活動データ
タイム
03:10
距離
6.8km
のぼり
549m
くだり
548m
活動詳細
すべて見る久しぶりに飲みが週4日という悲惨な平日でした。 コロナですっかり飲み会が減って喜んでいたのですが、日本の生産性が低いのは飲み文化のせいじゃね?って思ってます。 で、相も変わらず釣りと山登りで行きます。 いよいよ残り少なってきた牡鹿半島の山、望郷山ですが、アクセスどうするかなどで悩んだ挙句 高崎山経由でちょうどいい感じの距離になりました。 釣りはフラットフィッシュがシーズンとなり50cmのコチ2匹持ち帰りました。 もっと釣れたんですが、食いきれないのでリリース ※※ 望郷山について調べようとしましたがネットに記事は無し。 石碑を撮影してなかったことを後悔していたら、YAMAPで登った方が石碑を略していたので、遠慮なくコピペします。 コピペされた方、許してください。こういうのって残したい性分なもんで。 ***********ここからコピペ(これくらい読め)************* 「望郷山の由来」 昭和11年11月25日、日独防共協定(*1)成立を記念して職員児童、命名したる所なり。 これより道路開発に着手し、翌12年 日独伊三国防共協定締結(*2)を機とし、小祠を建て明治天皇の霊を祀る(*3)。 現在の祠(*4)は 元賞校 訓導(*5) 内田はつ?女史の寄付金と職員児童奉仕により本月完成したるものにして、 祠前 木造鳥居(*6)は昭和14年木村熊蔵氏の寄進に係るものなり。 中腹 松の植林は、青年学校・小学校の紀元2600年記念事業にして本年の補植を合し八千本あまりに達し、 別に山頂周囲に桜200本を植え(*6)、 望郷山の開発はその目的とするところ、児童の脳裡に郷土を興(あた)へ、併せて心身鍛錬の道場たらしめ、 昭和14年夏、第二高等学校科学部職員生徒登山しその風光を嘆賞して凌雲先生(*7)表記の詩を寄せられる。 深謝して之を刻す。 昭和16年6月30日 望郷山居士 女川町 阿波源吉 刻(*8) *1 日本とドイツの間で締結された反共産主義の協定。 *2 日独防共協定、および昭和12年の日独伊防共協定では曖昧だった三国の協力関係が具体化、相互に援助するとの取り決めがなされる。 *3 今日にいたっては、*4の祠の内部に収められている。 *4 小詞を覆うようにつくられたコンクリート製の祠。 *5 第二次世界大戦前の日本の教育制度(旧制)における尋常小学校などの正規教員の職階の1つ。 *5 今日には現存しない ************ ここまでコピペ ************* いやいや、望郷山の由来が日独伊三国同盟を記念して命名されたってすごくないですか! その後の開発などを記して作られた石碑。この半年後に開戦。 こういうのって好き。 【自分用】 yamap日記では過去ログ検索が見ずらいので自分専用にサイトまとめてます。 https://eternalthreeyearold.web.fc2.com/outdoor/index.html
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