事(ハプニング)があり,思い出に残る楽しい旅行となった。 ----- 両親が年老いて思うこと ・旅行は半年毎に計画すべきか… ・母用に車椅子を購入orレンタルすべきか…

動画

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