晩秋の奥武蔵 旧 正丸峠 虚空蔵峠 大野峠

2018.11.11(日) 日帰り

活動データ

タイム

07:37

距離

11.2km

のぼり

926m

くだり

835m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間 37
休憩時間
1 時間 18
距離
11.2 km
のぼり / くだり
926 / 835 m
6
1 2
1 17
32
4
4
1
6
25
15
1 39

活動詳細

すべて見る

武蔵野の平野と秩父の盆地を繋ぐ奥武蔵の山々には昔から峠路が四通八達し、信仰・交易・生活の道として歩かれてきました。 現代では山中の峠路を歩くのは趣味のハイカーだけですが、山路には今も苔生した石仏たちが人待ち顔で佇んでいます。 今回は「秩父往還 吾野通り」の 旧 正丸峠から北へ稜線を伝い、サッキョ峠、虚空蔵峠、大野峠へと すっかり通い慣れた山路を辿り、石仏・石造物に御挨拶してきました。 大野峠からは南へ、芦ヶ久保川沿いの赤谷に下ります。 大人気の「伊豆ヶ岳」への起点となる西武秩父線 正丸駅に着くと、今日も駅前は多くのハイカーで大盛況。 ほぼ全員が伊豆ヶ岳を目指すと思われます。 一方、 旧 正丸峠へと向かうのは自分独りのようです。 国道を離れて集落に入ると、可愛い黒猫に出会いました。続いて、民家の軒下に3匹の猫を見かけました。皆 似たような柄なのできっと兄弟なのでしょう、仲良く身を寄せ合っています。 この集落で猫たちに会ったのは初めてで、ほっこりとした気分になりました。 子育て地蔵、馬頭観音、そして古い石道標を見て峠路に入り、吾野地区では最古の苔生した馬頭観音に手を合わせて、峠へと続く沢沿いの径を歩きます。 江戸と秩父を最短距離で結ぶ「秩父往還 吾野通り」として江戸時代中期の享保年間から盛んに人馬が通行し、秩父産の絹織物を運ぶ交易路として、さらに三峯神社や秩父札所への参詣路としても歩かれた道です。 また、この峠路の歴史は鎌倉時代にまで遡るといわれています。 今日も人影の無い静寂そのものの径路を一歩一歩無心に歩み、すっかり寂れた旧 国道を跨いで再び山路を辿ると、やがて峠に至ります。 旧 正丸峠。古称「秩父峠」。 空は一面の薄曇りで、青空はほんの僅かに覗いているだけです。 自然林の葉の色づきはまだ淡いのですが、陽射しが無いので寒々しく、晩秋の気配を感じました。 ここからは北へ、いわゆる「奥武蔵高原」に至る稜線を歩きます。 幾つかの小ピークを踏み、「サッキョ峠」を経て登降を繰り返すと「虚空蔵峠」に着きました。秩父から遥々 九州沿岸の防備に向かう防人も越えたといわれる、秩父・奥武蔵山域では最古の峠です。 峠の片隅には像容の風化が著しい年代不詳の虚空蔵菩薩が寂しげに佇んでおられます。 ここには産業観光林道「奥武蔵グリーンライン」が通っているのでバイクや自転車の通行がありますが、石仏に気づく人はほとんどいないでしょう。 少し陽射しが出てきました。 自然林の雰囲気が良い「牛立久保」に至り、一息つきます。バイクツーリングのライダーたちで賑わっている様子の「刈場坂峠」には寄らず、そのまま北へ進みます。 北東に関東平野を望む「七曲り峠」を経て、「刈場岳」の山頂から下った先のいつもの岩で昼食休憩としました。 陽射しは再び翳り、少し肌寒い体感です。もう晴れる事は無いでしょう。天気予報は外れたようです。 朝、伊豆ヶ岳に向かった皆さんもあまり展望には恵まれずガッカリしているかもしれません。 さらにグリーンラインと並行して北に歩き、「大野峠」に着きました。 古くは秩父と比企を結んで人々が盛んに行き交った山上交通の要衝であり、昭和に入ってからは「奥武蔵で最も美しい峠」とも呼ばれた峠ですが、現在は鬱蒼とした人工林に囲まれて展望も無い無味乾燥な林道交差点となっています。 路傍の草むらの中に「馬頭観世音」と彫られた江戸時代末期の立派な自然石が立っており、石の下部には左は不詳ですが右は「高山不動」を指す文字が彫られ、道標を兼ねていた事がわかります。 休憩していると丸山方面からハイカーたちが下りてきましたが、石碑は誰の目にも止まらなかったようです。 古の峠の歴史を語る唯一の証人とも言えるこの石碑は、現代の人々からは一顧だにされる事なくやがては野辺に倒れ臥し、意味を喪った石くれとなってしまうのでしょうか。 落ち葉が風に煽られてカサカサと音を立て、ふと顔を上げると南の樹間に逆光に浮かぶ武甲山の山影が微かに見えました。 ここからは南へ、芦ヶ久保の赤谷に下ります。 道中にはこの山域で最も愛らしい御姿の馬頭観音がいらっしゃるので、会うのが楽しみです。 ずんずん下り、やがて沢音が高くなって井戸入沢の右岸の斜面に付けられた水平径路を辿っていくと、その小さな馬頭観音があります。 江戸時代中期のもので、地形などから推測するに、何らかの理由でここで命を落とした愛馬を供養する為に個人が祀ったものと思われます。 野仏らしい極めて素朴な像容で、観音様の慈愛に満ちた安らかな表情とまるで微笑んでいるかのような馬頭の表情からは、馬方が馬に寄せた深い愛情と石工の真心がしみじみと感じられて、一介の旅行者たる自分も手を合わせずにはいられません。 ここから山麓の赤谷まではほんの一投足です。林を抜けると豁然と展望が開け、芦ヶ久保の谷と集落を眼下に見渡します。 山肌は鈍く色づき、秩父盆地に至る谷筋とその彼方の山肌が雲間から差す斜光を浴びて仄赤く染まっています。 国道沿いを歩いていると一軒の家の戸口が開き、お爺さんの後について飼い猫が出てきました。私を怪しい者と見てサッと身を伏せ、油断なくこちらを見ています。なかなかしっかり者の猫のようです。お爺さんを頼むぞ!と声をかけたくなりました。 さらに、散歩中の秋田犬にも出会いました。飼い主からいかに愛され、大切にされているかが一目でわかる綺麗な毛並みと優しい顔つきで、まだ あどけなさが残る若い犬です。人間を疑う事を知らない無垢で円らな瞳をこちらに向けて、ピンと立てた尻尾を何度か振ってくれました。 晩秋の寂寥に滲んでいた私の心はふんわりと温かくなって、すっかり暮れ落ちた山峡の道を芦ヶ久保駅へと歩きます。 ふと見上げた夜空には 星が一つ二つ、瞬きはじめました。 (峠路の詳しい歴史や感想については以下の日記に書いております。) mixi日記 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969406631&owner_id=12844177 1、秩父往還 吾野通り 旧 正丸峠へ 2、虚空蔵峠から大野峠へ 3、大野峠の今昔 4、赤谷の馬頭観音 5、芦ヶ久保の猫と犬 関連記録 奥武蔵の峠路と秩父往還 吾野通り https://yamap.co.jp/activity/961804

武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 西武秩父線 正丸駅前は今日もハイカーで賑わっています。
西武秩父線 正丸駅前は今日もハイカーで賑わっています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 おっ、黒猫さん。おはよう!
おっ、黒猫さん。おはよう!
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 本格的な像容の馬頭観音菩薩(寛政11年 1799年)です。
本格的な像容の馬頭観音菩薩(寛政11年 1799年)です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 子育て地蔵(寛政11年 1799年)は昔 多くの子どもた成長を見守ったのでしょう。
子育て地蔵(寛政11年 1799年)は昔 多くの子どもた成長を見守ったのでしょう。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 古い民家の軒下では猫さん三兄弟が朝の打ち合わせ中です。
古い民家の軒下では猫さん三兄弟が朝の打ち合わせ中です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「左 ちちぶ 右 大野 道」の古い石道標。ここが秩父往還上の分岐であった事の証左です。
「左 ちちぶ 右 大野 道」の古い石道標。ここが秩父往還上の分岐であった事の証左です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 古い石積みを見て峠路に入ります。
古い石積みを見て峠路に入ります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 吾野地区最古の馬頭観音(宝暦5年 1755年)です。
吾野地区最古の馬頭観音(宝暦5年 1755年)です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 里称「ままの上の馬頭さま」。峠路を行き交う人と馬を見守ってきた石仏です。
里称「ままの上の馬頭さま」。峠路を行き交う人と馬を見守ってきた石仏です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 巨岩と大木が特徴的な場所です。現在 祠は見当たりませんが、かつてはあったと推定されます。
巨岩と大木が特徴的な場所です。現在 祠は見当たりませんが、かつてはあったと推定されます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この店は、もうきっと無いでしょう。(あったらごめんなさい)
この店は、もうきっと無いでしょう。(あったらごめんなさい)
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 昭和57年の正丸トンネル開通により、この道は旧 国道となってすっかり寂れています。
昭和57年の正丸トンネル開通により、この道は旧 国道となってすっかり寂れています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 旧 正丸峠。
旧 正丸峠。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 長い歴史のある峠です。しかし石仏などはありません。
長い歴史のある峠です。しかし石仏などはありません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 北東に「奥武蔵高原」の山並みを望みます。
北東に「奥武蔵高原」の山並みを望みます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 サッキョ峠。かつてこの近くに茶店があったそうです。
サッキョ峠。かつてこの近くに茶店があったそうです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「虚空蔵峠」。路傍に石祠があります。
「虚空蔵峠」。路傍に石祠があります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 像容が著しく風化した年代不詳の虚空蔵菩薩。
像容が著しく風化した年代不詳の虚空蔵菩薩。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 少し青空が広がりました。
少し青空が広がりました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 やはり陽射しが出ると雰囲気が変わります。
やはり陽射しが出ると雰囲気が変わります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 刈場坂峠のほうへ向かいます。
刈場坂峠のほうへ向かいます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「牛立久保」。昔、ここで牛馬を休ませたといいます。
「牛立久保」。昔、ここで牛馬を休ませたといいます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 トレランは否定しませんが、「大会」競技をやる意味がわかりません。
トレランは否定しませんが、「大会」競技をやる意味がわかりません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 個人で走る方は尊敬しますが、集団でバタバタ走るのには反対です。
個人で走る方は尊敬しますが、集団でバタバタ走るのには反対です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「刈場坂峠」は賑わっているようですので立ち寄りません。
「刈場坂峠」は賑わっているようですので立ち寄りません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 稜線を避けて水平径路を辿ります。
稜線を避けて水平径路を辿ります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 晩秋の雰囲気ですね。
晩秋の雰囲気ですね。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「七曲り峠」から北東を望みます。
「七曲り峠」から北東を望みます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 堂平山。
堂平山。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「岳」は一般的には岩稜に使われますので、「刈場岳」の由来はこの岩場かもしれません。
「岳」は一般的には岩稜に使われますので、「刈場岳」の由来はこの岩場かもしれません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 見回してもカバさんは居ません。
見回してもカバさんは居ません。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 樹間に甲仁田山が見えています。
樹間に甲仁田山が見えています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 いつもこの岩で休んでいます。お世話になっています。
いつもこの岩で休んでいます。お世話になっています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「大野峠」の馬頭観世音(安政4年 1857年) 。並ぶと腰の高さほどある自然石の石碑です。
「大野峠」の馬頭観世音(安政4年 1857年) 。並ぶと腰の高さほどある自然石の石碑です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 石碑の下部には左は読み取れませんが「右 たか山」とあり、高山不動の方向を示す道標を兼ねています。
石碑の下部には左は読み取れませんが「右 たか山」とあり、高山不動の方向を示す道標を兼ねています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 道路からはこんなふうに見えます。
道路からはこんなふうに見えます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 「大野峠」。
「大野峠」。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 ちょうど1年前です。クマには人里に出ずに山中で元気に暮らしてほしいものです。
ちょうど1年前です。クマには人里に出ずに山中で元気に暮らしてほしいものです。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 一人二人入れる岩穴がありました。
一人二人入れる岩穴がありました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 峠路の馬頭観音(安永7年 1778年)です。
峠路の馬頭観音(安永7年 1778年)です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 観音様も馬も微笑んでいるような優しい表情ですね。
観音様も馬も微笑んでいるような優しい表情ですね。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 この道は今もハイカーの通行があるので新しい小銭が供えられています。
この道は今もハイカーの通行があるので新しい小銭が供えられています。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 気のせいか、右側が眼を閉じた馬の顔に見えてきます。
気のせいか、右側が眼を閉じた馬の顔に見えてきます。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 赤谷の集落と芦ヶ久保の谷が眼下に広がります。
赤谷の集落と芦ヶ久保の谷が眼下に広がります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 遠いのでわかりませんが、馬頭観音でしょうか。
遠いのでわかりませんが、馬頭観音でしょうか。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 昭和5年9月27日 赤岩喜三郎、と彫られたお地蔵様です。
昭和5年9月27日 赤岩喜三郎、と彫られたお地蔵様です。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 国道299号の路肩の斜面に並ぶ馬頭尊。
国道299号の路肩の斜面に並ぶ馬頭尊。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 4つの中で最も古いのは安永8年 1779年のものでした。先程の馬頭観音とは石質も像容もずいぶん異なります。
4つの中で最も古いのは安永8年 1779年のものでした。先程の馬頭観音とは石質も像容もずいぶん異なります。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 無人の芦ヶ久保駅ホーム。飯能行きが入ってきました。
無人の芦ヶ久保駅ホーム。飯能行きが入ってきました。
武甲山・伊豆ヶ岳・小持山 道の駅「果樹公園村あしがくぼ」で買いました。
道の駅「果樹公園村あしがくぼ」で買いました。

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