活動データ
タイム
00:40
距離
1.4km
のぼり
19m
くだり
21m
チェックポイント
活動詳細
すべて見るお花見の季節ですね。先ほどは山桜の名所、大岩に行ってきました。 次は臼杵城です。丹生島(にうじま)城ともいい、大友宗麟の居城ですね。 臼杵城趾は桜の名所で、この時期は市役所などが無料の駐車場として開放されています。 というわけで車を市役所に止めて、お城の裏側から取り付きます。ループ橋を回って登れば、すぐに本丸跡です。 亀首櫓の跡から東を眺めれば、市街地が広がっています。しかしかつては海が広がっていたはず。 ついで卯寅口(うとのくち)門に降ります。ここには古い時代の櫓(やぐら)が現存していますね。 ここは搦め手で、お城の裏口です。追い詰められたらここから海に逃げ出すようになっていました。 卯寅稲荷に登り返して、改めて本丸跡へ。今はさくらの園になっています。今日はお花見客はまだ少ないようです。 本丸手前には立派な石垣があります。かの明智光秀が縄張り(設計)に参加していたという伝説も。 本丸と二の丸の間には大きな堀切があり、そこを越えるとイベント広場です。 ステージでは子供達が踊り、周りには屋台がたくさん出ています。うん、平和ですね。 二の丸跡は護国神社になっていますね。豊薩合戦で活躍し「国崩し」と呼ばれた大砲のレプリカもおいてあります。 二の丸の大門の脇の櫓跡からは臼杵の街がよく見えます。鎮南山もすぐそこですね。 狭い鐙坂(あぶみざか)を降りて大手門の跡へ。 堀を渡って振り返ると、強固で立派なお城だったことがよくわかります。 豊薩合戦の当時は西側からしか攻め寄せられなかったので、ここが最大の激戦地だったでしょう。 では戻りましょう。臼杵市歴史資料館に行くので城に登らず、急いで帰りました。 しかし、歴史資料館はなんと今日まで閉館。うーん、残念。 お花見にも少し早く、今週中頃から週末にかけてが見頃になりそうです。 臼杵城(丹生島城) 大友宗麟が丹生島という海に突き出した陸繋島全体をお城にしたものです。西以外の三方を海に囲まれた強固な城でした。 豊薩合戦の際には豊後の国全域が島津に蹂躙されますが、宗麟は臼杵城に立て籠もり、 攻めてくる島津軍を国崩しと謳われた大砲で撃退しています。 豊臣秀吉の九州征伐により島津軍は引き上げ、大友家は救われますが、宗麟は病死。 その後、大友家の改易に従い臼杵には稲葉氏が入ってきます。「頑固一徹」の語源となった美濃三人衆 稲葉一鉄の子孫ですね。 城の周りは埋め立てられ、臼杵の市街地とし発展し、今ではお城のすぐ下まで民家が来てますね。
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