活動データ
タイム
06:20
距離
13.4km
のぼり
765m
くだり
763m
活動詳細
すべて見る日立アルプスの未踏域を調べていたら、日立市内に星宮神社を2社を発見。 星宮探訪も併せ、御岩山・高鈴山・神峰山に行ってきました。 ■御岩神社から御岩山へ 初めての御岩神社。鬱蒼たる森の中、苔むす境内の参道を進むと、気分がスーッとあがります。パワースポットとして人気なのも実感。御岩山の名前の通り磐座信仰に遡るんだろうなと思ったら、さらに古く縄文時代の祭祀跡もあるそうで、相当古い時代からの聖地だったんですね。 祭神は、天津神系のメジャーどころの神々が被さってしまっていますが、元々は賀毗禮(かびれ)宮の立速日男命(タチハヤヒオノミコト)が主宰なのでしょうね。タチハヤヒオは、先日登った日立アルプスの国見山の際に調べた薩都神社の主宰でもあり、御岩神社から賀毗禮宮へ上る裏参道には、薩都神社の奥宮もあるようです。常陸風土記に出てくるタチハヤヒオのお話、実際にあったろう(と妄想する)お話に落とし込むと次のような感じでしょうか。 タチハヤヒオの一族(縄文的な、山の民、エミシ的な)が、日立アルプスの南西の麓(今の常陸太田市)の丘陵地に勢力を張っていた。平地で稲作を生活基盤とするヤマト王権側(天津神側)とすみ分けが崩れて軋轢が大きくなり、争乱や駆け引きの末、タチハヤヒオは、古くからの聖域だった御岩山あたりまで押しやられ、滅ぼされてしまった。滅ぼした側は天津神を被せたうえで、この地に彼ら(彼らの信仰対象)を祀った。滅んでいった者たちの祟りを遮り、残党を治山等のために活用、共存する上での慰撫としても。 その後この地の有力者となった佐竹氏も、その後入府してきた水戸徳川家も、こうした祀りや神域を大切にしたんですね。為政者が替わっても、その地に根付いてきた神々(人々の歴史)をないがしろにせず大切にしてきたのは、日本人らしい美徳と言っていいでしょう。 こうして俯瞰すると、タチハヤヒオの立ち位置は、https://yamap.com/activities/22379276 でも調べたアマノカカセオに似ています。後述するように、御岩神社の近くに星宮神社があったのも、同じ根っこがあったりするのかと妄想してしまいます。 ■御岩山から高鈴山へ この一帯は、日本最古の5億年前の地層からできているそう。パンゲアの古大陸から日本列島が分離する前の途轍もない古い時代からこの岩たちは、ここにあったんですね。山頂からタイムラプスで5億年の大地の変動を見られたらなあ。御岩山で祭祀した縄文人たちも、この岩や景色になにか感じるものがあったのか、と想像すると楽しい。 ちなみに、なんで高鈴山というのか調べたけど、わからない。鈴の形の山? 神社に鈴を鳴らす神楽があった? それとも御岩神社の由縁がらみで「鎮め」が「すず」に化けた? 真相やいかに。 ■神峰(かみね)山 南面に展望開けて、太平洋と日立市街、JX金属(旧日立金属)のプラントが一望です。 山頂横の神峰神社に、氏子の皆さんがお手入れ参拝でちょうど登頂されており、お手入れの合間に山頂に来られた氏子さんたちと、立ち話ししました。神峰山も日立の地名も、水戸光圀が名付けたことなど、いろいろ教えていただきました。 閉山してしまった日立鉱山のお話も。銅の精錬カスの石が積み重なったカラミ山が今や一面緑に覆われていること。日立市のシンボルでもあった巨大煙突が30年前倒れてしまったこと。大煙突の内部を清掃すると、内壁に硫酸銅の蒼い結晶が育ってキレイだったこと。貴重なお話でした。 なお、今日はこれから日立市の星宮神社2箇所を訪ねるので何かご存じですかとお聞きしたのですが、地元の方々でも星宮神社自体を知らないとのことでした。うーん。 ★星野宮神社(日立市入四間町) 奥日立きららの里の敷地内にあるので、神峰山からの下山途中に立ち寄りました。管理棟の人に聞いてみたところ、きららの里を作る際に、敷地内に2か所あった祠を1つにまとめたそう。祭神はアマノカカセオでしょうか?と聞いたところ、わかりませんが、御岩神社と同じでしょうね、とのこと。あの~御岩神社は188柱の神々祀ってるんですが、どなたが? とつっこみたかったけど、詳しくないとのことで、そこまで。たぶん、お祭りは御岩神社の神職が執り行っているのでしょう。元々御岩神社の摂社末社としても、きららの里を作る際にキチンと祀り直しているのも意味深ですね。社殿と鳥居は、御岩神社を向いており、その先に高鈴山が望めるのは、元からなのか、祀り直しの際のアレンジなのか、深堀しないと判りません。 ■日鉱記念館 閉山してしまった日立鉱山の詳細と歴史を知ることのできる施設。これだけの展示内容で無料とは、JX金属は太っ腹です。日立製作所がこの日立鉱山の電気機械の修理部門から始まったとは知っておりましたが、巨大な立坑エレベータの巻上モータを実物で見てしまうと、日立製の家電製品が製品寿命になっても、モータだけはやたら頑丈で壊れないという昭和の伝説も、ストンと腑に落ちます。モータ故障で鉱山に人が閉じ込められるなんて、絶対起こしたくなかったでしょうし、モータに絶対の信頼を与えたかったんでしょうね。 この地は明治以降に本格的に銅採掘される遥か以前から、佐竹氏が金山を探り、水戸徳川家が銅鉱山を小規模ながら経営していたそう。御岩山周辺に修験者(鉱物探索者でもある)が入るようになったのは、日本中で鉱物探索が始まった飛鳥、奈良の時代に重なるのかな。鉱物の神としての側面で星宮神社が祀られていた、っていうのもありかな、とか、妄想につぐ妄想。 ★星の宮神社(日立市白銀町) 旧鉱山街中心地の日立武道館(旧 共楽館)を見下ろす高台にあります。祭神不明ですが、「め」のお札が掛かっていいました。鉱山で目を傷めた方々の治癒祈願なんでしょうか。眼病治癒の神仏で調べると、虚空蔵菩薩がヒット。栃木に多い星宮神社は本地仏の虚空蔵菩薩を祀っている処が多いので、この神社はその系統なのでしょうか。謎です。この周辺で鉱山の煙害が酷い時代、栃木県那須地方(星宮神社はあるなあ)へ避難移住する動きがあったとかで、それが縁でつながるのだろうか、と妄想。
もしも不適切なコンテンツをお見かけした場合はお知らせください。