信州三大秘境 遠山郷walking

2023.07.30(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
1 時間 58
休憩時間
14
距離
5.8 km
のぼり / くだり
143 / 144 m
1 59

活動詳細

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だいぶ前のウォーキング記録になりますが、ここ3ヶ月で7000ドーモくらいゴソっと削られたので😭、枯渇したドーモをYAMAPから取り返すべく、写真と記録だけ取って放置していたしょーもないウォーキング記録もどんどん出していきます。 5月に遠山郷・下栗の里に行きましたが、今度は遠山郷の中心部を歩いてきました。 霜月祭で有名な遠山郷は、長野県の南端・中央構造線沿いの山深い谷間にある集落です🏘️ 秘境といっても、秋葉街道が通る宿場町として栄えた時期もあります。 遠山郷は民俗学的にすごく面白く、個人的にめちゃくちゃ興味がある地域です。 自分が興味あることに関してはやたらに文章長いのはいつものことなので、適当に読み飛ばしてください😅

 天竜川の支流でもある遠山川。
「遠山」とは、美濃、三河、信濃にまたがる山々の総名をさします。

集落の両脇には赤石山脈と伊那山脈がそそり立つ。
迫力のある急峻な山々に囲まれ、嫌でも山に対して畏敬の念が生まれます。
むかし遠山郷の人々は山の神を非常に恐れ、神の祟りをおさえるために毎年夏に1週間かけて、白衣を着て南アルプスに登り、村内安全を祈願したそうです。ちなみに、山の神は女神様だそうです。

山の麓の集落の人々がどのように山を見ているか?集落の文化や歴史に山がどう関わっているか?などを調べていくのもなかなか面白いです。
私は山ップより道ップ専門になりつつありますが、まあどのみち自分の人生を楽しくするためにやってるだけなんで、楽しければ山でも道でもなんでもいいんです🤣
天竜川の支流でもある遠山川。 「遠山」とは、美濃、三河、信濃にまたがる山々の総名をさします。 集落の両脇には赤石山脈と伊那山脈がそそり立つ。 迫力のある急峻な山々に囲まれ、嫌でも山に対して畏敬の念が生まれます。 むかし遠山郷の人々は山の神を非常に恐れ、神の祟りをおさえるために毎年夏に1週間かけて、白衣を着て南アルプスに登り、村内安全を祈願したそうです。ちなみに、山の神は女神様だそうです。 山の麓の集落の人々がどのように山を見ているか?集落の文化や歴史に山がどう関わっているか?などを調べていくのもなかなか面白いです。 私は山ップより道ップ専門になりつつありますが、まあどのみち自分の人生を楽しくするためにやってるだけなんで、楽しければ山でも道でもなんでもいいんです🤣
 遠山郷周辺、山深いから🐻もでてるよ
人里近いところに出てるのが気になるね
遠山郷周辺、山深いから🐻もでてるよ 人里近いところに出てるのが気になるね
 遠山郷の集落に入ると、一人で夜道を歩いている時にライトアップされたら絶叫するレベルの、遠山郷ゆかりの神様たちの巨大顔面モニュメントがあります。
神様ってぼんやり漠然としたイメージだけど、ハッキリと「顔」として、可視化して見れる機会はあまりないんじゃないかな。

天満宮は菅原道真を祀る神社のこと、いわゆる天神様です。道真さんは吉沢亮似のシュッとしたイケメンなんすね〜
遠山郷の集落に入ると、一人で夜道を歩いている時にライトアップされたら絶叫するレベルの、遠山郷ゆかりの神様たちの巨大顔面モニュメントがあります。 神様ってぼんやり漠然としたイメージだけど、ハッキリと「顔」として、可視化して見れる機会はあまりないんじゃないかな。 天満宮は菅原道真を祀る神社のこと、いわゆる天神様です。道真さんは吉沢亮似のシュッとしたイケメンなんすね〜
 八幡大神
遠山氏が鶴岡八幡宮から呼び寄せた神様。
鼻でかいね
八幡大神 遠山氏が鶴岡八幡宮から呼び寄せた神様。 鼻でかいね
 火の王👺
火の王👺
 水の王
火の王と似たような天狗系だけど、こちらは口がへの字

火の王と水の王は、霜月祭りで呼ばれる神様の中でもとても重要視されます
水の王 火の王と似たような天狗系だけど、こちらは口がへの字 火の王と水の王は、霜月祭りで呼ばれる神様の中でもとても重要視されます
 諏訪明神
諏訪さん(タケミナカタ)は、顔面圧力が暑苦しい香川照之系(テルユキごめん)

しかし、ここまでばかデカイ顔面にしなくてもよくない?
ガンギマリの目がむっちゃ怖いんすよ!
諏訪明神 諏訪さん(タケミナカタ)は、顔面圧力が暑苦しい香川照之系(テルユキごめん) しかし、ここまでばかデカイ顔面にしなくてもよくない? ガンギマリの目がむっちゃ怖いんすよ!
 見づらいけど、八幡明神(八重河内八幡)
見づらいけど、八幡明神(八重河内八幡)
 遠山様
長きに渡り遠山郷を支配していた遠山氏

遠山氏の祖先は、坂東の国司を歴任していた藤原北家・魚名流の藤原利仁、のさらに子孫の、加藤景廉(かとうかげかど)と言われています。
加藤景廉は源頼朝の御家人で、元々伊勢出身→伊豆に移住し、頼朝挙兵の際に頼朝の身辺警護にあたりました。以後数々の功績を認められ、遠山庄を与えられました。
1210年までは北条時政が江儀遠山庄の地頭をしていたから、遠山氏が支配し始めたのはそれ以降となります。

この、加藤景廉の子供が土地の名前を苗字にして遠山景朝と名乗り、遠山氏の始祖となりました。
遠山氏の支配は、相続争いでお家取り潰しになる江戸時代まで続きました。

遠山氏の祖先が藤原氏なら、南北朝時代あたりから住み始めたらしい水窪の京丸藤原家となんか関係はないのかしら?
遠山様 長きに渡り遠山郷を支配していた遠山氏 遠山氏の祖先は、坂東の国司を歴任していた藤原北家・魚名流の藤原利仁、のさらに子孫の、加藤景廉(かとうかげかど)と言われています。 加藤景廉は源頼朝の御家人で、元々伊勢出身→伊豆に移住し、頼朝挙兵の際に頼朝の身辺警護にあたりました。以後数々の功績を認められ、遠山庄を与えられました。 1210年までは北条時政が江儀遠山庄の地頭をしていたから、遠山氏が支配し始めたのはそれ以降となります。 この、加藤景廉の子供が土地の名前を苗字にして遠山景朝と名乗り、遠山氏の始祖となりました。 遠山氏の支配は、相続争いでお家取り潰しになる江戸時代まで続きました。 遠山氏の祖先が藤原氏なら、南北朝時代あたりから住み始めたらしい水窪の京丸藤原家となんか関係はないのかしら?
 天伯様❗️

地域や神社によって天白だったり天伯だったりしますが、この神も、謎が多くて面白い。
天白神がお祭りで登場するのは、日本の中でここ、遠山霜月祭だけなんです。
天白神はあちこちの集落の必要に応じて変幻自在な神様になっていますが、遠山郷においては天伯神は天狗のことを指し、村を守ってくれる神様だという。

天白神のことはまたどこかで詳しく書くつもりですが(需要がないけど)、三重県発祥で、とある古代氏族の移動と共に長野県まで伝播してきた養蚕と織物に関わる神様らしいという説もあります。
伊勢神宮の神楽歌にも「てんはくのうた」ってのがある。
川の近くに祀られることが多く、柳田國男が言った「風の神」説はナイと思います。
天白信仰圏と、ミシャグジ信仰圏が重なっているのも興味深いです。
天伯様❗️ 地域や神社によって天白だったり天伯だったりしますが、この神も、謎が多くて面白い。 天白神がお祭りで登場するのは、日本の中でここ、遠山霜月祭だけなんです。 天白神はあちこちの集落の必要に応じて変幻自在な神様になっていますが、遠山郷においては天伯神は天狗のことを指し、村を守ってくれる神様だという。 天白神のことはまたどこかで詳しく書くつもりですが(需要がないけど)、三重県発祥で、とある古代氏族の移動と共に長野県まで伝播してきた養蚕と織物に関わる神様らしいという説もあります。 伊勢神宮の神楽歌にも「てんはくのうた」ってのがある。 川の近くに祀られることが多く、柳田國男が言った「風の神」説はナイと思います。 天白信仰圏と、ミシャグジ信仰圏が重なっているのも興味深いです。
 これらの巨大顔面モニュメント(もっとマシな言い方ないんかい)は、村を守る塞の神、道祖神的な感じであちこちの道路脇に建ってます

このモニュメントは人口減少、過疎化を食い止めたい遠山郷商工会の皆さんが、地域活性化のため「遠山郷を神様王国にしよう」との試みで始めたようです。
高速ができたら今まで以上に素通りされちゃいそうですが、遠山郷は素晴らしいところなので是非たくさんの人に訪れて欲しいです。
これらの巨大顔面モニュメント(もっとマシな言い方ないんかい)は、村を守る塞の神、道祖神的な感じであちこちの道路脇に建ってます このモニュメントは人口減少、過疎化を食い止めたい遠山郷商工会の皆さんが、地域活性化のため「遠山郷を神様王国にしよう」との試みで始めたようです。 高速ができたら今まで以上に素通りされちゃいそうですが、遠山郷は素晴らしいところなので是非たくさんの人に訪れて欲しいです。
 遠山街道の案内板
遠山街道は今回歩いたのと反対方向に伸びている。
そちらもまた別の機会にゆっくり歩きたい
遠山街道の案内板 遠山街道は今回歩いたのと反対方向に伸びている。 そちらもまた別の機会にゆっくり歩きたい
 【八重河内 正八幡神社】
祭神 ・誉田別命
  (ほむたわけのみこと=応神天皇=八幡大神)
   ・天伯神

遠山郷に八幡神社が多いのは、鎌倉にゆかりのある遠山氏が鶴ヶ岡八幡宮から八幡神を各地に勧請したためです。
また、1725年の社殿再建時に天伯神を合祀したそうです。
【八重河内 正八幡神社】 祭神 ・誉田別命   (ほむたわけのみこと=応神天皇=八幡大神)    ・天伯神 遠山郷に八幡神社が多いのは、鎌倉にゆかりのある遠山氏が鶴ヶ岡八幡宮から八幡神を各地に勧請したためです。 また、1725年の社殿再建時に天伯神を合祀したそうです。
 八重河内 正八幡神社の社殿は切妻造
現在の社殿は1847年に再建されたもの。
一般的な神社は拝殿と本殿のみですが、霜月祭りで舞をやるため、手前から舞殿→拝殿→本殿、という構造になっています。
八重河内 正八幡神社の社殿は切妻造 現在の社殿は1847年に再建されたもの。 一般的な神社は拝殿と本殿のみですが、霜月祭りで舞をやるため、手前から舞殿→拝殿→本殿、という構造になっています。
 社殿の壁には、昔使っていた桶やらひしゃくやらといろんな生活の品が展示されており、すごく興味深いです。
強風とか台風の時とかにこの貴重な品々が風でぶっ飛んでしまわないか心配ですが、きっと集落の人がちゃんとしまったりして管理されているのでしょう
社殿の壁には、昔使っていた桶やらひしゃくやらといろんな生活の品が展示されており、すごく興味深いです。 強風とか台風の時とかにこの貴重な品々が風でぶっ飛んでしまわないか心配ですが、きっと集落の人がちゃんとしまったりして管理されているのでしょう
 右下にある小さな祠の神は天照大御神でした

霜月祭りの起源は伊勢神宮の湯立て神楽にありそうで、そこに遠山氏の怨霊鎮めがあとからプラスされたようです。
右下にある小さな祠の神は天照大御神でした 霜月祭りの起源は伊勢神宮の湯立て神楽にありそうで、そこに遠山氏の怨霊鎮めがあとからプラスされたようです。
 生物供養碑もあります
下の名前一覧を見ると、宮司さんは、今でも遠山氏が受け継いでるんですね。
生物供養碑もあります 下の名前一覧を見ると、宮司さんは、今でも遠山氏が受け継いでるんですね。
 生物供養祭の詳細も貼ってあった
遠山ジンギスが有名だから、羊もいる🐏
🐕😺はこの年に亡くなったペットを供養しているのかな。
生物供養祭の詳細も貼ってあった 遠山ジンギスが有名だから、羊もいる🐏 🐕😺はこの年に亡くなったペットを供養しているのかな。
 社殿左側の、合祀社
合祀した神社一覧が板に書かれています。
社殿左側の、合祀社 合祀した神社一覧が板に書かれています。
 合祀社の内側を覗くと、「社宮司神社」と❗️
社宮司は、ミシャグジのことです。
諏訪大社に行った際の記事で書きましたが、諏訪神社の神長官・守矢氏は祟りやすい神(精霊)ミシャグジを上げ降ろす役割をしていました。

日本の信仰を追求していくと、必ずつきあたる謎の神様「ミシャグジ」と「天白」
私もこの謎の神のことが知りたくてずっと調べています。

何も知らない頃、日本の宗教といえば「神道」「仏教」と思っていましたが、それは林檎の皮みたいなもので、その内側には謎のよくわからない民間信仰がゴマンとうごめいています。日本はそれが面白い。
合祀社の内側を覗くと、「社宮司神社」と❗️ 社宮司は、ミシャグジのことです。 諏訪大社に行った際の記事で書きましたが、諏訪神社の神長官・守矢氏は祟りやすい神(精霊)ミシャグジを上げ降ろす役割をしていました。 日本の信仰を追求していくと、必ずつきあたる謎の神様「ミシャグジ」と「天白」 私もこの謎の神のことが知りたくてずっと調べています。 何も知らない頃、日本の宗教といえば「神道」「仏教」と思っていましたが、それは林檎の皮みたいなもので、その内側には謎のよくわからない民間信仰がゴマンとうごめいています。日本はそれが面白い。
 遠山川に流れ込む八重河内川
八重河内川を遡れば、青崩峠にぶつかる。
この川を挟んで両側に八重河内八幡神社と、和田諏訪神社が鎮座している
遠山川に流れ込む八重河内川 八重河内川を遡れば、青崩峠にぶつかる。 この川を挟んで両側に八重河内八幡神社と、和田諏訪神社が鎮座している
 【和田諏訪神社】

1219年に「再建」されたとの記録があり、いつ頃からあったのか詳しくは不明ですがかなり古い神社のようです。
諏訪神社らしく、8月には御射山祭、7年に一度御柱祭も行われます。祭神はもちろん、建御名方神。
【和田諏訪神社】 1219年に「再建」されたとの記録があり、いつ頃からあったのか詳しくは不明ですがかなり古い神社のようです。 諏訪神社らしく、8月には御射山祭、7年に一度御柱祭も行われます。祭神はもちろん、建御名方神。
 こちらも切妻造の素敵な社殿😀
個人的には神明造よりもこの素朴で飾り気のない感じが好み。
こちらも、手前から舞殿→拝殿→本殿の三部構成になってます。
こちらも切妻造の素敵な社殿😀 個人的には神明造よりもこの素朴で飾り気のない感じが好み。 こちらも、手前から舞殿→拝殿→本殿の三部構成になってます。
 諏訪地方では御柱は必ず4本立てますが、こちらは一本のみ。
諏訪大社と同様に木を切り出し、運び込んできて立てるのは一緒ですが、こちらは人口も少ないし、4本は大変だから1本にしたのでしょうか。

和田諏訪神社自体は古い神社ですが、御柱祭を始めたのは明治17年からとのことで、比較的新しいです。
諏訪地方では御柱は必ず4本立てますが、こちらは一本のみ。 諏訪大社と同様に木を切り出し、運び込んできて立てるのは一緒ですが、こちらは人口も少ないし、4本は大変だから1本にしたのでしょうか。 和田諏訪神社自体は古い神社ですが、御柱祭を始めたのは明治17年からとのことで、比較的新しいです。
 母子狛犬 
子供狛犬の表情、母ちゃんの爪くいこんでむっさ痛いんだけどっていう顔に見えるわ
母子狛犬  子供狛犬の表情、母ちゃんの爪くいこんでむっさ痛いんだけどっていう顔に見えるわ
 父狛犬 
ここまでガッツリ爪とがらしてくる狛犬も珍しい
父狛犬  ここまでガッツリ爪とがらしてくる狛犬も珍しい
 裏手に回ると、神明造の本殿。
舞殿と拝殿は切妻造で、本殿は神明造になっています。
大正15年に現在の社殿が再建した時に、もともと拝殿内にあった神殿を神明造の別棟にしたそう。
裏手に回ると、神明造の本殿。 舞殿と拝殿は切妻造で、本殿は神明造になっています。 大正15年に現在の社殿が再建した時に、もともと拝殿内にあった神殿を神明造の別棟にしたそう。
 本殿の片隅に置かれたこういうのが気になる人、それがワタシ🖐️
多分これね、昔の人が土でこねて作った狛犬じゃないかなー 全く同じものを、名古屋の物部神社で見た。
本殿に置かれてるってことは、かなり大事な物のはず。
本殿の片隅に置かれたこういうのが気になる人、それがワタシ🖐️ 多分これね、昔の人が土でこねて作った狛犬じゃないかなー 全く同じものを、名古屋の物部神社で見た。 本殿に置かれてるってことは、かなり大事な物のはず。
 道路側から見える和田諏訪神社の本殿
道路側から見える和田諏訪神社の本殿
 本殿のふもとに、いろいろな石碑石仏が並ぶ
本殿のふもとに、いろいろな石碑石仏が並ぶ
 石碑・石仏の詳細
秋葉街道が通っているから多くなりますよね。
庚申講は昭和の初め頃までは行われていたそうです。
石碑・石仏の詳細 秋葉街道が通っているから多くなりますよね。 庚申講は昭和の初め頃までは行われていたそうです。
 ここ和田地区は、戦国時代は和田城の城下町、江戸時代には秋葉街道の宿場町・和田宿として栄えました。
明治〜大正時代には、王子製紙が付近一帯の山林を買い取ったことで林業関係者や商人が多数流入し、料亭が立ち並ぶ繁華街として大いに栄えました。
ここ和田地区は、戦国時代は和田城の城下町、江戸時代には秋葉街道の宿場町・和田宿として栄えました。 明治〜大正時代には、王子製紙が付近一帯の山林を買い取ったことで林業関係者や商人が多数流入し、料亭が立ち並ぶ繁華街として大いに栄えました。
 秋葉街道・和田宿の街並み
暑いのもあって、だーれもいない🥵
秋葉街道・和田宿の街並み 暑いのもあって、だーれもいない🥵
 こんなふうにビニールシートでガードされている古いお宅がいくつかあった
だいぶ空き地が増えてますね
こんなふうにビニールシートでガードされている古いお宅がいくつかあった だいぶ空き地が増えてますね
 【遠山郷土館 和田城】
もともとは現在の龍淵寺のあたりにお城があったようです。
霜月まつりに使うお面が200点ほど展示されているとのことですが、残念ながら閉まっていて入れませんでした
【遠山郷土館 和田城】 もともとは現在の龍淵寺のあたりにお城があったようです。 霜月まつりに使うお面が200点ほど展示されているとのことですが、残念ながら閉まっていて入れませんでした
 和田城の敷地内に、家康(左)と二代目領主・遠山土佐守景直が対談している石像がある。
武田信玄が南下した時は武田側に従いましたが、信玄が亡くなると徳川家康の配下に入りました。地方武士あるあるですね。

この遠山景直の亡き後、景重が跡を継ぎましたが、病弱のため早逝し、子がなかったので同族の間で相続争いが起こりました。なかなかゴタゴタが落ち着かないため、結局最後は幕府が領地を全部ボッシュートし、遠山氏の栄華は三代で終わりました。

地元では遠山氏の圧政に耐えかねた農民たちが一揆を起こして遠山氏を滅ぼした、とか一族断絶の知らせを聞いて参勤交代から帰ってきた景直の弟の新助景道を領民が待ち伏せして殺した、とか色々な伝承が残っています。
霜月祭には実際、遠山一族の怨霊鎮めの一面もあり、本当のところどうだったのか謎。

水窪町草木の守屋家には、遠山家騒動の際に遠山景直の妻・小高姫と家臣が逃げた際に持参した、素焼の壷、轡、刀、火縄銃、鏡などが残されているので、何かしら逃げなくてはいけない緊迫した事情があったことは間違いないようです。
和田城の敷地内に、家康(左)と二代目領主・遠山土佐守景直が対談している石像がある。 武田信玄が南下した時は武田側に従いましたが、信玄が亡くなると徳川家康の配下に入りました。地方武士あるあるですね。 この遠山景直の亡き後、景重が跡を継ぎましたが、病弱のため早逝し、子がなかったので同族の間で相続争いが起こりました。なかなかゴタゴタが落ち着かないため、結局最後は幕府が領地を全部ボッシュートし、遠山氏の栄華は三代で終わりました。 地元では遠山氏の圧政に耐えかねた農民たちが一揆を起こして遠山氏を滅ぼした、とか一族断絶の知らせを聞いて参勤交代から帰ってきた景直の弟の新助景道を領民が待ち伏せして殺した、とか色々な伝承が残っています。 霜月祭には実際、遠山一族の怨霊鎮めの一面もあり、本当のところどうだったのか謎。 水窪町草木の守屋家には、遠山家騒動の際に遠山景直の妻・小高姫と家臣が逃げた際に持参した、素焼の壷、轡、刀、火縄銃、鏡などが残されているので、何かしら逃げなくてはいけない緊迫した事情があったことは間違いないようです。
 和田城の横にある曹洞宗の寺院
【盛平山龍淵寺(りゅうえんじ)】

表記を竜渕寺、と書いている本もあります。
こちらは遠山氏の菩提寺で、もともとはこの場所に和田城がありました。

開基は不明ですが、1500年代と言われています。本尊は聖観音菩薩。
太平洋戦争時には、武器製造のための金属類回収令によって、仏具や鐘などの大半を供出させられる羽目になりました。
和田城の横にある曹洞宗の寺院 【盛平山龍淵寺(りゅうえんじ)】 表記を竜渕寺、と書いている本もあります。 こちらは遠山氏の菩提寺で、もともとはこの場所に和田城がありました。 開基は不明ですが、1500年代と言われています。本尊は聖観音菩薩。 太平洋戦争時には、武器製造のための金属類回収令によって、仏具や鐘などの大半を供出させられる羽目になりました。
 本堂から一段下がったところにある光堂
こちらは写経を納めるための寺院で、なんと20万巻!が納経されているようです。
本堂から一段下がったところにある光堂 こちらは写経を納めるための寺院で、なんと20万巻!が納経されているようです。
 光堂は全てヒノキ造り。
なんか数珠みたいな滑車がある。
光堂は全てヒノキ造り。 なんか数珠みたいな滑車がある。
 ひとつひとつの球には人の名前や店名が掘ってあって、チベット仏教のマニ車みたいに滑車をグルグル回すんです。こんなの初めて見た😳 
ひとつひとつの球には人の名前や店名が掘ってあって、チベット仏教のマニ車みたいに滑車をグルグル回すんです。こんなの初めて見た😳 
 怨霊鎮めのためなのか、あちこち石仏の数が半端ない
怨霊鎮めのためなのか、あちこち石仏の数が半端ない
 石仏ひとつひとつ、丁寧に作られていて見とれますね
石仏ひとつひとつ、丁寧に作られていて見とれますね
 階段の一番上に遠山景直のお墓がある。
階段に沿ってたくさんの石仏がズラっっと並ぶ
階段の一番上に遠山景直のお墓がある。 階段に沿ってたくさんの石仏がズラっっと並ぶ
 境内の案内板に、お墓の詳細が書いてあります。
境内の案内板に、お墓の詳細が書いてあります。
 お墓の背後にある、樹齢500年のめちゃくちゃ巨大な4本の杉(通称、観音大杉)がとてつもない存在感です。
4本全てが根元で繋がっているように見える。

向かって右側から、夫婦杉、空ちゃん、愛ちゃん、光ちゃんと名付けられているらしい。
樹齢500年なんだし、赤ちゃんみたいな名前よりもうちょっとカッコいい系の名前のほうがよくない?
ギレン、キシリア、ドズル、ガルマとか
ドラゴン紫龍、キグナス氷河、アンドロメダ舜、フェニックス一輝、とか
お墓の背後にある、樹齢500年のめちゃくちゃ巨大な4本の杉(通称、観音大杉)がとてつもない存在感です。 4本全てが根元で繋がっているように見える。 向かって右側から、夫婦杉、空ちゃん、愛ちゃん、光ちゃんと名付けられているらしい。 樹齢500年なんだし、赤ちゃんみたいな名前よりもうちょっとカッコいい系の名前のほうがよくない? ギレン、キシリア、ドズル、ガルマとか ドラゴン紫龍、キグナス氷河、アンドロメダ舜、フェニックス一輝、とか
 ちょっと写真ではサイズ感が伝わらないのですが、木に吊るしてある鈴🛎️は赤ちゃんの頭くらいの大きさあります。
幹周は20m、樹高が50mだそう。

ほんと、杉がすごい迫力なんですよ〜
ちょっと写真ではサイズ感が伝わらないのですが、木に吊るしてある鈴🛎️は赤ちゃんの頭くらいの大きさあります。 幹周は20m、樹高が50mだそう。 ほんと、杉がすごい迫力なんですよ〜
 和田城から帰る途中、和田宿の街並み
ひぐらしの大合唱だけが聴こえる
ひぐらしが鳴くのは夏の終わり頃のはずですが、ど暑い7月から鳴くとはどうしちゃったんでしょうね。
和田城から帰る途中、和田宿の街並み ひぐらしの大合唱だけが聴こえる ひぐらしが鳴くのは夏の終わり頃のはずですが、ど暑い7月から鳴くとはどうしちゃったんでしょうね。
 遠山中学校を過ぎたところの、遠山川にかかる橋がメンテナンス中で通行止めの案内がありましたが、この日は普通に渡れました。
日によっては迂回が必要になるかもしれません。
遠山中学校を過ぎたところの、遠山川にかかる橋がメンテナンス中で通行止めの案内がありましたが、この日は普通に渡れました。 日によっては迂回が必要になるかもしれません。
 最後に、152号線のトンネル手前にひっそりとあった【山住神社】へ。水窪の山住神社の分社です。
山住神社はもともと、愛媛県の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)を分霊したもの。
「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味。

山住講では講の代表者が水窪の山住神社に参拝し、お札をもらってきて皆に配ったそう。
最後に、152号線のトンネル手前にひっそりとあった【山住神社】へ。水窪の山住神社の分社です。 山住神社はもともと、愛媛県の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)を分霊したもの。 「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味。 山住講では講の代表者が水窪の山住神社に参拝し、お札をもらってきて皆に配ったそう。
 ワタシ、本当は富士浅間なのにぃ、なんか山住信仰がすごく流行っててぇ、流れで山住神社になっちゃったの、との貼り紙がありました。
ワタシ、本当は富士浅間なのにぃ、なんか山住信仰がすごく流行っててぇ、流れで山住神社になっちゃったの、との貼り紙がありました。
 山住神社への入り口がわかりにくいです。入り口に案内もないし。
民家の敷地みたいなところを勇気を持って突き進むと見つかります
山住神社への入り口がわかりにくいです。入り口に案内もないし。 民家の敷地みたいなところを勇気を持って突き進むと見つかります
 帰り途中に遠山地震の看板

遠山地震は1718年、8月に起こりました。
マグニチュードは7程度。
中央構造線からの枝分かれ断層である、遠山断層が震源のようです。
この地震の11年前にマグニチュード8.6の宝永地震(死者2万人を出した南海トラフ地震。地震の49日後に宝永の大噴火があったことで有名な)があり、関連性も指摘されています。
帰り途中に遠山地震の看板 遠山地震は1718年、8月に起こりました。 マグニチュードは7程度。 中央構造線からの枝分かれ断層である、遠山断層が震源のようです。 この地震の11年前にマグニチュード8.6の宝永地震(死者2万人を出した南海トラフ地震。地震の49日後に宝永の大噴火があったことで有名な)があり、関連性も指摘されています。
 地震の影響で中央構造線の真上にある押出沢が土砂崩れ、その土が遠山川をせきとめ、堰き止められた水が1週間後に決壊、現在の夜川瀬の平地を形成したようです。森山からの土砂崩れも相当なもんですね。
中央構造線が思いっきり町を貫いているのが怖いですね。次の南海トラフでは、被害が少なく済みますように🙏
地震の影響で中央構造線の真上にある押出沢が土砂崩れ、その土が遠山川をせきとめ、堰き止められた水が1週間後に決壊、現在の夜川瀬の平地を形成したようです。森山からの土砂崩れも相当なもんですね。 中央構造線が思いっきり町を貫いているのが怖いですね。次の南海トラフでは、被害が少なく済みますように🙏

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