活動データ
タイム
06:20
距離
21.7km
のぼり
1446m
くだり
1494m
活動詳細
すべて見るゴールデンウィークが終わり、いつも見る平日が再び訪れた。 束の間の勤務明け。 見渡す限りの快晴だった....。 そんな快晴を逃さんと言わんばかりに、ムフェト・ジーヴァがどこか遠出がしたいと言う。 しかし、遠出となるとなかなか勤務明けの体に鞭を打つのは辛いものがある。 どこがいいか迷っていたところ、ネルギガンテよりとあるお山へ行ってみたいと申し出て来た。 それは、「宝の山」......。 宝の山と聞くと、まさに金銀財宝や埋蔵金が眠ってそうな印象であるが、そのお山はどうやらそうではないらしい。 今回そんな謎に包まれた「宝の山」へ、ネルギガンテとムフェト・ジーヴァと共に挑むこととなった。 向かったのは、福島県。 それも、郡山より西側にあるあの日本第4位の広さを誇る猪苗代湖の畔。 郡山市街地を抜けて、猪苗代湖が終始覗かせるようになった時、突如としてそのお山は姿を現した。 その威容は、まるで富士山のようにも、赤城山のようにも、八ヶ岳のようにも見える。 登山口は、八方台と呼ばれる峠だった。 まずこの宝の山の頂に立つ為、東へ進む。 出だしは残雪のある緩やかながれ場が続き、小走りで登り詰めていく。 さらに進んでいくと、半壊した小屋が立つ中の湯なる場所に着いた。 此処では、この宝の山が火山である事を物語る硫黄の温泉が湧き出していた。 ここからは一気に急登へと変わり、時折泥濘や鎖場、丸太の階段が所狭しと並んでいた。 脹脛が疲れて来たのもあり、少し足休めがてらふと後ろを振り返ると、未だ残雪に閉ざされた磐梯吾妻山と飯豊山の勇姿が覗かせていた。 急登を乗り越えると、笹藪の深い樹林帯の尾根が出てきた。 猛吹雪によって傾いた木々をかき分けて進むと、今度は弘法清水と呼ばれる湧水のある広場に出て来た。 いよいよ、この弘法清水より宝の山の頂に通ずる最後の登りが出て来た。 急ながれ場が容赦無く続く.....一気に脹脛を破壊してくる。 冷たい風が少し強くなって来た頃、ついにこの宝の山の頂に辿り着いた。 実はこの宝の山は「会津磐梯山」と呼ばれていて、下から見ると色々な形のお山に見えるのは、過去幾度と無く麓の街を壊滅させるほどの噴火や山体崩壊を起こしたためと言われている。 眼下には猪苗代湖をはじめ、会津盆地、郡山市街地などの福島県の基幹部分である街並みが見えた。 南にはうっすら那須岳、燧ヶ岳、会津駒ヶ岳の姿。 北には磐梯吾妻山、安達太良山の姿。 そして、西には要塞の如く聳え立つ白き飯豊山があった。 だが、この山がなぜ宝の山と言われるのかまだわからなかった......。 その理由を確かめるべく、今度は八方台からちょうど反対側である西側にある“雄国沼”と呼ばれる領域へ進むことにした。 下りは、弘法清水よりお花畑を経由して中の湯へ向かうことにした。 このお花畑からは、会津磐梯山の北側にある“1888年小磐梯爆裂火口”と呼ばれる裏磐梯を象徴する深く抉れた噴火の跡が見えた。 その恐ろしい程に大きく口を開けた噴火口は、どこか八ヶ岳にある硫黄岳や北海道最高峰たる旭岳の大地獄谷を彷彿とさせるものだった。 登っている最中は疲れのあまり気づかなかったのだが、下りの途中の中の湯にて水芭蕉の群生を見ることができた。 中の湯を後にして、八方台へ駆け下りる。 東家にて水分を摂り、宝の山の真実が眠る雄国沼へ足を進めた。 雄国沼へ向かう途中、強烈な登りを経て雄国カルデラの主峰である猫魔ヶ岳に着いた。 ここからは、猪苗代湖やさっきまでいた大磐梯の鋭く尖った姿がお目見えしていた。 猫魔ヶ岳からは、いよいよ宝の山の核心である雄国沼の古い火口底へ一気に下りていく。 その前に、猫石分岐点から厩嶽山と呼ばれる小さなお山へ寄ってみることにした。 しかし....これがまさに大幅に時間を奪われるとは、古龍2頭はまだ思いもしなかった。 猫石分岐点からの下りは、膨大な数の倒木と泥濘によって占領されていた。 どれだけ走っても足を止められる上、泥濘に足を取られて泥水が容赦なく染みてくる。 さらに登り返しから厩嶽山の直下に差し掛かるとき、長い残雪の道が出て来た。 倒木も相まって、まさに天然のバリケードと化していた.....。 昨日の勤務疲れも相まって、一気に体力を奪われてしまった。 なんとか着いた厩嶽山。 景色を見る余裕はもうすでに残ってなかった....。 天然のバリケードを再び戻り、待ちに待った雄国沼へ向けて駆け下りる。 途中泥濘の混じった草原が出てくるものの、その後は金沢峠へ続く林道と合流して公道歩きとなった。 公道を歩き進めて暫くすると、金沢峠に出て来た。 ここが本日の縦走の終着点だが、これで終わるわけには行かなかった。 まだ宝の山の理由を確かめてはいない。 金沢峠から火口底である雄国沼へ下りていく。 丸太の顔段を下りていくと、どこか尾瀬を思わせるような木道があらわれた。 どうやら、この木道は水芭蕉やニッコウキスゲの大群生がみられると言う。 今はまだ皐月の始まり.…..流石にニッコウキスゲは咲いていないが、ところどころに咲いている水芭蕉がこれまた圧巻だった。 木道は、雄国沼の湖面上も抜けていく。 桟橋になった木道からは、真っ青な大空とあの猫魔ヶ岳と共に遥か遠く磐梯吾妻山の勇姿が映っていた。 木道を回り切ると、本日最後のお山である“雄国山”へ挑むことになる。 砂利の細かな坂を登り下りしながら、雄国沼休憩舎へ向かう。 休憩舎にて少し足休めをし、雄国山へ登る。 葛籠折れの急登はもうすでに疲れている脹脛に、再び容赦無い鞭を打ってくる。 脚が攣りかけて来た頃、なんとか雄国山へ辿り着いた。 ここからは、まさに福島県の名だたる名峰が一望でき、眼下にはさっきまでいた雄国沼が輝いていた。 宝の山….それはこの雄国沼が別天地や異世界を意味する“おぐに”から来ていること、この会津磐梯山そのものはかつて天空へかかる岩梯子を意味する“いわはしやま”と呼ばれていたこと、そして地元に愛される程に美しい見た目をしていて山頂からの絶景も福島県屈指であると言うことも相まって山上の宝物殿として君臨していたのが理由だった。 つまり金銀財宝の山では無く、この会津磐梯山の姿と大自然そのものが「宝」であるという事だった。 日もいよいよ暮れ出してきた。 斜陽に照らされる猫魔ヶ岳を横目に、一気に駆け下りていく。 一旦雄国沼へ下りていく都合上、あの金沢峠への登り返しはかなり厳しいものがあった。 下界ではおやつの時間に差し掛かってきた頃、漸く金沢峠へ下りてくることができた。 天上に輝く宝の山にて、神秘の絶景を満喫したネルギガンテとムフェト・ジーヴァであった。 ※会津磐梯山“宝の山”の由来は、大飢饉の時に笹に黄金が実った伝説や、肥沃な大地ゆえ作物がよく育つ説、砂鉄の産出量が多いという説など、数多くの諸説がある。
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