秩父市浦山の廃村地帯を巡ってきました。ひたすら廃村・廃墟巡りの記録ななので、興味のない方はスルーしてください。 嶽から茶平は、しっかりした道があり特に迷いそうな場所はありませんが、杉の植林地なので春先は花粉地獄になりそうです。 茶平から有坂は、崩落のためか道ははっきりしません。テキトーに道を探しながら迷うことを楽しんでいきましょう。 茶平入口バス停から山掴集落へのルートも、かなり不明瞭で、崩落跡もあり少々危険です。ルートファインディングが苦手な方にはお勧めできません。 嶽と巣郷を除く各廃集落は、車で接近できますので、行ってみたい方はそちらをお勧めいたします。
スタートは寄国土(ユスクド)トンネル下の駐車場。かなり難読地名ですね。ダムに沈んでしまった集落に因んでいるそうです。
スタートは寄国土(ユスクド)トンネル下の駐車場。かなり難読地名ですね。ダムに沈んでしまった集落に因んでいるそうです。
秩父さくら湖。戦隊モノや仮面ライダーのロケに度々登場します。
秩父さくら湖。戦隊モノや仮面ライダーのロケに度々登場します。
日向バス停前から、日向集落を登ります。右奥に見えるのは浦山公民館の廃墟(立入禁止)。猿が多いので注意。
日向バス停前から、日向集落を登ります。右奥に見えるのは浦山公民館の廃墟(立入禁止)。猿が多いので注意。
日向集落は廃村ではありませんが、かなりの過疎集落です。空き家が目立ちます。
日向集落は廃村ではありませんが、かなりの過疎集落です。空き家が目立ちます。
日向集落を登り切り、水道施設の脇から林道に入ります。
日向集落を登り切り、水道施設の脇から林道に入ります。
途中練馬区のキャンプ場を抜けると、嶽集落に到着。地図では「岳」の表記の方が一般的なようです。ホラー映画SIRENのモデルになった廃集落です。
途中練馬区のキャンプ場を抜けると、嶽集落に到着。地図では「岳」の表記の方が一般的なようです。ホラー映画SIRENのモデルになった廃集落です。
お地蔵さんたち。廃集落の中心にありますが、キチンと管理されています。
お地蔵さんたち。廃集落の中心にありますが、キチンと管理されています。
十二社神社。立派な両部(リョウブ)鳥居です。
十二社神社。立派な両部(リョウブ)鳥居です。
倒壊家屋も多い。
倒壊家屋も多い。
今にも倒れそうな土蔵
今にも倒れそうな土蔵
新商売往来(谷孫六著)なる本がありました。
新商売往来(谷孫六著)なる本がありました。
中はこんなんで、郷土誌と観光ガイドが合体したような内容です。行商人が商売先を決める参考にしていたようです。
中はこんなんで、郷土誌と観光ガイドが合体したような内容です。行商人が商売先を決める参考にしていたようです。
自撮り
自撮り
次の集落「巣郷」に向かいます。左が巣郷方面、右は集落内の十二社神社方面
次の集落「巣郷」に向かいます。左が巣郷方面、右は集落内の十二社神社方面
峠には馬頭観音があります
峠には馬頭観音があります
造りかけの橋。東電か営林署か地元山岳会か。いずれにしても有難いことです。
造りかけの橋。東電か営林署か地元山岳会か。いずれにしても有難いことです。
巣郷集落の跡。古い地図でも2軒しかなかった小さな集落です。現在は屋敷跡しかありません。
巣郷集落の跡。古い地図でも2軒しかなかった小さな集落です。現在は屋敷跡しかありません。
巣郷集落跡付近には道標があります。左は後程向かう「有坂」「武士平」と記載があります。
巣郷集落跡付近には道標があります。左は後程向かう「有坂」「武士平」と記載があります。
反対側には、次に向かう「茶平」の記載が。
反対側には、次に向かう「茶平」の記載が。
峠のお地蔵さんを過ぎると・・・
峠のお地蔵さんを過ぎると・・・
茶平集落跡に到着。
茶平集落跡に到着。
所謂、富山の置き薬の薬箱ですね。医者のいない山奥では、重要アイテムだったのでしょう。
所謂、富山の置き薬の薬箱ですね。医者のいない山奥では、重要アイテムだったのでしょう。
茶平は、廃屋がたくさんあり、廃墟観賞を満喫できます。
茶平は、廃屋がたくさんあり、廃墟観賞を満喫できます。
遺物も結構残っています。
遺物も結構残っています。
日付は1975年。少なくともこの頃までは在住だったのでしょう。
日付は1975年。少なくともこの頃までは在住だったのでしょう。
いつか倒木に埋まってしまうのでしょう。
いつか倒木に埋まってしまうのでしょう。
下の方にも家屋が
下の方にも家屋が
墓地。参る人も無く、苔むしています。
墓地。参る人も無く、苔むしています。
おー平凡のスコア本だ。吉田拓郎の「旅の宿」1972年の歌です。
おー平凡のスコア本だ。吉田拓郎の「旅の宿」1972年の歌です。
ディズニーオレンジなる空き缶が沢山ありました。これは知らんな。
ディズニーオレンジなる空き缶が沢山ありました。これは知らんな。
茶平の家屋には、このステッカーがあちこち貼ってありました。廃マニアなのか、調査なのか・・
茶平の家屋には、このステッカーがあちこち貼ってありました。廃マニアなのか、調査なのか・・
昔の家電は木目調が多い。
昔の家電は木目調が多い。
写真や手帳、教科書もありました。学生世代の若い方が住まわれていたようです。
写真や手帳、教科書もありました。学生世代の若い方が住まわれていたようです。
家は皆斜面に建っています。
家は皆斜面に建っています。
下の方に舗装道路が見えます。
下の方に舗装道路が見えます。
道路沿いにも廃屋がありました。
道路沿いにも廃屋がありました。
比較的状態が良いです。
比較的状態が良いです。
修学旅行の写真らしい
修学旅行の写真らしい
成人式のアルバムやらスケート靴やら、ここも比較的若い方がお住まいだったようです。
成人式のアルバムやらスケート靴やら、ここも比較的若い方がお住まいだったようです。
道路沿いのせいか、落書きが多い。
道路沿いのせいか、落書きが多い。
日付は2007年。結構最近まで在住だったんですね。
日付は2007年。結構最近まで在住だったんですね。
茶平集落の裏手で休憩。
茶平集落の裏手で休憩。
有坂集落跡に向かうも道をロスト。GPSを頼りに適当に進む。ルートを探しながら歩くのも、廃村巡りの楽しみです。
有坂集落跡に向かうも道をロスト。GPSを頼りに適当に進む。ルートを探しながら歩くのも、廃村巡りの楽しみです。
人工物を発見。有坂集落跡か?
人工物を発見。有坂集落跡か?
間伐地帯を越えると家が見えました。有坂集落跡に到着したようです。
間伐地帯を越えると家が見えました。有坂集落跡に到着したようです。
山奥にポツンと一軒。遠野物語に出てくる迷い家(マヨイガ)を思い出します。玄関の戸に請求書が何枚も突っ込んでありました。
山奥にポツンと一軒。遠野物語に出てくる迷い家(マヨイガ)を思い出します。玄関の戸に請求書が何枚も突っ込んでありました。
中は荒れてしまってますが、コタツがそのままありました。
中は荒れてしまってますが、コタツがそのままありました。
こちらは1998年まで在住だったようです。
こちらは1998年まで在住だったようです。
裏手の風呂場は倒木で潰れてしまってます。
裏手の風呂場は倒木で潰れてしまってます。
あー昔住んでた家のトイレもこんなんだったな。
あー昔住んでた家のトイレもこんなんだったな。
マヨイガそのもの。
マヨイガそのもの。
有坂集落跡から少し下ると、登山道に出ました。標識の「大谷に至る」とありますが、これを信じると有坂集落跡の先で道が非常に判りにくくなります。茶平までは道路を歩いたほうが安全です。
有坂集落跡から少し下ると、登山道に出ました。標識の「大谷に至る」とありますが、これを信じると有坂集落跡の先で道が非常に判りにくくなります。茶平までは道路を歩いたほうが安全です。
武士平へ向かう峠の切通し
武士平へ向かう峠の切通し
この辺りは道もしっかりしていて迷うことはないでしょう。
この辺りは道もしっかりしていて迷うことはないでしょう。
武士平集落に到着。画像に写っている怖い犬にめちゃくちゃ吠えられた。
武士平集落に到着。画像に写っている怖い犬にめちゃくちゃ吠えられた。
武士平は廃村ではありませんが、在住なのは怖い犬がいるこの一軒のみです。
武士平は廃村ではありませんが、在住なのは怖い犬がいるこの一軒のみです。
武士平から下ると神社がありました。ここでお昼にします。
武士平から下ると神社がありました。ここでお昼にします。
お昼はローソンのおでん。寒い季節にはいいです。
お昼はローソンのおでん。寒い季節にはいいです。
昔はもっと先まで林道を車で行けたようですが、橋は流失してしまっています。一旦バス通りまで下ります。
昔はもっと先まで林道を車で行けたようですが、橋は流失してしまっています。一旦バス通りまで下ります。
下のほうに神社が見えます。
下のほうに神社が見えます。
家屋もあるので、あっちに行ってみます。
家屋もあるので、あっちに行ってみます。
なんか怖い。
なんか怖い。
まだ作業小屋かなんかに使っているようです。
まだ作業小屋かなんかに使っているようです。
窓際に服を掛けるのは止めてほしい。人が立っているかと思った。
窓際に服を掛けるのは止めてほしい。人が立っているかと思った。
倒壊寸前の家
倒壊寸前の家
幼児のおもちゃ。さとうりょうへい君は今何歳だろう。
幼児のおもちゃ。さとうりょうへい君は今何歳だろう。
The 廃墟
The 廃墟
川の対岸に家が見えます
川の対岸に家が見えます
空き家かと思ったら住んでるらしい。不審者と通報される前に逃げよう。
空き家かと思ったら住んでるらしい。不審者と通報される前に逃げよう。
この橋も、もしかしたら私物かも。
この橋も、もしかしたら私物かも。
茶平入口バス停付近。次の目的地「山掴」へ石垣の上の道を登ろうかと思いましたが、在住の様にも見えましたので、別のルートからにします。
茶平入口バス停付近。次の目的地「山掴」へ石垣の上の道を登ろうかと思いましたが、在住の様にも見えましたので、別のルートからにします。
この上の家は空き家のようです。地図では、ここから点線表記の道があるようなので、行ってみます。
この上の家は空き家のようです。地図では、ここから点線表記の道があるようなので、行ってみます。
なんだってこんなに急斜面に家建てたんでしょう。
なんだってこんなに急斜面に家建てたんでしょう。
道かこれは?
道かこれは?
急な斜面を登ると、開けた場所に石垣がありました。山掴に向かう道に出たようです。
急な斜面を登ると、開けた場所に石垣がありました。山掴に向かう道に出たようです。
小屋跡がありました。
小屋跡がありました。
今度はなんだ?
今度はなんだ?
こんな山奥に墓地。
こんな山奥に墓地。
畑の跡もありました。しかも電気柵付。電気はどこから引いていたのでしょう。
畑の跡もありました。しかも電気柵付。電気はどこから引いていたのでしょう。
畑跡から先は道は不明瞭になります。地図にない岩場付近
畑跡から先は道は不明瞭になります。地図にない岩場付近
崩落跡ですね。完全に道をロスト。迂回ルートを探して下ります。
崩落跡ですね。完全に道をロスト。迂回ルートを探して下ります。
石垣を発見。道のようです。
石垣を発見。道のようです。
下に道路が見える程度の距離ですが、超急斜面です。なんとなく道跡をトラバース。
下に道路が見える程度の距離ですが、超急斜面です。なんとなく道跡をトラバース。
山掴集落跡に到着。
山掴集落跡に到着。
すごい崖っぷちに建ってる家。
すごい崖っぷちに建ってる家。
風呂場は空中に張り出してる。
風呂場は空中に張り出してる。
上にも家が
上にも家が
松坂慶子さんがお出迎え。多分80年代初期のメナードのカレンダーでしょう。何年のものかは読み取れませんでした。
松坂慶子さんがお出迎え。多分80年代初期のメナードのカレンダーでしょう。何年のものかは読み取れませんでした。
テレビだけ何故か残されています。
テレビだけ何故か残されています。
ナショナルカラーテレビTH8-V1。1974年頃の物のようです。
ナショナルカラーテレビTH8-V1。1974年頃の物のようです。
倒壊家屋
倒壊家屋
見上げると崖の上に長屋風の家屋群が見えます。行ってみます。
見上げると崖の上に長屋風の家屋群が見えます。行ってみます。
子供の筆箱。女子用ですね。
子供の筆箱。女子用ですね。
斜面と斜面の間の僅かな平場に、家が連なっています。
斜面と斜面の間の僅かな平場に、家が連なっています。
学習机とつぶしたカバン。シブがき隊のシールが貼ってあるので、多分女子ですね。筆箱の持ち主でしょうか。こんな山奥から通学するのは大変だったでしょう。達磨の目が両方塗ってあるので、高校か大学に合格したんでしょうね。
学習机とつぶしたカバン。シブがき隊のシールが貼ってあるので、多分女子ですね。筆箱の持ち主でしょうか。こんな山奥から通学するのは大変だったでしょう。達磨の目が両方塗ってあるので、高校か大学に合格したんでしょうね。
かとうかずこ様(東国原英夫元夫人)調べてみたら週刊プレイボーイ1980年11月11日号でした。
かとうかずこ様(東国原英夫元夫人)調べてみたら週刊プレイボーイ1980年11月11日号でした。
浦山中学校跡
浦山中学校跡
記念碑
記念碑
バス停栗山入口から栗山集落跡に向かいます。
バス停栗山入口から栗山集落跡に向かいます。
栗山集落跡に到着。道路沿いなので車で来られますが、駐車場所が無い。工事車両が結構通るので、路駐は難しいかと。
栗山集落跡に到着。道路沿いなので車で来られますが、駐車場所が無い。工事車両が結構通るので、路駐は難しいかと。
この家は遺物が多いです。
この家は遺物が多いです。
状態もよいです。
状態もよいです。
カレンダーの日付は1999年。
カレンダーの日付は1999年。
上にも家屋があります。
上にも家屋があります。
荒らされてますが、状態はよいです。
荒らされてますが、状態はよいです。
片付ければ住めそう。
片付ければ住めそう。
まだある。二階家が多いのは、養蚕をしていた名残でしょうか。
まだある。二階家が多いのは、養蚕をしていた名残でしょうか。
こんなチャリ小学生の頃乗ってたな。
こんなチャリ小学生の頃乗ってたな。
左奥のは昔のステレオですね。
左奥のは昔のステレオですね。
四つ足のテレビと黒電話。幼少の頃実家にあったな。
四つ足のテレビと黒電話。幼少の頃実家にあったな。
まだ上がある。
まだ上がある。
こちらも状態がよいです。右手の小屋は風呂か?
こちらも状態がよいです。右手の小屋は風呂か?
ステンレス浴槽。昭和50~60年頃流行りました。最近あまり見ないです。
ステンレス浴槽。昭和50~60年頃流行りました。最近あまり見ないです。
マッサージ椅子。結構上等な暮らしをなさっていたようです。
マッサージ椅子。結構上等な暮らしをなさっていたようです。
最上部には祠が。
最上部には祠が。
何故か二つ並んでました。神様は転居されたようです。
何故か二つ並んでました。神様は転居されたようです。
コレなんだっけ。暖房器具だったかな。いくつも転がっていました。
コレなんだっけ。暖房器具だったかな。いくつも転がっていました。
斜面が崩れて倒壊寸前の家。日が暮れてきたので車に戻ります。
斜面が崩れて倒壊寸前の家。日が暮れてきたので車に戻ります。
旧道を下ることにします。
旧道を下ることにします。
巨岩地帯を抜けるとガードレールがあります。現在の道路が出来る前は、この道が栗山集落へのルートでした。下り切ると栗山バス停があります。
巨岩地帯を抜けるとガードレールがあります。現在の道路が出来る前は、この道が栗山集落へのルートでした。下り切ると栗山バス停があります。
浦山大橋。数人がワカサギ釣りをしていました。
浦山大橋。数人がワカサギ釣りをしていました。
寄国土トンネル。獅子舞なんですかね。
寄国土トンネル。獅子舞なんですかね。
反対側はこんなん。あまり良い趣味とは思えません。
反対側はこんなん。あまり良い趣味とは思えません。
どうにか暗くなる前に戻ってこれました。長々とお付き合いありがとうございました。
どうにか暗くなる前に戻ってこれました。長々とお付き合いありがとうございました。
スタートは寄国土(ユスクド)トンネル下の駐車場。かなり難読地名ですね。ダムに沈んでしまった集落に因んでいるそうです。
秩父さくら湖。戦隊モノや仮面ライダーのロケに度々登場します。
日向バス停前から、日向集落を登ります。右奥に見えるのは浦山公民館の廃墟(立入禁止)。猿が多いので注意。
日向集落は廃村ではありませんが、かなりの過疎集落です。空き家が目立ちます。
日向集落を登り切り、水道施設の脇から林道に入ります。
途中練馬区のキャンプ場を抜けると、嶽集落に到着。地図では「岳」の表記の方が一般的なようです。ホラー映画SIRENのモデルになった廃集落です。
お地蔵さんたち。廃集落の中心にありますが、キチンと管理されています。
十二社神社。立派な両部(リョウブ)鳥居です。
倒壊家屋も多い。
今にも倒れそうな土蔵
新商売往来(谷孫六著)なる本がありました。
中はこんなんで、郷土誌と観光ガイドが合体したような内容です。行商人が商売先を決める参考にしていたようです。
自撮り
次の集落「巣郷」に向かいます。左が巣郷方面、右は集落内の十二社神社方面
峠には馬頭観音があります
造りかけの橋。東電か営林署か地元山岳会か。いずれにしても有難いことです。
巣郷集落の跡。古い地図でも2軒しかなかった小さな集落です。現在は屋敷跡しかありません。
巣郷集落跡付近には道標があります。左は後程向かう「有坂」「武士平」と記載があります。
反対側には、次に向かう「茶平」の記載が。
峠のお地蔵さんを過ぎると・・・
茶平集落跡に到着。
所謂、富山の置き薬の薬箱ですね。医者のいない山奥では、重要アイテムだったのでしょう。
茶平は、廃屋がたくさんあり、廃墟観賞を満喫できます。
遺物も結構残っています。
日付は1975年。少なくともこの頃までは在住だったのでしょう。
いつか倒木に埋まってしまうのでしょう。
下の方にも家屋が
墓地。参る人も無く、苔むしています。
おー平凡のスコア本だ。吉田拓郎の「旅の宿」1972年の歌です。
ディズニーオレンジなる空き缶が沢山ありました。これは知らんな。
茶平の家屋には、このステッカーがあちこち貼ってありました。廃マニアなのか、調査なのか・・
昔の家電は木目調が多い。
写真や手帳、教科書もありました。学生世代の若い方が住まわれていたようです。
家は皆斜面に建っています。
下の方に舗装道路が見えます。
道路沿いにも廃屋がありました。
比較的状態が良いです。
修学旅行の写真らしい
成人式のアルバムやらスケート靴やら、ここも比較的若い方がお住まいだったようです。
道路沿いのせいか、落書きが多い。
日付は2007年。結構最近まで在住だったんですね。
茶平集落の裏手で休憩。
有坂集落跡に向かうも道をロスト。GPSを頼りに適当に進む。ルートを探しながら歩くのも、廃村巡りの楽しみです。
人工物を発見。有坂集落跡か?
間伐地帯を越えると家が見えました。有坂集落跡に到着したようです。
山奥にポツンと一軒。遠野物語に出てくる迷い家(マヨイガ)を思い出します。玄関の戸に請求書が何枚も突っ込んでありました。
中は荒れてしまってますが、コタツがそのままありました。
こちらは1998年まで在住だったようです。
裏手の風呂場は倒木で潰れてしまってます。
あー昔住んでた家のトイレもこんなんだったな。
マヨイガそのもの。
有坂集落跡から少し下ると、登山道に出ました。標識の「大谷に至る」とありますが、これを信じると有坂集落跡の先で道が非常に判りにくくなります。茶平までは道路を歩いたほうが安全です。
武士平へ向かう峠の切通し
この辺りは道もしっかりしていて迷うことはないでしょう。
武士平集落に到着。画像に写っている怖い犬にめちゃくちゃ吠えられた。
武士平は廃村ではありませんが、在住なのは怖い犬がいるこの一軒のみです。
武士平から下ると神社がありました。ここでお昼にします。
お昼はローソンのおでん。寒い季節にはいいです。
昔はもっと先まで林道を車で行けたようですが、橋は流失してしまっています。一旦バス通りまで下ります。
下のほうに神社が見えます。
家屋もあるので、あっちに行ってみます。
なんか怖い。
まだ作業小屋かなんかに使っているようです。
窓際に服を掛けるのは止めてほしい。人が立っているかと思った。
倒壊寸前の家
幼児のおもちゃ。さとうりょうへい君は今何歳だろう。
The 廃墟
川の対岸に家が見えます
空き家かと思ったら住んでるらしい。不審者と通報される前に逃げよう。
この橋も、もしかしたら私物かも。
茶平入口バス停付近。次の目的地「山掴」へ石垣の上の道を登ろうかと思いましたが、在住の様にも見えましたので、別のルートからにします。
この上の家は空き家のようです。地図では、ここから点線表記の道があるようなので、行ってみます。
なんだってこんなに急斜面に家建てたんでしょう。
道かこれは?
急な斜面を登ると、開けた場所に石垣がありました。山掴に向かう道に出たようです。
小屋跡がありました。
今度はなんだ?
こんな山奥に墓地。
畑の跡もありました。しかも電気柵付。電気はどこから引いていたのでしょう。
畑跡から先は道は不明瞭になります。地図にない岩場付近
崩落跡ですね。完全に道をロスト。迂回ルートを探して下ります。
石垣を発見。道のようです。
下に道路が見える程度の距離ですが、超急斜面です。なんとなく道跡をトラバース。
山掴集落跡に到着。
すごい崖っぷちに建ってる家。
風呂場は空中に張り出してる。
上にも家が
松坂慶子さんがお出迎え。多分80年代初期のメナードのカレンダーでしょう。何年のものかは読み取れませんでした。
テレビだけ何故か残されています。
ナショナルカラーテレビTH8-V1。1974年頃の物のようです。
倒壊家屋
見上げると崖の上に長屋風の家屋群が見えます。行ってみます。
子供の筆箱。女子用ですね。
斜面と斜面の間の僅かな平場に、家が連なっています。
学習机とつぶしたカバン。シブがき隊のシールが貼ってあるので、多分女子ですね。筆箱の持ち主でしょうか。こんな山奥から通学するのは大変だったでしょう。達磨の目が両方塗ってあるので、高校か大学に合格したんでしょうね。
かとうかずこ様(東国原英夫元夫人)調べてみたら週刊プレイボーイ1980年11月11日号でした。
浦山中学校跡
記念碑
バス停栗山入口から栗山集落跡に向かいます。
栗山集落跡に到着。道路沿いなので車で来られますが、駐車場所が無い。工事車両が結構通るので、路駐は難しいかと。
この家は遺物が多いです。
状態もよいです。
カレンダーの日付は1999年。
上にも家屋があります。
荒らされてますが、状態はよいです。
片付ければ住めそう。
まだある。二階家が多いのは、養蚕をしていた名残でしょうか。
こんなチャリ小学生の頃乗ってたな。
左奥のは昔のステレオですね。
四つ足のテレビと黒電話。幼少の頃実家にあったな。
まだ上がある。
こちらも状態がよいです。右手の小屋は風呂か?
ステンレス浴槽。昭和50~60年頃流行りました。最近あまり見ないです。
マッサージ椅子。結構上等な暮らしをなさっていたようです。
最上部には祠が。
何故か二つ並んでました。神様は転居されたようです。
コレなんだっけ。暖房器具だったかな。いくつも転がっていました。
斜面が崩れて倒壊寸前の家。日が暮れてきたので車に戻ります。
旧道を下ることにします。
巨岩地帯を抜けるとガードレールがあります。現在の道路が出来る前は、この道が栗山集落へのルートでした。下り切ると栗山バス停があります。
浦山大橋。数人がワカサギ釣りをしていました。
寄国土トンネル。獅子舞なんですかね。
反対側はこんなん。あまり良い趣味とは思えません。
どうにか暗くなる前に戻ってこれました。長々とお付き合いありがとうございました。