盛岡初詣ウォーク(岩手県盛岡市)

2019.01.03(木) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 41
休憩時間
1 時間 47
距離
13.7 km
のぼり / くだり
194 / 204 m
19
1 52
2 6

活動詳細

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「第21回盛岡初詣ウォーク12km」にかみさんと2人で参加しました。 今年は大舘から2名、北上から8名、釜石から5名、遠野から3名そして盛岡が47名と子ども2人それに私たちのような一般参加が17名の総勢84名で初詣。 毎年参加している方から聞いたら、今年は雪がなくて楽だ、とのこと。例年長ぐつを履いて参加しているそうです。本当に今年は雪が少ない。スキー場も困っているほど。 一般参加の場合、保険料300円が必要ですが、お神酒も飲めてお守りもいただいたその上何社もお参り出来て本当に楽しいウォーキングでした。

盛岡市 盛岡駅前、11番の乗車口から8時15分、松園行きのバスに乗ります
盛岡駅前、11番の乗車口から8時15分、松園行きのバスに乗ります
盛岡市 今日のスタート地点、高松神社の近くのバス停まで
今日のスタート地点、高松神社の近くのバス停まで
盛岡市 高松の池口で降りました。片道220円
高松の池口で降りました。片道220円
盛岡市 高松神社の鳥居です
高松神社の鳥居です
盛岡市 高松神社。祭神は猿田毘古命(サルタヒコノミコト)。境内には二つの庚申塔が建ち、もともと庚申さまと呼ばれていました。参拝しました
高松神社。祭神は猿田毘古命(サルタヒコノミコト)。境内には二つの庚申塔が建ち、もともと庚申さまと呼ばれていました。参拝しました
盛岡市 三々五々、集まってきました
三々五々、集まってきました
盛岡市 お神酒が振る舞われます
お神酒が振る舞われます
盛岡市 それでは出発です
それでは出発です
盛岡市 高松公園に向かいます
高松公園に向かいます
盛岡市 盛岡市高松配水場の前を通り
盛岡市高松配水場の前を通り
盛岡市 坂を下ると
坂を下ると
盛岡市 高松の池に出ます
高松の池に出ます
盛岡市 湖面は凍っています
湖面は凍っています
盛岡市 高松の池は白鳥の飛来地としても有名です
高松の池は白鳥の飛来地としても有名です
盛岡市 湖畔のトイレでトイレ休憩
湖畔のトイレでトイレ休憩
盛岡市 再び出発です
再び出発です
盛岡市 ここは北山散策路
ここは北山散策路
盛岡市 南部家菩提所 臨済宗聖壽禅寺 旧桜山霊園の脇を通ります
南部家菩提所 臨済宗聖壽禅寺 旧桜山霊園の脇を通ります
盛岡市 笹薮の小路を下って
笹薮の小路を下って
盛岡市 榊山稲荷神社に到着です。参拝しました
榊山稲荷神社に到着です。参拝しました
盛岡市 境内の池です。對馬藩士で朝鮮通信使をめぐる国書改ざんの罪により南部藩に配流された方長老の屋敷跡を整備した庭園です
境内の池です。對馬藩士で朝鮮通信使をめぐる国書改ざんの罪により南部藩に配流された方長老の屋敷跡を整備した庭園です
盛岡市 榊山稲荷神社、創建は慶長2年(1597年)、南部家26代当主、初代盛岡藩主である南部信直が城内に稲荷神を勧進し城下町の総鎮守としたのが始まり。明治になり現在地の北山に遷座された。祭神は豊受之大神(トヨウケノオオカミ)
榊山稲荷神社、創建は慶長2年(1597年)、南部家26代当主、初代盛岡藩主である南部信直が城内に稲荷神を勧進し城下町の総鎮守としたのが始まり。明治になり現在地の北山に遷座された。祭神は豊受之大神(トヨウケノオオカミ)
盛岡市 ここでもお神酒をいただきました
ここでもお神酒をいただきました
盛岡市 次、行ってみましょう
次、行ってみましょう
盛岡市 バイパスの地下を潜って
バイパスの地下を潜って
盛岡市 JR山田線の踏切を渡ります
JR山田線の踏切を渡ります
盛岡市 北山の寺町通りに来ました
北山の寺町通りに来ました
盛岡市 ここは龍谷寺。啄木の母方の伯父葛原対月が住職を務めた寺。その縁で対月の弟子であった啄木の父一禎と対月の妹である啄木の母カツが結ばれた。少年時代の啄木はしばしばこの寺を訪れ伯父対月から詩歌の手ほどきをうけたと伝えられる
ここは龍谷寺。啄木の母方の伯父葛原対月が住職を務めた寺。その縁で対月の弟子であった啄木の父一禎と対月の妹である啄木の母カツが結ばれた。少年時代の啄木はしばしばこの寺を訪れ伯父対月から詩歌の手ほどきをうけたと伝えられる
盛岡市 寺町とおりです
寺町とおりです
盛岡市 三ツ石神社に到着です。岩手県の岩手の名称の由来はこの神社にあります
三ツ石神社に到着です。岩手県の岩手の名称の由来はこの神社にあります
盛岡市 神社の横に大きな岩があります、三ツ石です
神社の横に大きな岩があります、三ツ石です
盛岡市 伝説ではこの地方に鬼が住んでいて住民を悩ませていた。住民の悪鬼討伐の祈りに応えた三ツ石の神が鬼を罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた、これが岩手の名称の由来だとされています
伝説ではこの地方に鬼が住んでいて住民を悩ませていた。住民の悪鬼討伐の祈りに応えた三ツ石の神が鬼を罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた、これが岩手の名称の由来だとされています
盛岡市 祭神は少名彦尊(スクナヒコナ)。お参りしました
祭神は少名彦尊(スクナヒコナ)。お参りしました
盛岡市 本町通りのジョイスでトイレ休憩
本町通りのジョイスでトイレ休憩
盛岡市 富士見橋を渡ります。今は建物が多くよく見えませんが、ここから岩手山(片富士)がよく見えたそうです
富士見橋を渡ります。今は建物が多くよく見えませんが、ここから岩手山(片富士)がよく見えたそうです
盛岡市 呉服店が初売りをしています
呉服店が初売りをしています
盛岡市 この辺りは加賀野。盛岡では古い住宅街です
この辺りは加賀野。盛岡では古い住宅街です
盛岡市 正面に見えてきました天満宮
正面に見えてきました天満宮
盛岡市 階段を登って
階段を登って
盛岡市 天満宮です。当然ご祭神は菅原道真ですね
天満宮です。当然ご祭神は菅原道真ですね
盛岡市 天満宮のこの狛犬は啄木が二十歳の時に執筆した小説「葬列」の中に登場する。「よく見ると實に親しむべき愛嬌のある顔だ。(中略)俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるのか知らないのだ、と云った様な顔だ。」
天満宮のこの狛犬は啄木が二十歳の時に執筆した小説「葬列」の中に登場する。「よく見ると實に親しむべき愛嬌のある顔だ。(中略)俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるのか知らないのだ、と云った様な顔だ。」
盛岡市 本殿の屋根の上にはシーサーのような物も
本殿の屋根の上にはシーサーのような物も
盛岡市 お参りしました
お参りしました
盛岡市 これは重要保存木「石割梅」。盛岡は石割桜が有名だけど石割梅もあるんです
これは重要保存木「石割梅」。盛岡は石割桜が有名だけど石割梅もあるんです
盛岡市 撫牛もあります
撫牛もあります
盛岡市 では次に行ってみましょう
では次に行ってみましょう
盛岡市 到着しました
到着しました
盛岡市 住吉神社です
住吉神社です
盛岡市 ここでは参加者全員で社殿の中でお祓いを受け、お守りをいただきました
ここでは参加者全員で社殿の中でお祓いを受け、お守りをいただきました
盛岡市 景観重要樹木「住吉神社のケヤキ」です
景観重要樹木「住吉神社のケヤキ」です
盛岡市 こちらは景観重要樹木「住吉神社のイチョウ」です
こちらは景観重要樹木「住吉神社のイチョウ」です
盛岡市 お神酒をいただきます
お神酒をいただきます
盛岡市 寒いので手水舎が凍りついています
寒いので手水舎が凍りついています
盛岡市 それでは次に
それでは次に
盛岡市 盛岡八幡宮に到着です
盛岡八幡宮に到着です
盛岡市 さすがの盛岡随一のお宮。盛岡の総鎮守とされ、神事のチャグチャグ馬コ、例祭の山車行事、流鏑馬神事で知られる。祭神は譽田別名(応神天皇、八幡神)
さすがの盛岡随一のお宮。盛岡の総鎮守とされ、神事のチャグチャグ馬コ、例祭の山車行事、流鏑馬神事で知られる。祭神は譽田別名(応神天皇、八幡神)
盛岡市 参拝客も沢山います。階段下で入場制限をしながらのお参りです
参拝客も沢山います。階段下で入場制限をしながらのお参りです
盛岡市 ここは大国・恵比寿社、本殿は混んでいるのでここでお参り
ここは大国・恵比寿社、本殿は混んでいるのでここでお参り
盛岡市 そして十二支社。私の干支、子社でお参り
そして十二支社。私の干支、子社でお参り
盛岡市 八幡通りを通って
八幡通りを通って
盛岡市 盛岡歴史文化館前で解散です
盛岡歴史文化館前で解散です
盛岡市 解散後、桜山神社です。江戸時代の中期、時の盛岡藩主によって盛岡藩初代・信直の神霊を勧進し「淡路丸大明神」と奉ったのが始まり。主祭神は南部光行・南部信直・南部利直・南部利敬。計4柱の神霊を合祀して現在に至る
解散後、桜山神社です。江戸時代の中期、時の盛岡藩主によって盛岡藩初代・信直の神霊を勧進し「淡路丸大明神」と奉ったのが始まり。主祭神は南部光行・南部信直・南部利直・南部利敬。計4柱の神霊を合祀して現在に至る
盛岡市 桜山神社にある盛岡藩のしめ飾り
桜山神社にある盛岡藩のしめ飾り
盛岡市 14時7分の電車で帰りました。どんとはれ
14時7分の電車で帰りました。どんとはれ

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