アルプス遠征計画決定直後の山行 祖母山(神原から)

2023.05.20(土) 日帰り

活動データ

タイム

07:00

距離

7.4km

のぼり

1179m

くだり

1176m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
7 時間
休憩時間
12
距離
7.4 km
のぼり / くだり
1179 / 1176 m
4
29
1 36
42
3 13
25
2

活動詳細

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※あるトラブルで五合目小屋からスマホの電源を切る羽目になった。なので軌道はどう見ても正確ではない(苦笑)。記録は同行者のおくちゃんのもの。(写真も数カット借りた)。7時間、8・4キロ。上り1181m、下り1172m、平均ペース130~150%。但し、平均ペースはへばったオッサンがご夫婦を待たせたので、恐らく110~130%くらいか。 二転三転してようやく決定 ということで、山行日誌を書くのだけれど、その前日に今年の遠征計画が固まった。槍ヶ岳を登頂することを基本にあれやこれや検討していた。大キレット、表銀座縦走…日程は長くて4日間で福岡からだからかなり限定される。オッサンは自由業なので仕事の段取りさえつければ、あと1,2日は確保(しかし、そのしわ寄せは食らう)できるが、相棒はまだ現役で会社をそんなに休めない。  「槍を入れてくれたらコースは任せるよ」と相棒が提案してきたのが、新穂高温泉から登る飛騨沢コースのピストンだった。早速、行程を検討する。当初は松本まで飛行機で飛んで、レンタカーで登山口まで行って初日は槍平(やりだいら)小屋まで登って宿泊。2日目槍平から槍ヶ岳山荘泊。3日目早朝に槍ヶ岳登頂、新穂高温泉まで下りて泊。4日目福岡へ帰還。この行程の難点は、初日に新穂高で車を停められるかということだった。情報によると、早朝で満車になるようだ。停められない事態も十分予想される。2点目は費用がかかるということ。ざっと計算すると経費だけでも10万円を超える。  そこで再検討。レンタカーを使わずに行けないか。閃いたのが(大げさ)、ピストンではなく槍ヶ岳から上高地に下りるコースだ。これだとレンタカーを使う必要がない。では、新穂高までのアクセスは?調べると、上高地からバスを乗り継いで行ける。後は上高地までのアクセスだ。大阪から夜行バスに乗ればなんとかなりそうだ。ところがすでにバスは予約で満杯…万事休すと思っていたら、相棒が「東京からのバスはまだ空いている」というので、時間を調べるといける。ということで二転三転して次のような行程になった。 (前日)午後6時5分の福岡発羽田行き 新宿から午後10時25分発の上高地バス。(1日目)午前5時20分上高地着、7時発のあかんだな行きのバス。乗り換え1回で8時45分新穂高着。登山開始、槍平小屋泊。この日に一気に槍ヶ岳までと思ったが、一気に2000m登ると高山病の危険性がある。昨年の甲斐駒ヶ岳ではバス停からその日のうちに2000m上がって2人とも罹った反省があるので、標高2000mの槍平で高度順応することにした。(2日目)槍ヶ岳登頂、山荘泊(3日目)5:00下山開始、12:00上高地バスターミナル着。午後1時半発新大阪行きバス、午後8時発の新幹線に乗って10時半博多着。  東京行きの飛行機、バスの予約も取れて、初日の槍平も取れた。後は1カ月前から予約が始まる槍ヶ岳山荘を押さえるだけ。懸念していた手荷物もバスセンターで預かってくれるし、食堂・売店は6時から開いているので、朝食と買い出しも出来る。上高地バスターミナルは本当に便利だ。 やってしまった… ということで、遠征が決まった。あとは鍛錬しないといけない。増えた体重とさぼっていたトレーニング…体重は奥穂高挑戦時に絞って77キロまで落としたが、その後ずるずると後退し87キロまで増量。最低でも7キロは減らさないと、アルプスではきついだろう。その必要性は今回の山行でもホントに痛い思いをして痛感した。  1週間ほど前からご近所の同郷のご夫婦(おくちゃん、奥パパ)と阿蘇登山以来の山行を約束していた。夫妻の未踏である祖母山に決定、比較的楽な北谷は閉鎖中なので神原(こうばる)から登る。ここからは百名山の深田久弥が登った祖母の王道コースでオッサンは今回3回目。過去2回は九合目小屋に泊まって贅沢な時間を過ごした。今回は初の日帰り。鍛錬になるか。  天気予報は最初あまりよくなかった。そのまま変わらなければ違う山にしようと思っていたが、徐々に好転し、前日は晴れの予報に変わっていた。これだけは自慢できる晴れ男振りを発揮。  登山口に近い駐車場は20台くらいしかキャパがないので、あぶれるとかなり下にある第二駐車場に停めて歩かないといけない。早めに出ようと、4時前に出立。7時過ぎに着く予定だが果たして…嫌な予感が当たった。第二にさしかかるとすでに5、6台停まっている。停めていた人に訊くと上はどうやら満車のようだ。親切な方が車を動かして停めるスペースを作ってもらい、無事に駐車。  舗装道をだらだら登るとてっきり思っていたが、ちゃんと登山口があった。ここから10分となっていたが、歩きやすく5分くらいで第1に着いた。これなら焦る必要はなかったが、油断すると第2も直ぐに満車になるので、早く出るに越したことはない。  沢の右岸から登り始めた。清冽な水が勢いよく流れている。ああ、気持ちがいい。夫妻とも体力は十分。ご主人は甲子園球児で社会人野球でならした人でふくらはぎは常人離れした大きさだ。奥さんは好山病の重篤者。一人で車で上高地まで行ってからザックを背負って涸沢でテント張った猛者。ご主人は奥さんに引かれるように山に登っていて微笑ましい。  「御社の滝」。普段なら遠くから眺めるだけなのだが、サービス精神を発揮して滝の近くに案内しようと近づいた。濡れている岩が滑りやすそうだ。「滑りそうだな」とつぶやいて足を置くと…ずりっ!転倒してしまった。指と左ひざと頬を岩に打ちけた。そしてスマホも水没…なんてこった。慌てて立ち上がってスマホを水から取り上げた。二人ともオッサンがこけたところを見ていなかったようだ。参った。後に指は少し腫れたが脱臼、骨折はない。膝も少し痛むが何とかなりそうだ。問題はスマホだ。水没させた人が壊れて嘆いていたのをSNSなどで見ていたので心配だった。自分の身体を心配すべきなのに。アプリは動いているようなので安心した。  五合目小屋に到着。ここからが本番で国観峠まで急登の連続だ。経験しているだけにそのきつさは身に染みている。しばらく木の階段が続く。ふとスマホを見ると電力の残量が減っていたので、バッテリーに繋ぐと水が入ったので充電できない警告音が鳴った。以前、汗でこうしたケースはあったが、その時はライターで炙って直ったので、今回も試すとダメだった。水が完全に入ってしまったんだろう。残量がないので、電源を落とした。コースは知っているからいいのだけど、記録の軌跡が取れないし、写真も撮影できないのが痛い。 遠い「南岳新道」  落ち込んだ気分を樹々の深い緑と元気な鳥のさえずり、たまに聞こえる沢のせせらぎが慰めてくれる。後は一気に登ろうとギアを入れたつもりなのだが、がくんとスピードが落ちてしまった。あれ!?どうしたんだろう。過去2回とも尾根筋の延々と続く急登をきついけどそれなりの速度で上がれたのに…これではアルプスへの挑戦権はもらえない。しかも、槍平から「南岳新道」はとても無理だ。このコースは南岳まで高度さ1000mを一気に駆け登るコースで南岳、中岳、大喰(おおばみ)岳の3000メート級のピークを余分に踏破できる。4時間急登を登りっぱなしで経験者の記録を見ると「きつい」ようだ。  途中で夫妻に先に行ってもらい、一人旅。きつい。このコースでこんなにきつい思いをしたのは初めて。やはり、これは減量と鍛錬が必要だと痛感。しかし、とにかくこの急登をこなさないといけない。スマホは心配だし、指は晴れ始めたし、膝は少し痛む。まだガスが出ている。予報が外れたのか。下山してきた人に訊くと、頂上には雲海が出ているという。それを何とかモチベーションにして大汗かきながら歩を進める。  ようやく峠の広場に到着。人心地ついた。空を見ると晴れている。まだ雲海に間に合うだろう。少し回復したが、頂上までの登りも堪える。9合目近くで20名近い団体さんが下りてきた。ここで「サンキュー休憩」。下りてくるのを待ちながら息を整える。関東方面からのようで、阿蘇、くじゅうはあいにくの天気だったようだが、今日はいい天気になったと喜んでいた。  ようやく頂上に到着。登山口から3時間少々もかかったが、分厚い雲海が待ってくれていた。北にはくじゅう連山、阿蘇五岳の頭がぽっかりと浮かんでいる。夫妻に山々の名前を教える。目を南に転じると、障子岳から古祖母、そして傾山までの稜線がきれいだ。来週日曜日にはこの夫妻に加えて、あの荒天(最近は晴れが続いているようだが)の女王から誘われている傾が「おいで」と言っているように存在感を放っている。「打った膝の調子次第だよ」と傾に声を掛けた。   鉄人と高校山岳部  すると、北関東訛りの七十歳超と見られる男性から声を掛けられた。山の名前を教えてもらいたいようだ。この人は何と栃木から車で遠征してきていて、三百名山を踏破中で、残すところは九州の山々で20座くらい。こんな鉄人がいるとは驚いた。祖母の後は大崩(おおくえ)、傾に登るそうで、オッサンが知っている情報を提供した。  頂上まで苦戦したのは、シャリバテが原因だったので、頂上でおにぎりをぱくついた。山飯は下りて峠で食べることにして下山開始。下りるとやはり膝が少し痛むが、歩けないことないので慎重に足を下ろす。途中、赤いキャップを被った若い集団が登ってきた。地元の竹田高校の山岳部だ。元気な挨拶を交わして、峠に着くと今度は女子部と顧問先生が準備している。先生としばらく談笑。部員は21名と今どきの高校の山岳部にしては大所帯。全国でも有力校で祖母でよく練習しているそうだ。  山飯食べて、再び下山開始。五合小屋まで急な坂を下りる。途中で2回すってんころり。「滑る」と口にすると本当に滑る、言霊に呪縛されやすい体質なのか。滝でもやってしまった。これからは口にするのはやめようと思ったが、五合小屋から右岸の下りで苔むした岩を見て「滑るかも」と呟いたらやってしまった。「言葉にしない」という教訓を得た。  何とか下山。疲れが溜まっている。2時に起きて仕事したのがいけなかったのか。歳だなあ。夜は夫妻と近くの居酒屋で打ち上げ。おくちゃんからは「傾も是非」と何度か釘を刺された。傾は一度だけ登ったが、体力もさることながら道迷いしやすいので、祖母より手ごわい。どうしようか~と迷っている。スマホは無事だった。怪我もそこまで酷くなさそうだ。山の神に感謝。 令和5年の山行はこれで19回目、ピーク数は29(重複なし)。  

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