万古集落跡から谷京峠への峠道を探索する-2023-07-29

2023.07.29(土) 日帰り

活動データ

タイム

05:52

距離

5.9km

のぼり

561m

くだり

568m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
5 時間 52
休憩時間
1 時間 10
距離
5.9 km
のぼり / くだり
561 / 568 m
5 53

活動詳細

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長野県飯田市南信濃南和田の万古集落跡から谷京峠へと至る古道を探索してきました。 さて、現在の谷京峠の峠道としては、JR飯田線為栗駅から峠へと向かう古道が、戸倉山へのサブルートとして、山行記録に記載されているのが散見されます。 しかし、現行の地形図ですと、谷京峠へ向かう峠道に為栗駅からのルートは記載されておらず、峠の南側からの破線道しか記されていません。これは、戸倉山へのメインの登山ルートが、飯田市南信濃南和田名田熊を出発地とすることに関連しているのでしょうか。 ところで、この谷京峠を通る古道については、長野県下伊那郡泰阜(やすおか)村が発行した泰阜村誌に以下のような記事があります。 「『秋葉道(中道)』 (前略)赤石構造線の古道を遠山郷和田より分岐し、飯島より『谷京峠(焼尾峠)』に出、これより『万古村』に下り、万古川を渡って我科村四辻に登り、温田、大畑村の尾根筋を通って(中略)この道は、ほかの秋葉街道の中でも集落に添続して難関の山地の最も少ない街道で古い時代からの街道であった。(後略)遠山谷との経済交流もこの道により、当地域の米穀は温田村の合渡や『万古の問屋』を中継として担送によって送られ、また塩の道ともなって一部の塩がこの道より村へと入った。」 「泰阜村誌」や「南信濃村史 遠山」を読むと、谷京峠が日常的に利用されていた頃は、飯田方面から万古を経由して谷京峠へと登り、峠から飯島(飯田市南信濃南和田)へ向かうルート、もしくは満島(天龍村平岡)へと向かうルートがメインだったようです。 すでに為栗駅からの峠道と飯島からの峠道は歩いているので、今回は万古集落跡からの峠道を探索してみようと思い立ったわけです。 まずは為栗駅から万古川沿いに万古集落跡へと向かう破線道を辿っていきましたが、途中で道が50mほど崩落している箇所に遭遇(細い踏み跡はあり、ロープは掛けられていた。)。急斜面上であったこともあり、通過できる自信が無かったので一旦撤退。 万古川の河原へと降りて、蛇行する川の浅瀬を4回渡り、万古集落跡の広い氾濫原の目前まで来ましたが、最後に長靴で渡れる浅瀬がなく、やむなく河原から破線道へと直登。その後も道が寸断されたりしましたが、まずは今回の出発地である万古集落跡に到着しました。 しばし集落跡を見て回った後、峠へと向かう古道の入口を探しましたが、これといった道が見つからなかったため、集落跡から旧版地形図で谷京峠への峠道が記載されていた稜線へと直登して取り付き、ようやく古道を発見。 しばらくは崩落斜面を細い踏み跡で横断する場面が繰り返されて肝を冷やしましたが、植林地内での執拗なつづら折りを登り、尾根まで出てきたら、以降はほぼ心配なく歩ける状態で古道が残っていました。 為栗駅からの峠道のどの場所へ合流するのかと思いながら、最後の急斜面のつづら折りを登り終えると、「為栗村」と彫られている馬頭観音が立っている場所に到着。 為栗駅からの急坂の上だから馬頭観音が立っているのだと思っていましたが、為栗村と万古村との分岐点であるのも理由なのかもしれません。 ここまで来れば谷京峠までもう一息ですが、すっかり疲れ切ってしまったので、馬頭観音の前で休憩してから、そのまま為栗駅へと峠道を下っていきました。 これで谷京峠へと向かう峠道を3方向から登ったわけですが、どのルートも急坂がキツイです…。天竜川通船の利用が盛んになるまでは、麓から標高差500mを一気に上り下りするこの峠の細道を、米などの重荷を背負って往来していたというのですから、何ともすごい話です。 そして昭和初期頃までは日常的な生活道路でもあったわけで、昔の人の健脚ぶりは想像もつかないですね。2リットルの飲料を背負っているだけでヒイヒイ言いながら登っている私では、生活できそうもありません。

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