高山不動尊・関八州見晴台とその近傍

2018.11.20(火) 日帰り

活動データ

タイム

08:29

距離

14.6km

のぼり

993m

くだり

933m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
8 時間 29
休憩時間
1 時間 24
距離
14.6 km
のぼり / くだり
993 / 933 m
37
8
6
5
1 26
1 11
1 49

活動詳細

すべて見る

11月第3週の平日火曜日。 今季最後の紅葉を求め、休暇を取って馴染みの奥武蔵へ。 1300年を超える歴史を有する奥武蔵 随一の古刹で、かつて源頼朝、徳川家康らの崇敬を受けて「関東三不動」の一つとして殷賑を極めた「高山不動尊」に参拝し、奥ノ院がある「関八州見晴台」に登りました。 そして北面の岩稜帯「蟻ノ戸渡り」を巻いて「武巌琴宮」の石碑を見てから、産業観光林道 奥武蔵グリーンラインの「花立松ノ峠」、「傘杉峠」を経て八徳の集落を下り、「大窪峠」を越えて西吾野駅に戻りました。 平日朝の西吾野駅で降りたハイカーは自分一人です。 間野の集落で地元の方に道を聞き、古い石道標を見て「萩ノ平コース」の登山道に入りました。 空は曇りがちで、檜と杉の人工林を主体とする道なのになぜか明るく清々しく感じられるのは、ここが高山不動尊への古の参道であり、また晩秋の澄んだ空気が清浄な雰囲気を醸し出しているからかもしれません。 美味しい甘酒が名物だったという萩ノ平茶屋跡を見て明瞭な径路を辿ると、江戸時代後期の小さな石仏があります。 当時の高山村主が置いた石仏で、ここを通った昔の参拝者は皆 手を合わせた事でしょう。 登山道から外れ、「愛宕山」の山頂にある祠に立ち寄ります。一つの石に地蔵菩薩・毘沙門天・不動明王が刻出された珍しいものですが、皆何やらコミカルな御姿で、江戸時代の石工の遊び心を感じます。 登山道に戻り、山神社を見て緩やかに下ると「高山不動尊」の大銀杏の前に出ました。 樹齢800年以上にも及ぶといわれる巨木で、圧倒的な存在感です。 一方、銀杏の反対側にはモミジの大木があり、こちらは真っ赤に色づいた葉とまだ緑の葉とのコントラストが見事です。 木を見上げたり、眼前に大きく開けた奥武蔵の山波を眺めたりで暫し休憩を取りました。 110段の石段を上がり、嘉永2年 1849年に再建された「常楽院不動堂」に参拝します。 半年前に来た時には保全工事中でネットが張られていましたが、今回は質素でありながら豪快かつ緻密な構造の不動堂をじっくりと見て回る事ができました。 続いて、すぐ南にある「虚空蔵山」に登ります。山頂の祠には飯能市最古の野仏である350年前の「虚空蔵菩薩」がいらっしゃいます。また、ここからは武甲山と横瀬二子山の間に「両神山」の鋸歯状稜線を望む事ができました。 暫く車道を縫い、やがて山道に入って自然林の紅葉に見とれながら北にぐんぐん直登すると、「関八州見晴台」に至ります。 現在ここには「高山不動尊 奥ノ院」がありますが、昔々はここに本堂があり、一帯には大廈高楼が並び競って修験道場として隆盛を極めたといいます。 関八州とは大袈裟にしても、 特に南・西の展望は雄大で、奥武蔵・秩父・奥多摩・丹沢の山波を望み、ザックから双眼鏡を取り出して覗くとスカイツリー、東京湾、アクアライン、高層ビル群も見えました。 山頂には栃木県から来たという60代の男女4人のグループがいらっしゃって会話を聞いているだけでも楽しかったのですが、写真撮影をお手伝いしたのを機に少しお話しする事ができました。 この後は登山道を外れて登山詳細図に記載の「蟻ノ戸渡り」という上級者向けコースに入りましたが、岩場は巻いて「武巌琴宮」と彫られた大正時代の立派な石碑を見て東に下って林道に出ました。 羊腸する林道を緩やかに登り、北東に関東平野を眺めながら「花立松ノ峠」で再び山道に入り、「熊野嶽」(岩岳)の岩場に立ち寄って「傘杉峠」に向かいます。 この辺り、産業観光林道「奥武蔵グリーンライン」に沿った杉・檜の人工林ばかりなのですが、平日とあって車やバイクの通行は僅かで、実に静かな山歩きを楽しめました。 傘杉峠の手前で昼休憩とし、湯を沸かしてラーメンを食べます。 後片付けをしていると、不意に目の前に小さなバッタが現れました。動きは緩慢で、跳ぶ力も衰えているようです。もう山の自然に還る日が近いのでしょう、晩秋を感じます。 人工林に囲まれた「傘杉峠」からは車道歩きで「八徳」に下ります。読みは「やっとく」で、古い歴史を持つ山上集落です。 ずんずん下っていくと、路上の落ち葉を掃いていた地元の方に呼び止められ、30分近くも話し込みました。最近の世間話からこの64歳男性の人生史に至るまで、いろいろな話をお聞かせいただきました。 別れ際に「じゃ、また!」と手を振る姿が印象に残っています。 八徳の畑地からは、 西に開ける展望が見事です。午後の逆光に浮かぶ山波に暫し見とれ、また歩きだすと路上でカマキリを見つけました。草地に移動させようと持ち上げると、やはり動作は弱々しく、羽の先は茶色に変色して萎れています。 次の世代に襷を繋ぐ事はできたのでしょうか。 ここにも晩秋の黄昏を見て、短くも儚く去りゆく命への愛惜の念が胸に打ち寄せます。 山麓に着くと、もう夕方の気配が漂っていました。 「梨本峠」への径を登り、尾根を伝って「大窪峠」へと急ぎます。 明瞭な切通しの大窪峠を越えて西に下ると、前方に「子ノ権現」を擁する子ノ山とその近傍の山々が聳え、空は淡い茜色を残して暮れかけていました。 国道沿いを抜けて西吾野駅への坂を上ると、部活帰りらしいジャージ姿の中学生と次々と擦れ違います。 晩秋の平日の小さな山旅は、これにて終了です。 mixi山行日記 【晩秋の高山不動尊とその近傍】 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969764229&owner_id=12844177 1、萩ノ平・愛宕山・高山不動尊 2、虚空蔵山の虚空蔵菩薩 3、関八州見晴台 4、蟻ノ戸渡り・武巌琴宮 5、花立松ノ峠・岩岳山・傘杉峠 6、八徳 山村の人と晩秋の虫

関八州見晴台 今日は高山不動尊に向かいます。
今日は高山不動尊に向かいます。
関八州見晴台 何度か歩き回った北川地区の案内板です。
何度か歩き回った北川地区の案内板です。
関八州見晴台 馬頭観音(享和元年 1801年)です。虫歯の神様として信仰されていました。
馬頭観音(享和元年 1801年)です。虫歯の神様として信仰されていました。
関八州見晴台 「右 たかやま 道」とあります。昔の旅人に高山不動尊への道を示した道標です。
「右 たかやま 道」とあります。昔の旅人に高山不動尊への道を示した道標です。
関八州見晴台 「左 子の権現」です。
「左 子の権現」です。
関八州見晴台 萩ノ平茶屋跡。甘酒が名物だったそうです。
萩ノ平茶屋跡。甘酒が名物だったそうです。
関八州見晴台 天保年間の小さな石仏。「高山村主 熊五良」とあります。
天保年間の小さな石仏。「高山村主 熊五良」とあります。
関八州見晴台 「愛宕様」(文化11年 1814年)。良質な石材で知られた「伊豆石」が使われています。
「愛宕様」(文化11年 1814年)。良質な石材で知られた「伊豆石」が使われています。
関八州見晴台 毘沙門天。
毘沙門天。
関八州見晴台 不動明王。
不動明王。
関八州見晴台 上部には地蔵菩薩。
上部には地蔵菩薩。
関八州見晴台 建屋に収まっていらっしゃいます。
建屋に収まっていらっしゃいます。
関八州見晴台 山神社。
山神社。
関八州見晴台 奥武蔵の山波を望みます。
奥武蔵の山波を望みます。
関八州見晴台 「高山不動の大イチョウ」説明板。
「高山不動の大イチョウ」説明板。
関八州見晴台 圧倒的な存在感です。葉は黄色に染まりかけでした。
圧倒的な存在感です。葉は黄色に染まりかけでした。
関八州見晴台 モミジの葉は赤と緑が混じっていました。
モミジの葉は赤と緑が混じっていました。
関八州見晴台 大イチョウの幹には「気根」が発達しています。
大イチョウの幹には「気根」が発達しています。
関八州見晴台 陽が差すと綺麗です。
陽が差すと綺麗です。
関八州見晴台 110段の石段を上がります。
110段の石段を上がります。
関八州見晴台 不動堂の説明板。
不動堂の説明板。
関八州見晴台 不動堂。質素です。
不動堂。質素です。
関八州見晴台 造りは緻密です。
造りは緻密です。
関八州見晴台 誰もおらず、清々しい雰囲気でした。
誰もおらず、清々しい雰囲気でした。
関八州見晴台 すぐ近くの虚空蔵山に向かいます。
すぐ近くの虚空蔵山に向かいます。
関八州見晴台 双眼鏡を覗くと武甲山と横瀬二子山の間から両神山の稜線が見えます。
双眼鏡を覗くと武甲山と横瀬二子山の間から両神山の稜線が見えます。
関八州見晴台 寛文7年 1667年の虚空蔵菩薩。飯能市最古の野仏です。
寛文7年 1667年の虚空蔵菩薩。飯能市最古の野仏です。
関八州見晴台 まだ紅葉が残っていました。
まだ紅葉が残っていました。
関八州見晴台 色とりどりです。
色とりどりです。
関八州見晴台 やはり陽射しが出ると綺麗です。暫く眺めていました!
やはり陽射しが出ると綺麗です。暫く眺めていました!
関八州見晴台 車道を跨ぎ、もう少し登ります。
車道を跨ぎ、もう少し登ります。
関八州見晴台 黄色も残っていました。
黄色も残っていました。
関八州見晴台 両神山(右端奥彼方)、横瀬二子山(右端)武甲山(右)、その他 奥武蔵の山々。
両神山(右端奥彼方)、横瀬二子山(右端)武甲山(右)、その他 奥武蔵の山々。
関八州見晴台 束の間の、誰もいない関八州見晴台です。
束の間の、誰もいない関八州見晴台です。
関八州見晴台 今日の最高点です。
今日の最高点です。
関八州見晴台 「皇紀二千六百年」は昭和15年です。
「皇紀二千六百年」は昭和15年です。
関八州見晴台 「奥ノ院」です。
「奥ノ院」です。
関八州見晴台 格子の隙間から撮影しました。
格子の隙間から撮影しました。
関八州見晴台 中央右に「大岳山」の特徴的な山容が見えます。
中央右に「大岳山」の特徴的な山容が見えます。
関八州見晴台 「蟻ノ戸渡り」の岩場。
「蟻ノ戸渡り」の岩場。
関八州見晴台 滑るような岩ではありませんが無理せず巻き道を行く事にします。
滑るような岩ではありませんが無理せず巻き道を行く事にします。
関八州見晴台 「武巌琴宮」(大正12年  1923年)。
「武巌琴宮」(大正12年 1923年)。
関八州見晴台 山肌は人工林ばかりではありません。
山肌は人工林ばかりではありません。
関八州見晴台 北東に比企郡の平野部が見えました。
北東に比企郡の平野部が見えました。
関八州見晴台 花立松ノ峠。
花立松ノ峠。
関八州見晴台 傘杉峠に向かいます。
傘杉峠に向かいます。
関八州見晴台 熊野嶽(岩岳山)の山頂直下。この右手には巨岩がありました。
熊野嶽(岩岳山)の山頂直下。この右手には巨岩がありました。
関八州見晴台 思索に耽りながら歩くのに好適な小径です。
思索に耽りながら歩くのに好適な小径です。
関八州見晴台 バッタさんです。
バッタさんです。
関八州見晴台 「傘杉峠」。古書にあるような峠らしい風情は失われています。
「傘杉峠」。古書にあるような峠らしい風情は失われています。
関八州見晴台 晩秋ですね。
晩秋ですね。
関八州見晴台 八徳の集落からの展望。
八徳の集落からの展望。
関八州見晴台 カマキリさん。草の上に移しました。
カマキリさん。草の上に移しました。
関八州見晴台 安政2年 1855年の「不動尊」。
安政2年 1855年の「不動尊」。
関八州見晴台 大きな石灯籠は高山不動尊の参道入口を示しています。
大きな石灯籠は高山不動尊の参道入口を示しています。
関八州見晴台 「大窪峠」。大正時代に開削され、小学生の通学路として使われていました。
「大窪峠」。大正時代に開削され、小学生の通学路として使われていました。

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