大和国の城探訪 4城目 順慶、幼少期に過ごした福住城(福住中定城)

2018.12.28(金) 日帰り

活動データ

タイム

00:33

距離

757m

のぼり

51m

くだり

52m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
33
休憩時間
0
距離
757 m
のぼり / くだり
51 / 52 m
34

活動詳細

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小雪の舞う中、奈良市福住町の福住中定城に行って来ました。 今回が2度目の登城です。 この城へのアクセスは自家用車でないと、大変苦労するかもしれません。 城跡の近くには奈良交通の福住バス停がありますが、どのような路線であるかを確認されてから行かれる事をオススメします。 ところで私自身、この福住城の情報は少ししか持っておらず、詳しく説明が出来ないのが残念です。もっと勉強しないと。。(^o^;) 数年前に、ある歴史講座の講義を受けた時に、先生からチラッと話があったのを思いだし絞り出したのが「福住氏の福住城は、縁戚関係のある筒井氏の改修を受けて戦国期の城郭に生まれ変わった」とだけ記憶しています。 この東山内(奈良盆地東側の山間部 盆地内は 国中といいます)地域の城が松永弾正に攻められるも、福住氏や山内衆は組織的なゲリラ戦法を用いた戦いを繰り広げて、なんとか城を持ちこたえさせた事が、その後の大和の覇権を争った辰市合戦で、順慶の下で国人衆が1つに結束されて戦い、勝利へと導びけたのかもしれませんね。なので共に戦った順慶と国人衆は互いに生涯の恩人であることは間違いないでしょうか。 大和国人衆は、外部圧力にも屈しない精神と武士道魂をみせれたのではないでしょうか。 城の見所はなんと言っても主郭背後の土塁と大きな堀切です。欲を言って、あと二本の縦堀にも注目です。(^^ゞ 一見の価値あり!(^O^)

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