YAMAP / ヤマップ
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熊野古道-奥辺路(新子から護摩壇山)の写真

雨上がる🌥️

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ハゲ親父
ID: 617936

登山歴だけ永いのが取り柄の親爺です。2018年3月からYAMAPを利用しています 山登りも好きですが、お祭りも大好きです プロフィールで使用している写真は昭和50年代当時、南アルプスを縦走した時のものです

この写真を含む活動日記

写真58
もらったドーモ329
09:03
38.3 km
2035 m

熊野古道-奥辺路(新子から護摩壇山)

護摩壇山・龍神岳(和歌山,奈良)

2024.06.11 (火)日帰り

ハゲ親父
ハゲ親父

今日は、世界遺産に登録されていない、もう一つの「熊野古道」と言われる山岳信仰道の「奥辺路」の内、旧花園村新子から護摩壇山間を歩いた 初めてこの「奥辺路」を知った時、「古辺路」とも呼ばれるこの道は、有田地方の山間部に住む人達が熊野大社や高野山へ参詣するための道と書かれていた 最近になって、奥辺路は高野山を起点に護摩壇山、龍神温泉、丹生ノ川を経て熊野本宮大社へと続く道と紹介され始め、少し違和感を持っている(観光的には二つの聖地を結ぶ古道としての説明が映えるのだろうが、小辺路と重なってしまう)。やはり、庶民が信仰目的や生活道路として利用してきた道じゃないかと思う 奥辺路は総延長が約80kmで、かつらぎ町花園辺りから笹の茶屋峠、護摩壇山、龍神温泉、丹生ノ川を経由して、熊野本宮大社へと続く道。今でも大部分は未舗装で古道の姿を残しているらしい 丹生ノ川から先は、上皇達の熊野参詣途上に、物資を供給するため平安末期に利用された、中辺路の近露王子に合流する道と、江戸時代から昭和にかけて生活道としてよく利用された、小辺路の果無峠に繋がる道に分かれるようだ 宿泊しないでこのルートを歩くには、公共交通が限られているので、歩きとサイクルを活用して効率よく周回する必要がある。今日と次回予定するルートは紀州の屋根の護摩壇山越えがあるが、幸いスカイラインが古道近くを通るので、下りルートでサイクルの利用が出来る before熊野古道 高野山から新子(有田道、相ノ浦道周回)  https://yamap.com/activities/15940014 Next熊野古道 熊野古道-奥辺路(龍神から護摩壇山)  https://yamap.com/activities/32487056 上湯川の平維盛伝説 平維盛は、平清盛の嫡子である平重盛の嫡男として誕生した 治承・寿永の乱では大将軍として出陣したが、富士川の戦いで敗走、倶利伽羅峠の戦いでも壊滅的な敗北を喫する。父・重盛の早世もあって一門の中では孤立気味だった 屋島の戦いに敗れた維盛は、源氏に追われて紀州のこの地に逃れてきた。そこで文覚上人に出会い、高峯(護摩壇山)で護摩を焚いて、平家の行く末(煙が天に昇れば再興、谷に下れば一門の最期)を占ったと伝えられる 占いの結果は、非情なもので煙は谷を下り上湯川村の方向に流れて行った。落胆した維盛は名を小松弥助と改め、煙の流れ下った上湯川に隠れ住む。その後、維盛は村人から「殿様、上様」とあがめられ、徳川時代になっても、藩は維盛の末裔と称する小松の家系を認め、村の政治を任せるようになった。現在の護摩壇山の名も、この平維盛伝説に由来すると伝えられている(維盛伝説は各地にあり異説多数有り)