大宰府歴史紀行

2018.12.25(火) 日帰り

今日は年末までで、数少ない晴マーク。 太宰府の歴史を全体的に見ようと、 気になってた水城から…と、早速GO❗ 古代~近世までと、水城駅からスタート→太宰府政庁跡→太宰府天満宮を経て、竈門神社にゴール。 頭の整理にと、簡単にメモしました。 宜しければ、見てくださいね。 ①百済滅亡を機に、短期間で築かれた水城・土塁…等、当時の危機感と槌音が聞こえて くるようでした。 ②“遠の朝廷”と詠われ、東西南北2km余りの条坊都市、その町並みは平城京・平安京に遜色なかったでしょう… 空海・最澄、鑑真たちも滞在しました。 正殿跡からは、当時の発展が見えてくる感じでした(笑) ③やがて、政庁の役目も衰退し、 中心は博多の方に移って行きます。 反面、菅原道真が葬られた天満宮は、 天神さまとして、崇められ発展していく。 ④足利尊氏の反撃の起点となったり、戦国時代の荒波に巻き込まれたりしますが、 維新時、西郷どん・伊藤博文の足跡、五卿 の三年余りの滞在…等、 太宰府ブランドは生きてるなあ…。 ⑤昭和になっても、著名人達の逸話が残ってます。 今回、嬉しかったこと… ※2個しか見つかってない“軍団印”の 発掘場所が確認できたこと。 ※太宰府政庁は大城山(四王寺山)を背景に、北東方向に竈門山を配し、三郡山系が屏風のように守っている❗ やはり、この場所しかないなぁ…と、 改めてひとり納得しました。 まだまだ、たくさんの史跡が残ってます。 山に疲れた時…等、気分転換に、これからも歩いて見よう…と、思いました。

水城駅 … 水城が駅名・地域名にも残り、1300年経った今でも、親しまれてます

水城駅 … 水城が駅名・地域名にも残り、1300年経った今でも、親しまれてます

水城駅 … 水城が駅名・地域名にも残り、1300年経った今でも、親しまれてます

水城西門跡 … 古代官道で鴻臚館に繋がり、外国使節や遣唐使の表玄関になりました

水城西門跡 … 古代官道で鴻臚館に繋がり、外国使節や遣唐使の表玄関になりました

水城西門跡 … 古代官道で鴻臚館に繋がり、外国使節や遣唐使の表玄関になりました

水城の上は自然歩道になってます(^-^)/

水城の上は自然歩道になってます(^-^)/

水城の上は自然歩道になってます(^-^)/

水城東門礎石 … 都へ繋がる古代官道、
大伴旅人はここで見送りの人と別れを惜しんだ。その歌には心にジーン…ときます

水城東門礎石 … 都へ繋がる古代官道、 大伴旅人はここで見送りの人と別れを惜しんだ。その歌には心にジーン…ときます

水城東門礎石 … 都へ繋がる古代官道、 大伴旅人はここで見送りの人と別れを惜しんだ。その歌には心にジーン…ときます

近くにある塞ノ神 。悪霊…等の侵入を防いだ

近くにある塞ノ神 。悪霊…等の侵入を防いだ

近くにある塞ノ神 。悪霊…等の侵入を防いだ

水城 … 全長1.2km 幅80mの防御堤
約1年足らずで完成❗ … 当時の危機感がヒシヒシ…と、伝わってきます
正面は脊振山

水城 … 全長1.2km 幅80mの防御堤 約1年足らずで完成❗ … 当時の危機感がヒシヒシ…と、伝わってきます 正面は脊振山

水城 … 全長1.2km 幅80mの防御堤 約1年足らずで完成❗ … 当時の危機感がヒシヒシ…と、伝わってきます 正面は脊振山

国分尼寺跡 … 今では、畑に。

国分尼寺跡 … 今では、畑に。

国分尼寺跡 … 今では、畑に。

国分寺跡 … 七重の塔跡

国分寺跡 … 七重の塔跡

国分寺跡 … 七重の塔跡

御笠団印出土地 … 大宰府政庁の軍団の印が見つかりました

御笠団印出土地 … 大宰府政庁の軍団の印が見つかりました

御笠団印出土地 … 大宰府政庁の軍団の印が見つかりました

遠賀団印出土地 … 水城小学校でも出土。
国内では、この二つしか見つかってません

遠賀団印出土地 … 水城小学校でも出土。 国内では、この二つしか見つかってません

遠賀団印出土地 … 水城小学校でも出土。 国内では、この二つしか見つかってません

一の鳥居 … 宰府参りの参道はここから始まります

一の鳥居 … 宰府参りの参道はここから始まります

一の鳥居 … 宰府参りの参道はここから始まります

一の鳥居の礎にある道標
是ヨリ、ひがしさいふ二日市……と、読めました。裏には、元禄四年の銘があります

一の鳥居の礎にある道標 是ヨリ、ひがしさいふ二日市……と、読めました。裏には、元禄四年の銘があります

一の鳥居の礎にある道標 是ヨリ、ひがしさいふ二日市……と、読めました。裏には、元禄四年の銘があります

朱雀門礎石 … 朱雀大路が目に浮かびます

朱雀門礎石 … 朱雀大路が目に浮かびます

朱雀門礎石 … 朱雀大路が目に浮かびます

榎社 … 菅原道真は左遷され、亡くなるまでの2年間、ここで過ごす

榎社 … 菅原道真は左遷され、亡くなるまでの2年間、ここで過ごす

榎社 … 菅原道真は左遷され、亡くなるまでの2年間、ここで過ごす

浄妙尼社 … 老婆(浄妙尼)が餅を梅の枝に刺して、道真公に捧げた。
… これが、梅ヶ枝餅の始まりだそうです

浄妙尼社 … 老婆(浄妙尼)が餅を梅の枝に刺して、道真公に捧げた。 … これが、梅ヶ枝餅の始まりだそうです

浄妙尼社 … 老婆(浄妙尼)が餅を梅の枝に刺して、道真公に捧げた。 … これが、梅ヶ枝餅の始まりだそうです

大宰府政庁跡から鬼門(北東)方向に、
竈門山(宝満山)があります

大宰府政庁跡から鬼門(北東)方向に、 竈門山(宝満山)があります

大宰府政庁跡から鬼門(北東)方向に、 竈門山(宝満山)があります

南門から正殿を見ます
背後は大城山(四王寺山)

南門から正殿を見ます 背後は大城山(四王寺山)

南門から正殿を見ます 背後は大城山(四王寺山)

正殿から南門を見ます
…正面に基緯城が見えます

正殿から南門を見ます …正面に基緯城が見えます

正殿から南門を見ます …正面に基緯城が見えます

正殿跡

正殿跡

正殿跡

戒壇院 … 日本三戒壇の一つ
開山は鑑真です

戒壇院 … 日本三戒壇の一つ 開山は鑑真です

戒壇院 … 日本三戒壇の一つ 開山は鑑真です

観世音寺の講堂
天智天皇が母(斉明天皇)を弔う為に建立

観世音寺の講堂 天智天皇が母(斉明天皇)を弔う為に建立

観世音寺の講堂 天智天皇が母(斉明天皇)を弔う為に建立

最古(698年造)の鐘楼
…大晦日の夜に聞いたことあるなぁ~

最古(698年造)の鐘楼 …大晦日の夜に聞いたことあるなぁ~

最古(698年造)の鐘楼 …大晦日の夜に聞いたことあるなぁ~

門前町、松屋で
…薩摩藩の定宿で、西郷どん、月照に関するものが残ってます

門前町、松屋で …薩摩藩の定宿で、西郷どん、月照に関するものが残ってます

門前町、松屋で …薩摩藩の定宿で、西郷どん、月照に関するものが残ってます

店内にある
…西郷どんの手紙(コピー)

店内にある …西郷どんの手紙(コピー)

店内にある …西郷どんの手紙(コピー)

菅原道真の有名な歌
…東風吹かば……

菅原道真の有名な歌 …東風吹かば……

菅原道真の有名な歌 …東風吹かば……

延寿王院 
…三条実美ら五卿が匿われ、
約三年間ここで過ごしてます

延寿王院 …三条実美ら五卿が匿われ、 約三年間ここで過ごしてます

延寿王院 …三条実美ら五卿が匿われ、 約三年間ここで過ごしてます

御神牛 … 頭や鼻がピカピカになるほど人気
…本来は自分の治したい箇所と同じ所を撫でるのに…皆、頭を治したいのかなぁ~(笑)
私なら、膝と腰を擦ります

御神牛 … 頭や鼻がピカピカになるほど人気 …本来は自分の治したい箇所と同じ所を撫でるのに…皆、頭を治したいのかなぁ~(笑) 私なら、膝と腰を擦ります

御神牛 … 頭や鼻がピカピカになるほど人気 …本来は自分の治したい箇所と同じ所を撫でるのに…皆、頭を治したいのかなぁ~(笑) 私なら、膝と腰を擦ります

心字池 … 過去・現在・未来の三つの橋を渡って境内へ

心字池 … 過去・現在・未来の三つの橋を渡って境内へ

心字池 … 過去・現在・未来の三つの橋を渡って境内へ

過去の橋を渡りながら…
現在・未来を見つめます

過去の橋を渡りながら… 現在・未来を見つめます

過去の橋を渡りながら… 現在・未来を見つめます

楼門は石田三成が再興した伝えもありますが
…その後、火災で消失したそうです

楼門は石田三成が再興した伝えもありますが …その後、火災で消失したそうです

楼門は石田三成が再興した伝えもありますが …その後、火災で消失したそうです

麒麟とウソ(天神さまのお使い)

麒麟とウソ(天神さまのお使い)

麒麟とウソ(天神さまのお使い)

本殿

本殿

本殿

学問の神様だけに、たくさん掛かってます

学問の神様だけに、たくさん掛かってます

学問の神様だけに、たくさん掛かってます

お石茶屋
…昭和の初めの頃、
お石さんが政財界の人達に
大モテだったそうです

お石茶屋 …昭和の初めの頃、 お石さんが政財界の人達に 大モテだったそうです

お石茶屋 …昭和の初めの頃、 お石さんが政財界の人達に 大モテだったそうです

麻生太吉(麻生太郎さんの曾祖父)さんはトンネルまで造って通ったのかな…?

麻生太吉(麻生太郎さんの曾祖父)さんはトンネルまで造って通ったのかな…?

麻生太吉(麻生太郎さんの曾祖父)さんはトンネルまで造って通ったのかな…?

豆塚山にも登ったなぁ~
今日はスルー

豆塚山にも登ったなぁ~ 今日はスルー

豆塚山にも登ったなぁ~ 今日はスルー

竈門神社 … 天満宮より古く
…落ち着いた雰囲気が好きです

竈門神社 … 天満宮より古く …落ち着いた雰囲気が好きです

竈門神社 … 天満宮より古く …落ち着いた雰囲気が好きです

陽が傾いてきたので、バスで帰ります
…お疲れさま🎵

陽が傾いてきたので、バスで帰ります …お疲れさま🎵

陽が傾いてきたので、バスで帰ります …お疲れさま🎵

水城駅 … 水城が駅名・地域名にも残り、1300年経った今でも、親しまれてます

水城西門跡 … 古代官道で鴻臚館に繋がり、外国使節や遣唐使の表玄関になりました

水城の上は自然歩道になってます(^-^)/

水城東門礎石 … 都へ繋がる古代官道、 大伴旅人はここで見送りの人と別れを惜しんだ。その歌には心にジーン…ときます

近くにある塞ノ神 。悪霊…等の侵入を防いだ

水城 … 全長1.2km 幅80mの防御堤 約1年足らずで完成❗ … 当時の危機感がヒシヒシ…と、伝わってきます 正面は脊振山

国分尼寺跡 … 今では、畑に。

国分寺跡 … 七重の塔跡

御笠団印出土地 … 大宰府政庁の軍団の印が見つかりました

遠賀団印出土地 … 水城小学校でも出土。 国内では、この二つしか見つかってません

一の鳥居 … 宰府参りの参道はここから始まります

一の鳥居の礎にある道標 是ヨリ、ひがしさいふ二日市……と、読めました。裏には、元禄四年の銘があります

朱雀門礎石 … 朱雀大路が目に浮かびます

榎社 … 菅原道真は左遷され、亡くなるまでの2年間、ここで過ごす

浄妙尼社 … 老婆(浄妙尼)が餅を梅の枝に刺して、道真公に捧げた。 … これが、梅ヶ枝餅の始まりだそうです

大宰府政庁跡から鬼門(北東)方向に、 竈門山(宝満山)があります

南門から正殿を見ます 背後は大城山(四王寺山)

正殿から南門を見ます …正面に基緯城が見えます

正殿跡

戒壇院 … 日本三戒壇の一つ 開山は鑑真です

観世音寺の講堂 天智天皇が母(斉明天皇)を弔う為に建立

最古(698年造)の鐘楼 …大晦日の夜に聞いたことあるなぁ~

門前町、松屋で …薩摩藩の定宿で、西郷どん、月照に関するものが残ってます

店内にある …西郷どんの手紙(コピー)

菅原道真の有名な歌 …東風吹かば……

延寿王院 …三条実美ら五卿が匿われ、 約三年間ここで過ごしてます

御神牛 … 頭や鼻がピカピカになるほど人気 …本来は自分の治したい箇所と同じ所を撫でるのに…皆、頭を治したいのかなぁ~(笑) 私なら、膝と腰を擦ります

心字池 … 過去・現在・未来の三つの橋を渡って境内へ

過去の橋を渡りながら… 現在・未来を見つめます

楼門は石田三成が再興した伝えもありますが …その後、火災で消失したそうです

麒麟とウソ(天神さまのお使い)

本殿

学問の神様だけに、たくさん掛かってます

お石茶屋 …昭和の初めの頃、 お石さんが政財界の人達に 大モテだったそうです

麻生太吉(麻生太郎さんの曾祖父)さんはトンネルまで造って通ったのかな…?

豆塚山にも登ったなぁ~ 今日はスルー

竈門神社 … 天満宮より古く …落ち着いた雰囲気が好きです

陽が傾いてきたので、バスで帰ります …お疲れさま🎵