黒磯バッケ・国見山 + ★星宮探訪④★

2023.03.19(日) 日帰り

チェックポイント

DAY 1
合計時間
4 時間 3
休憩時間
45
距離
8.4 km
のぼり / くだり
554 / 554 m
9
1 4
37
1
34

活動詳細

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「星宮」がチェックポイントになっているコースがあるのか~! ということで、茨城県の黒磯バッケ-国見山-星之宮神社 周回コースを歩いてきました。 黒磯バッケから望む朝焼けの景色が印象的でした。 日曜なのに、山中では誰にも遭わず、貸し切りの山行でした。 山歩きのついでに、フィールドワークしている「星宮神社」。 栃木県を中心に何でこんなに沢山あるのか? を素人調査しています。 歴史を追うとおよそ3系統のタイプの星宮神社が重なり合っているようです。 https://yamap.com/activities/22379276 今回訪れた星之宮神社は、3系統のうち、妙見菩薩を本地仏として北極星や北辰(北斗七星)を祀るタイプでした。戦国期に佐竹氏が本城とするする佐竹城の鬼門に北方の守護として、この地に妙見菩薩を祀ったのが起こりで、明治の神仏分離令で呼び名を「星之宮」としたとのこと。 ■国見山が見てきた風景 国見山の南尾根から伸びる舌状台地は、常陸の武門の雄、佐竹氏の本貫地。江戸初期に佐竹氏は秋田に国替え(今も子孫が秋田県知事をされてますね)となり、替わりに水戸徳川家が入府します。水戸徳川家、平時には便利な水戸を本拠地とするも、佐竹氏ゆかりのこの地に、水戸黄門隠居処の西山荘や水戸徳川家の墓所を配していてますね。常陸の国の治めとして「かなめ」の地なのでしょう。 ■棚倉構造線から考える地勢 国見山のある山脈と日立アルプスの間には、棚倉構造線という断層線が福島県に向けて走っています。この真っすぐな線に沿って山々を穿つように谷筋が続き、山がちな茨城県北部から福島県中通りの間を往来するのに便利なルートになります。棚倉街道がそれです。往来しやすいということは、奥州(福島以北)と常陸(茨城)間での軍事侵攻もこのルートだった、ということでもある。 たとえば、常陸国風土記によると、ルート北方に勢力のあった蝦夷的集団を、ヤマト王権側が侵攻して誅殺してしまったそうです。その経緯を刻む薩都(さと)神社があり、川の名を薩都(さと)川(今では里川を言い直している)というとのこと。 また、源氏の総大将八幡太郎義家が奥州征伐に向かった際の由来を残す史跡もこのルート近辺に多いようです(真弓山の真弓神社等)。のちの源頼朝の奥州藤原氏攻めも軍の一部も、当然このルートをたどったでしょう。 さらには、戦国時代、佐竹氏が内紛で対外的に弱体化したタイミングで、奥州勢(伊達、芦名軍)がこのルートから南下して攻め込んだことがあったそうです。しかしこの奥州勢、逆に佐竹軍に返り討ちに遭って敗れ、山中に逃げ込み、もう故郷には生きて帰れないと嘆いたのが「故郷(くに)見ず」の山で、それが転じて「国見山」となったとか。 こうした地勢と歴史を見ていくと、棚倉街道の谷の出口に佐竹氏本貫地佐竹城が構えているのも、当然な気がします。最後の写真に地図を置いてみましたが、戦国期、城の鬼門に薩都神社を配し、棚倉街道脇の防衛拠点としただろうこと、そのすぐ北の急峻な丘の上に妙見堂(のちの星之宮神社)を配して棚倉街道の北方を睨む監視拠点としただろうことも、読めるような気がします。ちなみに記録によると、同時期に城の裏鬼門にあたる微高地には、菩提寺である佐竹寺が配置されてますね。菩提寺兼要塞なんでしょうね。 国見山にしても、里川にしても、ありふれた地名です。それがこんな謂れを持つなんて、驚きでした。星宮をトリガーに、いろいろ歴史ロマンを掘り起こせた旅でもありました。

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