活動データ
タイム
06:02
距離
3.9km
のぼり
13m
くだり
1264m
活動詳細
すべて見る縦走3日目。 燕山荘ができたのは約100年前、1921年だそうで、24坪で50人は泊まれたそうだが当時は満室になることは一度もなく、山の主人は地元の方から変人扱いされたそうだ。 今では数百人が余裕で宿泊できる山小屋となって私たちを迎えてくれている。 私は燕岳に登るのはこれで3回目だが、燕山荘にお世話になったのは今回が初めてだ。 初回は北鎌を目指して中房から登った20年前。 ガイド登攀だったが、初北アルプスが初槍ヶ岳でそれも北鎌だったが、燕山荘前で休憩はしたが、そのまま移動し、初日宿泊地の大天井への途中で足が攣ってしまったことを覚えている。 2回目は、その時の燕岳と眺望の良さを家内にも見せたいと日帰りで往復。 私は燕岳まで走り回っていたが、家内は疲れ切って燕山荘で大休息。 燕岳に登ることなく、そのまま下山した。 今回家内に前回のことを聞いてみたが、喫茶室で何か飲んだことしか覚えてない!とのと。 今思うと申し訳ないことをしたものだ。 さて、これで縦走も終わって後は下山するのみ。 せっかくなので御来光を見ようと家内と4時ごろから動き出す。 もう一度燕岳まで行こうかとも思ったが、朝は曇りがちで風も出てきたため、残念ながら諦めて部屋に戻った。こんな時はライチョウが出るかもよ、と部屋で話していたら、隣のカーテンから「ライチョウをみた」との声が聞こえてきた。小屋の周りにいることは知っていたが、暇だったのでもう少し探せばよかった。残念。 天候悪化前に下山しようと5時前から朝食に並ぶが既に列は2階まで続いていた。 さっさとあきらめて第2陣の6時にしたが、今度は食堂はスカスカだった。 皆さん早飯・早立ちで表銀座に向かわれるようだ。 穂高方面は雲の中だが、思ったより天気の崩れが遅い。時々青空も見え隠れしている。何とか一日持つことを祈り下山準備にかかる。 6時20分頃にチェックアウト。 空は晴れて青空が出ている。一気に下山していくが、大天井方面の稜線が美しい。谷筋や尾根の一部に雪渓が見える。 反対側には有明山が見えている。 昔の人はガレた山より富士山型の山を美しく神秘な山と崇められたそうだ。 ピークハントではなく、地元の鈴鹿山系のように人の営みを感じる山として、一度は登ってみようと思う。 そんなことを考えていたら、あっという間に合戦小屋。 朝から名物のスイカを食べている方が居られた。荷揚げのケーブルカーもすでに動いている。 大量のスイカを荷揚げしているのかな?私も一口欲しいが、トイレが心配で我慢した。 ここかは長く急な下りが続く。登山者が多いのか、登山道は深く抉らて一部は歩きにくい。 下るのも大変だが登るのはもっときつそうだ。 途中のベンチで何度も休みながら、やっとのことで10時前に中房温泉に到着。 ここで3日間の苦労をねぎらい3人でしっかり握手して山行の無事と感謝の気持ちを伝えあった。 中房登山口でアイスでも食べるかと思ったが、タクシーも呼ばねばならず、休憩そこそこで有明荘まで1kmほど歩くことにした。15分ほどで有明荘に到着。ここで最後の身支度を整えた。 有明荘では天然温泉に入れる。 タクシーが到着するまで30-40分はかかるそうで、入浴前にタクシーを呼んだ。 温泉には燕岳からの下山者がたくさん入浴されているが、思ったより空いていて、ゆったり入浴できた。露天風呂はまだ湯を張っている途中で水量が少なかったが、源泉が入っていて一部触れないほど高温だった。またゆっくり入りに来たい。 11時半前、やっとタクシーが到着。 青空が見えるが、同時に雨がポツポツ降り出した。 地元のタクシーは餓鬼岳登山口の白谷を目指して、この狭い道路を猛スピードで駆け抜けていく。中房温泉が本当に奥深いところにあることを実感する。中房温泉も江戸時代からあると聞く。よくこんな渓谷奥深くに温泉地を作ったものだ。 30分程で白谷登山口へ。料金は約11000円。 途中で土砂降りの中を通過してきたが、幸い登山口はシトシト程度だった。 登山口には私たちの車以外何もなく、登山口から100mほど離れた路肩にポツンと1台止まっているだけだった。 ここから街中で「昼食兼お風呂」休憩をして、一気に愛知を目指した。 夕方5時には帰宅できた。3日間、いい旅をありがとうございました!
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