熊野古道 大辺路(紀伊富田駅→紀伊有田駅)

2024.02.23(金) 2 DAYS

チェックポイント

DAY 1
合計時間
6 時間 10
休憩時間
17
距離
28.0 km
のぼり / くだり
1135 / 1135 m
7
1
3
14
36
28
7
2
7
1 9
1
17
24
13
20
DAY 2
合計時間
7 時間 25
休憩時間
28
距離
33.1 km
のぼり / くだり
1392 / 1389 m
30
13
2
6
2
6
5
5
24
2
6
10
19
10
11
16
3
7

活動詳細

すべて見る

1日目は雨、前夜も雨。2日目は晴。 2日間とも紀伊田辺駅に前泊。 当初は串本駅まで行く計画であったが、2日目当日に後述の理由で前駅の紀伊有田駅までに短縮した。 先ずは大辺路について。 天皇・上皇の熊野御幸の記録があまり無く、王子社も周参見王子と和深川王子を除き無い(これら二王子も九十九王子に含めないのが通例)。 京都から紀伊路を通り田辺まで到着すれば、通常は大辺路ではなく中辺路を通って本宮大社に行くのだから当然である。或いは、京都への帰路として利用されていたかもしれない。 いずれにせよ、大辺路も古い時代から歩かれた道ではあったようだ。 また、大正期のある文人墨客が車で通した文献を以前読んだことがある。 熊野古道も四国遍路も、様々な書物、文献及びWeb情報を確認してから臨んでいるが、 主に紀伊路/大辺路をモデルにして、四国遍路は“創られた”のではないかと感じた(個人的には、四国遍路は空海ではなく別の高僧が歩いたと考えている)。 というのも、内陸がすぐ山地で海に面した集落を通って時に山間部の峠を通るのは、四国遍路と大辺路/紀伊路に通底するし 八十八寺のアイデアも九十九王子社から拝借したように思えてならないからである。 また、辺路(へち)が遍路(へんろ)と変化したのは学術的には間違いないようで、両方を歩いて納得した。 初日、まず紀伊富田駅から富田坂を越える。紀伊路とは異なり舗装路ではなく、雨であっても早速の古道の趣でテンションが上がる。 峠を越え、安居の集落に到着して渡し場まで歩を進める。 舟での安居の渡しはサービス終了と思っていたが、後で調べたら2024年2月3日から再開していた。 舟を使わない迂回路は、崩落箇所もあり道が分かりづらく、熊野古道でもないのに心身を消耗した。 安居の渡しの対岸から、仏坂への急登を登り、峠を越えて舗装路に出ると、これが周参見駅まで続く。 途中の地主神社は、本殿を持たない珍しい神社。 周参見駅に到着。まだ時間と体力気力はあったが、雨天かつ初日ということで初日を終了した。 2日目、花粉症(市販薬を内服)と交通量の多い歩道無き車道歩きが辛く、工程を短縮した。 周参見駅からの馬転坂〜長井坂は、大辺路全体の中で一番良かった区間である。特に長井坂からの枯木灘の展望は、大辺路屈指であった。 ここから見老津駅→和深駅は、浜松まで続く国道42号を延々と歩く。歩道のない区間も一部にあり、交通量も多いため精神的に疲弊した。 この区間は押印CPが一つもなく、見所も無かったため、電車で移動すれば良かった。 和深駅から新田平見道、富山平見道および飛渡谷道を通って、紀伊有田駅に到着。 花粉症のくしゃみ鼻水にこれ以上我慢できず、2日目をここで終了した。 和歌山は杉花粉の供給地でもある。 3日目最終日は、宿と電車の都合で逆ルートを取り、残りの要所通過と橋杭岩の観覧に当てたい。

もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。