活動データ
タイム
00:43
距離
1.4km
のぼり
122m
くだり
172m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る大和国の中世・戦国の城跡をめぐる企画をしてみます。 スタートを飾る栄えある1城目は、生駒郡平群町(いこまぐん へぐり ちょう)にある島の左近の城と言われる椿井(つばい)城に行って来ました。 8年ぶりの登城でしたが、城の半分の北曲輪が発掘調査と整備の為、立ち入り禁止になっていました。主郭に行けず残念でしたが、新しい発見に期待したいので、これからの発掘調査の成果を心待ちにしたいと思います。 でも一昔前は、難攻不落(未整備)の山城でした。今は地元の青年団の方々が町おこしの一環として整備して下さっているので感謝しなければと思います。この場をお借りしてお礼を申し上げます。 さて縄張りは、城全体(4峰)を四方八方が急峻な崖で守られております。唯一の弱点として考えられるのは、南からの尾根づたいの攻撃に対しての防御施設のその完成度。やはり、流石です。その機能を充分果たしている深く幅のある堀切が2本。その1つは土橋。現地に脚を運べばその凄さは一目瞭然。 私は専門家ではないので、詳しい説明が出来ないのが残念ですが、ちょっとしたお城の知識を持って行っただけでも、頭の中で昔の城のイメージが沸いてくるし、自分なりの考えや想像が、面白味を倍増させてくれるのかもしれませんね。機会があれば是非、訪れてみて下さい。 この椿井城跡は、築城者がはっきりしないらしいですが、石田三成に仕えた島左近の地元ですから、左近との関わりがあると言われています。地元では、信じられています。私もです。 この城の麓に平等寺館跡があって島氏の館と伝わっております。その館とは西の谷筋の大手道で城とつながっていますので、平時には館、戦の時には椿井城と使い分けをしたのではないでしょうか。段々と結びついてきました。 島氏は、筒井や松永に仕えていたし、一時期、松永弾正の信貴山城の支城となった事もあったりするから、やはり、左近が城に入っていた可能性が非常に高いと思います。想像が膨らみます! ちなみに、島の左近 松倉の右近(島原のキリシタン拷問・処刑で有名ですよね)は「筒井の右近・左近」です。 あと、お城跡近くに「道の駅 くまがし平群」があります。椿井城跡の資料が置いてあったと思います。寄ってみてください~。(^O^)
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