今日は年末までで、数少ない晴マーク。 太宰府の歴史を全体的に見ようと、 気になってた水城から…と、早速GO❗ 古代~近世までと、水城駅からスタート→太宰府政庁跡→太宰府天満宮を経て、竈門神社にゴール。 頭の整理にと、簡単にメモしました。 宜しければ、見てくださいね。 ①百済滅亡を機に、短期間で築かれた水城・土塁…等、当時の危機感と槌音が聞こえて くるようでした。 ②“遠の朝廷”と詠われ、東西南北2km余りの条坊都市、その町並みは平城京・平安京に遜色なかったでしょう… 空海・最澄、鑑真たちも滞在しました。 正殿跡からは、当時の発展が見えてくる感じでした(笑) ③やがて、政庁の役目も衰退し、 中心は博多の方に移って行きます。 反面、菅原道真が葬られた天満宮は、 天神さまとして、崇められ発展していく。 ④足利尊氏の反撃の起点となったり、戦国時代の荒波に巻き込まれたりしますが、 維新時、西郷どん・伊藤博文の足跡、五卿 の三年余りの滞在…等、 太宰府ブランドは生きてるなあ…。 ⑤昭和になっても、著名人達の逸話が残ってます。 今回、嬉しかったこと… ※2個しか見つかってない“軍団印”の 発掘場所が確認できたこと。 ※太宰府政庁は大城山(四王寺山)を背景に、北東方向に竈門山を配し、三郡山系が屏風のように守っている❗ やはり、この場所しかないなぁ…と、 改めてひとり納得しました。 まだまだ、たくさんの史跡が残ってます。 山に疲れた時…等、気分転換に、これからも歩いて見よう…と、思いました。
水城駅 … 水城が駅名・地域名にも残り、1300年経った今でも、親しまれてます
水城西門跡 … 古代官道で鴻臚館に繋がり、外国使節や遣唐使の表玄関になりました
水城の上は自然歩道になってます(^-^)/
水城東門礎石 … 都へ繋がる古代官道、 大伴旅人はここで見送りの人と別れを惜しんだ。その歌には心にジーン…ときます
近くにある塞ノ神 。悪霊…等の侵入を防いだ
水城 … 全長1.2km 幅80mの防御堤 約1年足らずで完成❗ … 当時の危機感がヒシヒシ…と、伝わってきます 正面は脊振山
国分尼寺跡 … 今では、畑に。
国分寺跡 … 七重の塔跡
御笠団印出土地 … 大宰府政庁の軍団の印が見つかりました
遠賀団印出土地 … 水城小学校でも出土。 国内では、この二つしか見つかってません
一の鳥居 … 宰府参りの参道はここから始まります
一の鳥居の礎にある道標 是ヨリ、ひがしさいふ二日市……と、読めました。裏には、元禄四年の銘があります
朱雀門礎石 … 朱雀大路が目に浮かびます
榎社 … 菅原道真は左遷され、亡くなるまでの2年間、ここで過ごす
浄妙尼社 … 老婆(浄妙尼)が餅を梅の枝に刺して、道真公に捧げた。 … これが、梅ヶ枝餅の始まりだそうです
大宰府政庁跡から鬼門(北東)方向に、 竈門山(宝満山)があります
南門から正殿を見ます 背後は大城山(四王寺山)
正殿から南門を見ます …正面に基緯城が見えます
正殿跡
戒壇院 … 日本三戒壇の一つ 開山は鑑真です
観世音寺の講堂 天智天皇が母(斉明天皇)を弔う為に建立
最古(698年造)の鐘楼 …大晦日の夜に聞いたことあるなぁ~
門前町、松屋で …薩摩藩の定宿で、西郷どん、月照に関するものが残ってます
店内にある …西郷どんの手紙(コピー)
菅原道真の有名な歌 …東風吹かば……
延寿王院 …三条実美ら五卿が匿われ、 約三年間ここで過ごしてます
御神牛 … 頭や鼻がピカピカになるほど人気 …本来は自分の治したい箇所と同じ所を撫でるのに…皆、頭を治したいのかなぁ~(笑) 私なら、膝と腰を擦ります
心字池 … 過去・現在・未来の三つの橋を渡って境内へ
過去の橋を渡りながら… 現在・未来を見つめます
楼門は石田三成が再興した伝えもありますが …その後、火災で消失したそうです
麒麟とウソ(天神さまのお使い)
本殿
学問の神様だけに、たくさん掛かってます
お石茶屋 …昭和の初めの頃、 お石さんが政財界の人達に 大モテだったそうです
麻生太吉(麻生太郎さんの曾祖父)さんはトンネルまで造って通ったのかな…?
豆塚山にも登ったなぁ~ 今日はスルー
竈門神社 … 天満宮より古く …落ち着いた雰囲気が好きです
陽が傾いてきたので、バスで帰ります …お疲れさま🎵