活動データ
タイム
02:42
距離
8.8km
のぼり
754m
くだり
325m
チェックポイント
活動詳細
すべて見る五波谷峠(五波峠)道は明治陸測図の古道は無事通過できました。しかし、どうしても昭和地理院地図の破線路が大きく異なるのが気になります。うまい具合に明治古道が昨日、半日で通過できたので、今日は昭和の破線路を探索します。 昨晩はエアマット異常のほかに興味深い話を聞きました。家族休暇裏の夜勤の当直の方が実は染ヶ谷最奥にある(堰堤からすぐ下)家の末裔の方で、ボクが昭和43年に田歌から五波谷峠を越えて染ヶ谷に降ってきて、その道を再訪しているという話をすると、氏は・・・・当時小学校3年くらいでその道はよく覚えている。最初は尾根途中の巻き道で谷に降りるまで遊びでいったことがある。当時はオヤジがその道をと通って田歌の親戚まで行っていた。・・・通婚など活発な行き来があったものと思われます。さらに、・・・当時京都かどこかの学生がよく来て泊まっていったこともある。・・・当時はごく普通の登山道以上の生活道だったようです。ボクが、どこかの家の軒下に「祝 若狭高校甲子園出場」の手ぬぐいがぶら下がっていたという話をすると、・・・それはうちやろ、昭和43年なら、ちょうど川藤のおるときやった。当時は強かったからなあ。・・・・と懐かしい話も聞けました。肝心の昭和地理院静の破線路についてはご存知ないようでした。 ■結果 五波峠上からの北尾根に道はありそうでした(降りてませんが)。しかし、そこそこの滝がある狭い谷に道を付けるとはどうしても不自然です。 1.地理院地図5万図小浜:S6測量、S40補足調査、S45資料修正 2.山と高原地図エアリアマップ「京都北山2」1970年11月発行昭文社/金久昌業著 もう一度、金久昌業エアリアマップ解説を読んでみました。 https://yamap.com/moments/573109 五波谷の登りでは、「五波谷が北東から東に向きを代える辺りから、なお少し進んだところで、小さな谷が左の山側から入ってくる・・・この小さな谷を詰めて尾根に取りつく」となっています。 染ヶ谷への下りでは、「・・・杉植林の中をジグザグに下り、セイ谷左俣上流に降り立ち、谷に沿って下ると左から谷が入ってくる合流点から谷を離れて右の山腹を巻く・・・染ヶ谷林道の合流点はセイ谷から約100m上流」 これは昨日通った明治陸測図の道の様子です。しかし、金久さんはこれが新しい道だと言われる。「上記は新しい道で、昔の道は、京都側は谷道、若狭側は山腹の斜面」これはS6地理院地図破線路やエアリアマップ地図の赤線ルートではないですか?これが昔の道?道理で家族休暇裏の夜勤の当直の方もそんな昔の話などご存じない訳だ。 ということで、明治陸測図のさらに昔の道があったというのが結論になるようです。しかし、尾根の道はあったとして、あの滝場を通る道(巻き道であったとしても)は不自然ですし、その大昔の道を破線路としてであっても、当時は現役であった明治陸測図の道を無視して、昭和の地図に載せるかというのが疑問です。これは新しいマターとして機会があれば谷筋を歩いてみるかな(歩けるのか?) 探索終わってまだ9時半ちょっと過ぎです、これから八ヶ峰へ行ってみますのでご心配なく。
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