臼杵城(丹生島城)で早めのお花見

2023.03.25(土) 日帰り

活動データ

タイム

00:40

距離

1.4km

のぼり

19m

くだり

21m

チェックポイント

DAY 1
合計時間
40
休憩時間
0
距離
1.4 km
のぼり / くだり
19 / 21 m
41

活動詳細

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お花見の季節ですね。先ほどは山桜の名所、大岩に行ってきました。 次は臼杵城です。丹生島(にうじま)城ともいい、大友宗麟の居城ですね。 臼杵城趾は桜の名所で、この時期は市役所などが無料の駐車場として開放されています。 というわけで車を市役所に止めて、お城の裏側から取り付きます。ループ橋を回って登れば、すぐに本丸跡です。 亀首櫓の跡から東を眺めれば、市街地が広がっています。しかしかつては海が広がっていたはず。 ついで卯寅口(うとのくち)門に降ります。ここには古い時代の櫓(やぐら)が現存していますね。 ここは搦め手で、お城の裏口です。追い詰められたらここから海に逃げ出すようになっていました。 卯寅稲荷に登り返して、改めて本丸跡へ。今はさくらの園になっています。今日はお花見客はまだ少ないようです。 本丸手前には立派な石垣があります。かの明智光秀が縄張り(設計)に参加していたという伝説も。 本丸と二の丸の間には大きな堀切があり、そこを越えるとイベント広場です。 ステージでは子供達が踊り、周りには屋台がたくさん出ています。うん、平和ですね。 二の丸跡は護国神社になっていますね。豊薩合戦で活躍し「国崩し」と呼ばれた大砲のレプリカもおいてあります。 二の丸の大門の脇の櫓跡からは臼杵の街がよく見えます。鎮南山もすぐそこですね。 狭い鐙坂(あぶみざか)を降りて大手門の跡へ。 堀を渡って振り返ると、強固で立派なお城だったことがよくわかります。 豊薩合戦の当時は西側からしか攻め寄せられなかったので、ここが最大の激戦地だったでしょう。 では戻りましょう。臼杵市歴史資料館に行くので城に登らず、急いで帰りました。 しかし、歴史資料館はなんと今日まで閉館。うーん、残念。 お花見にも少し早く、今週中頃から週末にかけてが見頃になりそうです。 臼杵城(丹生島城) 大友宗麟が丹生島という海に突き出した陸繋島全体をお城にしたものです。西以外の三方を海に囲まれた強固な城でした。 豊薩合戦の際には豊後の国全域が島津に蹂躙されますが、宗麟は臼杵城に立て籠もり、 攻めてくる島津軍を国崩しと謳われた大砲で撃退しています。 豊臣秀吉の九州征伐により島津軍は引き上げ、大友家は救われますが、宗麟は病死。 その後、大友家の改易に従い臼杵には稲葉氏が入ってきます。「頑固一徹」の語源となった美濃三人衆 稲葉一鉄の子孫ですね。 城の周りは埋め立てられ、臼杵の市街地とし発展し、今ではお城のすぐ下まで民家が来てますね。

鎮南山 登城は裏側からです。
登城は裏側からです。
鎮南山 ループ橋を登り切れば、いきなり本丸です。
ループ橋を登り切れば、いきなり本丸です。
鎮南山 亀首櫓跡、かつては海を望む展望台だったはず。
亀首櫓跡、かつては海を望む展望台だったはず。
鎮南山 造船所が見えますね。佐伯の濃霞山公園からは目の下に造船所が見えましたっけ。
造船所が見えますね。佐伯の濃霞山公園からは目の下に造船所が見えましたっけ。
鎮南山 本丸跡はさくらの園です。満開まで早いので、まだ人は少なめですね。
本丸跡はさくらの園です。満開まで早いので、まだ人は少なめですね。
鎮南山 卯寅の口。城の裏口、搦め手ですね。
卯寅の口。城の裏口、搦め手ですね。
鎮南山 卯寅口門脇櫓。現存してる数少ない構造物です。
卯寅口門脇櫓。現存してる数少ない構造物です。
鎮南山 海上に逃げ出すための場所ですね。
海上に逃げ出すための場所ですね。
鎮南山 生稲荷様に参拝。
生稲荷様に参拝。
鎮南山 南を見れば大岩と鎮南山。どちらも山桜に包まれています。
南を見れば大岩と鎮南山。どちらも山桜に包まれています。
鎮南山 かの明智光秀が縄張り(設計)に参加したという伝説もあります。
かの明智光秀が縄張り(設計)に参加したという伝説もあります。
鎮南山 本丸を守る重要な石垣の跡。
本丸を守る重要な石垣の跡。
鎮南山 本丸と二の丸の間は、今はグランド風のイベント広場になっています。屋台もたくさんでていますね。
本丸と二の丸の間は、今はグランド風のイベント広場になっています。屋台もたくさんでていますね。
鎮南山 張り出した城壁にかかる桜。いいですね。
張り出した城壁にかかる桜。いいですね。
鎮南山 西の丸御殿の跡に、現在は護国神社があります。
西の丸御殿の跡に、現在は護国神社があります。
鎮南山 池の一部だけ、当時のままのようです。
池の一部だけ、当時のままのようです。
鎮南山 フランキ砲「国崩し」
写真を取り忘れたので、これだけ過去の写真からです。
フランキ砲「国崩し」 写真を取り忘れたので、これだけ過去の写真からです。
鎮南山 大門櫓と畳櫓。畳櫓も古くから残っている建物です。
大門櫓と畳櫓。畳櫓も古くから残っている建物です。
鎮南山 畳櫓の上の展望台からは臼杵市街が一望出来ます。
畳櫓の上の展望台からは臼杵市街が一望出来ます。
鎮南山 大門櫓は新しく作られた構造物ですね。
大門櫓は新しく作られた構造物ですね。
鎮南山 大門周りの石垣は敵を一手に引き受ける場所ですね。
大門周りの石垣は敵を一手に引き受ける場所ですね。
鎮南山 ただしこの石垣は大友氏の改易あとのものです。
ただしこの石垣は大友氏の改易あとのものです。
鎮南山 桜は満開の一歩手前。満開はあと三日後くらいでしょうか。
桜は満開の一歩手前。満開はあと三日後くらいでしょうか。
鎮南山 かつては海に突き出た臼杵城。周囲は全部埋め立てられて、民家がすぐ近くまで迫っていますね。
かつては海に突き出た臼杵城。周囲は全部埋め立てられて、民家がすぐ近くまで迫っていますね。

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