活動データ
タイム
03:53
距離
7.4km
のぼり
387m
くだり
387m
活動詳細
すべて見る水を張った田んぼに映る山々の景色を見に、佐貫観音院まわりの低山を縦走してきました。 ■富士山 道の駅「湧水の郷しおや」の目の前に富士山。ご当地富士にしては富士山ぽくない形だな、と思って後で調べると、元々は「藤」山だった説も。たしかに帰り道で仰いだ山腹に藤が目立ちました。 山頂からは、日光から流れる大谷川が鬼怒川に合流するポイントが一望。西側は崖になって切れ落ちています。暴れ川だった両河川が、この山腹にぶつかって削ったのでしょうね。ルートの下りには踏み跡不明のやぶ漕ぎ箇所があり、これからの季節はさらに手こずりそうです。 ■愛宕山 火伏の愛宕神社の鳥居から入る、小ぶりな山。山頂は眺望ないですが、そこかしこから田んぼを耕すトラクターの音とカエルの鳴き声が聞こえ、麓の暮らしに寄り添う里山でした。この山から送電線側に下りるルートも、一部やぶ漕ぎです。 ■蟹沢山 今回一番高いピークでしたが眺望なしです。佐貫観音山へ続くルートの一部がやはり踏み跡不明のやぶ漕ぎで少々難儀しました。南に下りて鬼怒川が削った崖線に出ると、気持ちのいい稜線歩きに。 「蟹沢山」の名は各地にあるようです。「蟹沢」でGoogle地図検索かけると、福島県の中通り地方にやけにたくさん集中して存在してビックリ。沢カニ好きが多かったのかな、なんでだろう。 ■佐貫観音山 佐貫観音山は丸ごと流紋岩の巨大な塊。頂上には亀岩という自然物か人工物か判らぬ岩があるそうですが、岩塊のてっぺんを登りきる自信がなく撤退。東側に下ると見晴らしのいい琴平神社に出ます。麓に下りて鬼怒川沿いに折り返すと、佐貫観音院に到着。見上げる佐貫観音山の岩壁に、摩崖仏(大日如来)が線刻されています。岩壁の上方にカメラを向けているカメラマンが大勢いてビックリ。岩壁に巣を作るハヤブサが目当てだったんですね。 ■佐貫は讃岐? 琴平神社があるってことは、やはり鬼怒川の河川運輸関係者(江戸期?)が祀ったのかなと歩いているときは思ったのですが、佐貫観音院で由緒書きを読むと、讃岐国多度郡(今の香川県西部)の郡司(地方役人)の一族がこの地に移ってきて建立したお寺とのこと。だとしたら多度郡のすぐそばにある金毘羅山のコンピラ様を併せてこの地に勧請した、と考える方が自然でしょう。後で調べると、鬼怒川の河川運輸の活動域は、ここより20kmも下流が北限だったようで、河川運輸関係者説は旗色悪いですね。 すると、佐貫=讃岐なのかな、と思いついた次第。「さぬき」の読みに対して漢字は当て字なので歴史的に揺らぐものだし。讃岐から移り住んだ人々が、故郷を偲んで新天地を「さぬき」と呼んだのか、近隣の現地民がこの新参者たちや住処を「さぬき」と呼んだのか。 さて、地域史調べても、なぜ讃岐からの移住があったのか、出てこない(調べ方が甘い)。そこで勝手に考えてみたのが、「辰砂を求めて」説です。 ■辰砂の採れたところに「丹」「丹生」の地名 神社仏閣の建物や鳥居の朱色は、近年までは辰砂(硫化水銀)を塗ったものです。防腐効果抜群ですから。また、辰砂を精製して抽出される水銀は奈良の大仏建立の際の鍍金にも使われたり、あるいは不死の仙薬扱いでした。実際は水銀接種したら中毒死ですけどね。 とにかく古くから辰砂は大切な鉱物だったのですね。現代に当てはめれば石油レベルかも。古代の僧侶や修験者が各地の山々に分け入ったのも、彼らに鉱物資源探索者としての側面があったからのようです。高野山金剛峯寺が深い山中にわざわざ開かれたのも、その地が辰砂の鉱脈だったからとも。 辰砂は和名で「に」や「にう」と呼んでいたので、地名に「丹」「丹生」が付くところは、辰砂が採掘された痕跡が残っているようです。「丹沢」もそうらしいですね。 それを踏まえてですが、この佐貫観音院のある地区の名は、なんと「舟生(ふにゅう)」! 丹と舟は書き損じの伝言ゲームで読み方自体も変わってしまったのでしょうか。ただ、この舟生の奥地で、辰砂が採れたのは確からしいです。近くには、玉生(たまにゅう)地区等、「にゅうにゅう」した地名が散逸していて面白い。 讃岐国多度郡の軍司の一族が、この地に移ってきたのも、辰砂を求めてやってきたのではなかったのか、と想像してみました。それに讃岐国多度郡は、空海の生誕地。空海自身、裕福な地方役人の子だったわけで、この一族となんだか共通した背景が感じられ。空海の実家の財力(私度僧でしかない空海を遣唐使メンバにもぐりこませるほど)の根源に辰砂開発の富があったのじゃ、とこの辺になると、自分勝手な妄想です。 ★星宮探訪★ 山行の際に、近くに星宮神社あると併せて訪れています。 今回も佐貫観音まわりで恒例の星宮神社検索をすると、3km圏内に2か所ヒット。下山後に探訪してきました。 2か所とも、栃木県でよくある開拓神の磐裂根裂(イワサク・ネサク)を祀る稲作集落の郷社でした。鬼怒川左岸の佐貫地区の星宮神社は、佐貫集落の鬼門の鎮守で、佐貫観音山下の琴平神社が裏鬼門の鎮守でと、対になっているとか。 鬼怒川右岸、矢野口地区の星宮神社もそうですが、両方とも鬼怒川の作った平地の縁のちょっとした高台にあります。鬼怒川の洪水の際にも浸水しない場所なんでしょうね。洪水で高台の神社に避難して茫然としつつも、その後に挫けず荒れた田畑を復興させてきた。そうした苦闘の歴史を、のどかな眼前の水田の風景と重ね、もの思う散策となりました。
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